第3部 第39話 山が返す音
「薬が届いたって!?」
石灯宿の診療所から飛び出してきた女性は、イルマを見るなり両手を合わせた。
「助かったわ。あと2日遅かったら、隣の集落から分けてもらうところだったの」
「風便が止まっちまってね。今回は陸路さ」
「大変だったでしょう?」
「道連れがよかったからね」
イルマはそう言って、俺たちを指した。
……お。
褒められた。
俺が触手を上げると、女性は一瞬固まった。
「……道連れ?」
「ノアとルナ。荷物を運ぶのを手伝ってくれたんだ」
「……へえ」
女性は俺をじっと見たあと、妙に真剣な顔で尋ねた。
「診療所へ来るのは初めて?」
「……うん」
「具合は悪くない?」
「……へいき」
「そう。なら、今は診なくていいわね」
……今は?
何だか将来、診察されることが決まっているみたいな言い方なんだけど。
「私は薬師のカヤ。怪我をしたら遠慮なく来て」
……ああ。
仕事熱心な人なんだな。
俺が頷くと、ルナが横から口を開いた。
「ノアはよく無茶をする。世話になるかもしれぬ」
……おい。
初対面で余計な情報を渡すなよ。
カヤは笑った。
「じゃあ、診療所の場所を覚えておいてね」
……はい。
覚えました。
◇
石灯宿は、カナートよりずっと静かな集落だった。
高い岩壁が風を遮り、建物も石造りだから、軋む音がほとんどしない。
ただ、家々の入口に置かれた青白い石灯だけは、少し不思議だった。
火を入れていないのに、淡く光っている。
「灯石っていうんだよ」
荷下ろしを終えたイルマが教えてくれた。
「この山で採れる石さ。明るさは弱いけど、火を使えない坑道じゃ重宝する」
……へえ。
便利な鉱石だな。
俺は石灯へ近づいた。
磨かれた青灰色の石が、ガラスの箱に収まっている。
俺の《視覚》でも、ぼんやりした光が分かった。
……きれいだ。
「ノア、触るなよ」
ルナが言った。
……え。
まだ触ってないぞ。
「触りたそうにしておる」
……。
否定できない。
俺は伸ばしかけた触手を引っ込めた。
イルマが声を立てて笑う。
「見るだけなら構わないよ。ただ、灯石は割れると光が弱くなるからね」
……なるほど。
じゃあ、触るならもっと慎重にしないとな。
「触る気でおるな?」
……何で分かるんだよ。
◇
夕食を取るため、俺たちはイルマの知り合いが営む食堂へ入った。
石造りの小さな店だが、中は暖かい。
壁には採掘用の道具が飾られ、天井からは灯石を使った照明が吊るされている。
鉱山の町らしく、客の多くは作業着姿だった。
だが、妙なことに気づいた。
……静かだな。
人が少ないわけじゃない。
席は半分以上埋まっているし、食器が触れる音も聞こえる。
それなのに、誰も大きな声で喋っていなかった。
「山の音、また近くなったらしいぞ」
隣の席から男の声が聞こえた。
「昨日は西の坑道だって話だ」
「いい加減、調べに行った方がいいんじゃないか?」
「誰が行くんだよ。入口からして危ねえんだぞ」
……山の音。
俺は食堂の床へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
今は、特に何も感じない。
誰かが椅子を動かすと、その振動だけが伝わってくる。
……さっきの、何だったんだろう。
イルマが料理を受け取りながら言った。
「気になるなら、明日、坑道の責任者に話を聞いてみるといいよ」
……お。
それは助かる。
「ただし、勝手に山へ入るんじゃないよ。案内がなきゃ、地元の連中だって迷う場所なんだから」
……了解。
俺は頷いた。
すると、ルナが料理の皿へ顔を近づけた。
「……ノア」
……ん?
