第3部 第24話 落ち方を選べ
「飛びたい?」
男は俺を見下ろすと、まるで妙な冗談を聞いたように笑った。
「翼もないのにか?」
……いや。
翼なら、作れるんだけど。
俺は身体の両側を薄く伸ばした。
《構造形成》。
広がった膜が、朝の風を受けて揺れる。
男の笑顔が消えた。
「……おい。まさか、それで飛ぶつもりか?」
俺が頷くと、男は額を押さえた。
「オルド爺さん。あんた、何を連れてきたんだ?」
「面白い旅人だろう?」
「面白いで済むか!」
……。
どうやら俺は、到着早々に厄介者扱いされているらしい。
◇
風渡りの丘を越えた先にある村、カナート。
ここでは、朝から風車が回っていた。
石造りの低い家々には風を逃がすための丸い屋根があり、通りには布の旗ではなく、金属製の小さな風見が取りつけられている。
風向きが変わるたび、町のあちこちから軽い金属音が聞こえた。
……レムナとは全然違うな。
あっちは水車と船の町だった。
こっちは、どこへ目を向けても風を使ったものがある。
大きな風車が穀物を挽き、小さな風車が井戸から水を汲み上げる。洗濯物は低い石壁の内側に張られた縄へ固定され、荷車には風除けの板までついていた。
ここまで徹底していると、何だか感心してしまう。
「ノア。あれは何だ?」
ルナが指した先では、大きな木枠に布を張ったものが並んでいた。
昨日、丘の上から見た風