「この肉、なかなかよい香りがするぞ」
……ああ。
そうなのか。
俺には分からないけど。
「貴様も食べるか?」
……いや。
俺は首に相当する部分を小さく振った。
ルナは少し考えたあと、満足そうに肉を引き寄せた。
「では、我が責任を持って食べよう」
……。
その責任、ずいぶん軽そうだな。
◇
翌朝。
俺たちはイルマの紹介で、鉱山の管理所を訪ねた。
出迎えたのは、ラドという中年の男だった。
短く刈った髪に、太い腕。右の耳には古い傷がある。
机には坑道の図面が広げられ、赤い印がいくつも書き込まれていた。
「昨日、門で聞いた話だな」
ラドは俺たちを見るなり言った。
「岩の中から、叩くような音がする」
俺は頷く。
「……コツ、コツ」
「そう。それだ」
ラドの表情が少し険しくなった。
「最初に聞こえたのは12日前。夜の見回りをしていた作業員が、北側の坑道で聞いた」
……12日前か。
思っていたより、最近の話なんだな。
「最初は落石の音だと思った。山の中じゃ珍しくないからな」
ラドは図面の北側を指した。
「ところが、次の日も聞こえた。しかも、別の場所でだ」
「音が移動したのか?」
ルナが尋ねる。
「そう考えた奴もいる。だが、岩の中の音は厄介でな。離れた場所の音が、すぐ隣から聞こえることもある」
……なるほど。
確かに、振動は石を伝わる。
俺の《微振動感知》でも、触れた場所の揺れは分かるけど、その発生源がどこなのかまでは簡単には分からない。
……方向を間違えることもあるわけか。
ラドは続けた。
「今は主要な坑道を閉じてる。崩落の兆候だったら困るからな」
「作業員は全員無事なのか?」
イルマが尋ねた。
ラドは頷いた。
「点呼は取ってる。閉じ込められた奴はいない」
……そうか。
それなら、少し安心だな。
だが、ラドは次の言葉で俺たちを黙らせた。
「問題は、その音が昔の救助信号に似てることだ」
……救助信号?
俺は顔を上げた。
「坑道で声が届かなくなったとき、壁を叩いて居場所を知らせるんだ」
ラドが机を指で叩く。
――コン、コン、コン。
「短く3回。少し待って、もう3回。これが基本だ」
……なるほど。
俺は頷いた。
でも、昨日俺が感じたのは。
……少し違った気がする。
俺は触手を伸ばし、机を軽く叩いた。
――コン。
少し間を置く。
――コン、コン。
ラドが眉を寄せた。
「……1回、2回か?」
俺は頷いた。
「……こう」
ラドは腕を組んだ。
「それは、救助信号じゃないな」
……そうなのか。
俺は少し考えた。
もし人が叩いているなら、別の合図なのかもしれない。
でも、そもそも人がいるかどうかも分からない。
……まずは、実際に確かめたいな。
「案内してもらうことはできるか?」
ルナが尋ねた。
ラドは少し考えた。
「奥へは入れられん。ただ、閉鎖した坑道の手前までなら案内しよう」
……お。
俺は触手を持ち上げた。
「……ありがと」
ラドは俺を見て、少しだけ笑った。
「礼は調べ終わってからにしてくれ」
◇
坑道の入口は、集落の北側にあった。
切り立った岩壁へ大きな穴が開き、その周囲には木製の支柱が組まれている。
中へ続く道には荷車用の細いレールが敷かれ、壁には灯石の照明が取りつけられていた。
……へえ。
想像していたより、ちゃんとしてるな。
ラドは入口の横にある札を指した。
「ここから先、許可なく入るな。支柱の状態を確認しながら進む」
……了解。
俺は頷いた。
ルナも、真剣な表情で周囲を見ている。
「我は異常な音があれば知らせよう」
「ああ。頼む」
ラドは灯石のランプを持ち上げた。
俺たちは、そのあとに続いた。
◇
坑道の中は、ひんやりしていた。
外より空気が湿っている。
床には細かな石粉が積もり、ところどころに水滴が落ちていた。
――ぽたん。
……お。
水だ。
俺は触手を伸ばし、床の小さな水たまりへ触れた。
《水流感知》。
……。
ほとんど動いてない。
ただの溜まり水だな。
俺はすぐに触手を戻した。
すると、ルナが隣で言った。
「何か分かったか?」
「……みず、だけ」
「ふむ。そうか」
……うん。
今回の音とは関係なさそうだ。
俺たちはさらに進んだ。
やがて、道が2つに分かれた。
右側は木製の柵で塞がれている。
左側は、少し先まで灯石が続いていた。
「ここで止まる」
ラドが言った。
……え。
もう?
俺は少し驚いた。
だが、ラドは柵の奥を指した。
「この先は古い坑道だ。支柱が傷んでるから、立ち入りを止めてる」
……なるほど。
俺は柵の手前で足を止めた。
そして、地面へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
……。
何もない。
……あれ?
俺は少し首を傾げた。
昨日は、何度か感じたのに。
今日は、静かだな。
「どうだ?」
ラドが尋ねる。
俺は触手を横へ振った。
「……ない」
「そうか」
ラドは、少し残念そうに息を吐いた。
「いつも鳴るわけじゃないんだ。半日聞こえないこともある」
……なるほど。
俺は周囲を見た。
壁。
床。
木製の支柱。
……そうだ。
場所を変えてみよう。
俺は床から触手を離し、今度は壁へ当てた。
《微振動感知》。
……。
……ん?
俺は身体を止めた。
ほんの少し。
何か、感じる。
――……コツ。
……っ。
来た!
俺はすぐに意識を集中した。
――……コツ、コツ。
……ああ。
昨日と同じだ。
1回。
少し間。
それから、2回。
……間違いない。
俺はラドを呼んだ。
「……いま!」
彼が振り返る。
「何だ?」
俺は壁を指した。
「……おと!」
ラドがすぐに近づき、壁へ耳を当てた。
……。
しばらくして、首を振る。
「……俺には聞こえん」
……ああ。
そうか。
俺は少し考えた。
耳で聞こえるほどの音じゃないんだ。
石の中だけで伝わっているのかもしれない。
……だったら。
俺は触手をもう1本伸ばし、反対側の壁へ当てた。
《微振動感知》。
……。
……お。
こっちにも伝わる。
ただし、少し弱い。
……なるほど。
俺は身体の位置を変えてみた。
右の壁。
左の壁。
床。
……あれ?
俺は少し驚いた。
右の壁より、左の壁の方が強い。
でも、音がするのは右側の古い坑道だと聞いていた。
……これ。
本当に右側から来てるのか?
俺はラドへ顔を向けた。
「……ひだり」
「左?」
俺は頷いた。
「……こっち、つよい」
ラドは少し考えた。
そして、図面を取り出した。
「……左側か」
彼は坑道の位置を確かめ始めた。
「こっちは、今も使ってる通路だ。奥には採掘場があるが、作業は止めてる」
……なるほど。
俺はもう1度、左側の壁へ触れた。
――……コツ。
……。
――……コツ、コツ。
……うん。
やっぱり。
こっちの方が強い。
だが、音の強さだけで方向を決めるのは危ない。
石の種類や繋がり方によって、振動の伝わり方が変わるかもしれない。
……もう少し調べたいな。
俺は触手を引いた。
「……さき、みる?」
ラドは図面を見た。
しばらくして、頷く。
「この先の見回り通路なら、支柱の点検が終わってる。そこまで行こう」
……お。
助かる。
◇
見回り通路は、先ほどの場所より少し狭かった。
壁の片側には太い木材が並び、天井からは灯石のランプが吊るされている。
俺は進みながら、何度か地面へ触手を当てた。
……。
……ん。
少し強くなった。
また進む。
……。
……お。
もっと強い。
俺は立ち止まった。
――……コツ。
……。
――……コツ、コツ。
……これだ。
音が、かなりはっきり伝わる。
俺は周囲を見た。
道は、まだ奥へ続いている。
だが、少し先に金属製の扉があった。
その表面には、古い刻印が残っている。
……何だ、あれ。
俺はラドへ顔を向けた。
「……あれ?」
ラドが扉を見た。
「昔の連絡坑だ」
……連絡坑?
「今の採掘場と、もっと古い坑道を繋いでいた場所だ。ずっと前に閉じられてる」
……なるほど。
俺は扉へ目を向けた。
表面には錆が浮いている。
だが、扉の周囲だけ、石壁の色が少し違う。
まるで、あとから塞いだような跡だ。
……ふむ。
俺は慎重に近づいた。
ただし、扉へは触れない。
まず、近くの壁へ触手を当てる。
《微振動感知》。
……。
……っ。
強い。
今までで、一番。
――コツ。
……。
――コツ、コツ。
……ここだ。
俺は身体を持ち上げた。
「……ここ!」
ラドが近づく。
「この扉の奥か?」
俺は頷いた。
「……たぶん」
ラドは少し険しい表情になった。
「……おかしいな」
……ん?
俺は顔を上げた。
「この連絡坑は、少なくとも50年以上使われてないはずだ」
……50年。
俺は扉を見た。
確かに、随分古そうだ。
錆びた金属。
傷んだ枠。
そして、隙間を埋めるように積まれた石。
……でも。
音は、ここから伝わっている。
俺はもう1度、壁へ触手を当てた。
――コツ。
……。
――コツ、コツ。
……ああ。
やっぱり。
偶然の落石とは、少し違う気がする。
同じ間隔で、何度も繰り返されている。
……誰かが、叩いてるのか?
俺は少し考えた。
すると、ルナが静かに言った。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を向けた。
ルナは扉を見ている。
「こちらから叩いてみてはどうだ?」
……え?
俺は少し驚いた。
……ああ。
なるほど。
それなら、反応があるか確かめられる。
ただし、もし向こうに危険なものがいたら、こちらの存在を知らせることにもなる。
……どうしよう。
俺が考えていると、ラドが口を開いた。
「……試すなら、俺がやる」
……え?
俺は顔を上げた。
「この鉱山の責任者は俺だ。何かいたら、最初に対応するのも俺の仕事だからな」
……なるほど。
俺は少し感心した。
ラドは道具袋から、小さな金槌を取り出した。
そして、扉ではなく、その横の石壁を軽く叩いた。
――コン、コン、コン。
3回。
鉱山の救助信号だ。
……。
しばらく、何も起きなかった。
……ん?
やっぱり、偶然なのか?
俺は壁へ触手を当てたまま、待った。
……。
……。
そのとき。
――……コツ。
……っ!
来た!
俺は身体を止めた。
続いて。
――コツ、コツ。
……あ。
返ってきた。
いや。
同じ音が続いているだけかもしれない。
俺は少し考えた。
でも、今のは。
ラドが叩いた直後だった。
……偶然か?
俺が迷っていると、ラドがもう1度金槌を上げた。
今度は、ゆっくり叩く。
――コン。
少し間を置く。
――コン、コン。
……。
俺は触手へ意識を集中した。
……。
……。
しばらくして。
――……コツ。
……。
――コツ、コツ。
……っ。
まただ。
同じ間隔。
同じ順番。
……これ。
やっぱり、何かがいるんじゃないか?
俺は思わず身体を持ち上げた。
だが、ラドはすぐに金槌を下ろした。
「……今日は、ここまでだ」
……え?
俺は顔を上げた。
ラドは扉を見つめている。
「もし向こうに何かいるなら、無理に刺激するのは危ない。それに、扉の状態も分からん」
……ああ。
そうか。
俺は少し考えた。
確かに、そうだな。
反応があるように見えたからといって、すぐに開けるべきじゃない。
中が崩れているかもしれないし、危険な生き物がいる可能性だってある。
……うん。
今日は、ここまでにしよう。
俺は触手を引っ込めた。
◇
管理所へ戻ると、ラドはすぐに古い図面を探し始めた。
俺とルナは、その隣で待っていた。
しばらくして、ラドが厚い紙の束を取り出す。
「……あった」
……お。
俺は身体を持ち上げた。
「旧第4連絡坑」
ラドが図面を広げた。
そこには、現在の坑道とは違う、古い道が描かれていた。
……へえ。
随分、複雑だな。
俺は目を凝らした。
曲がりくねった坑道。
途中にある小さな部屋。
そして、その先。
……あれ?
俺は少し首を傾げた。
道が、途中で終わっている。
ただし、その先に小さな印が描かれていた。
……何だろう。
ラドが説明する。
「この先は、昔の調査区画だ。詳しい記録が残ってない」
……調査区画?
俺は顔を上げた。
「灯石の新しい鉱脈を探してたらしい。だが、途中で作業を中止してる」
……なるほど。
俺は少し考えた。
50年以上前に閉じられた坑道。
そして、今もその奥から聞こえる音。
……何だ?
本当に、何か生き物がいるのか。
それとも、古い設備が動いているのか。
……分からないな。
俺が考え込んでいると、ルナが図面を覗き込んだ。
「……ラド」
「何だ?」
「この印は、何を示しておる?」
……ん?
俺は顔を向けた。
ルナが指しているのは、道の一番奥にある小さな印。
丸の中に、3本の線が描かれている。
ラドは少し考えた。
「……分からんな。今の鉱山では使わない記号だ」
……そうなのか。
俺は印を見つめた。
何となく。
どこかで見たことがある気がする。
……ん?
俺は少し考えた。
3本の線。
丸い形。
……あ。
俺は思い出した。
カナートで見た、古い金属の留め具。
あの内側にも、3本の斜め線が刻まれていた。
……似てる。
ただし、まったく同じかどうかは分からない。
あっちは工房の印だった。
こっちは鉱山の古い図面。
……関係あるのか?
俺が首を傾げていると、ラドが静かに言った。
「……明日、古い記録をもっと調べてみよう」
……ああ。
俺は頷いた。
「まず、この扉が何のために閉じられたのか。それを確かめてからだ」
……うん。
それがいいと思う。
俺は身体を低くした。
今日分かったことは、いくつかある。
音は、確かに石の中を伝わっている。
特に、旧第4連絡坑の近くで強かった。
そして。
壁を叩くと、同じような間隔で音が返ってきた。
……ただし。
本当に返事だったのかは、まだ分からない。
俺は、もう1度図面を見た。
古い坑道。
その奥にある、不思議な印。
……何だろう。
何か、気になるな。
◇
その夜。
宿の部屋へ戻った俺は、窓際で身体を丸めていた。
ルナは寝台の上で毛並みを整えている。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を向けた。
「今日の音、どう思う?」
……。
俺は少し考えた。
誰かが叩いている。
そう考えると、辻褄が合う部分はある。
だが、50年以上前に閉じられた坑道だ。
今も人がいるとは考えにくい。
……でも。
魔物なら、どうだ?
石の中に住む魔物。
あるいは、古い設備が風や水で動いている可能性もある。
……うーん。
分からないな。
俺は短く答えた。
「……なぞ」
ルナは小さく笑った。
「ふん。珍しく、素直な答えだな」
……いや。
俺、いつも素直だって。
「そういうことにしておこう」
……また、それかよ。
俺が触手を振ると、ルナは楽しそうに笑った。
だが、すぐに真剣な表情へ戻った。
「……明日、また調べるのだな?」
……ああ。
俺は頷いた。
ただし、勝手に奥へ入るつもりはない。
まず、ラドと一緒に記録を確かめる。
それから、どうするか決める。
……うん。
ちゃんと、順番を守ろう。
俺は身体を小さく丸めた。
窓の外では、石灯が淡い光を放っている。
北の岩山は、夜の闇へ沈んでいた。
その奥で、今も何かが動いているのかもしれない。
……不思議だな。
俺は、少しだけ身体を揺らした。
音は、確かにあった。
ただし、何が鳴らしているのかは分からない。
……さて。
明日は、何が分かるだろう。
俺は、ゆっくり意識を落ち着けた。
そのとき。
――……コツ。
……っ。
俺は、思わず身体を止めた。
床。
石の奥から、微かな振動が伝わってくる。
……え?
ここでも?
俺は、すぐに床へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
――……コツ、コツ。
……ああ。
同じだ。
昼間、坑道で感じたものと。
……でも。
ここは、宿だぞ?
鉱山の入口から、随分離れている。
それなのに。
……何で、こんなに近く感じるんだ?
俺は、しばらく動けなかった。
すると、寝台の上でルナが顔を上げた。
「……ノア?」
……。
俺は、短く答えた。
「……また、おと」
ルナの耳が、ぴんと立つ。
「……ここでか?」
俺は頷いた。
……ああ。
ここでも、聞こえる。
いや。
正確には、石を通して感じる。
しかも。
……さっきより。
少しだけ、強い。
俺は、床へ当てた触手をじっと見つめた。
――……コツ。
……。
――……コツ、コツ。
……何だ。
お前。
一体、どこにいるんだ?
答えは返らない。
ただ。
石の奥から、同じ振動が繰り返し伝わってくる。
まるで。
俺たちが気づくまで、ずっと叩き続けていたように。




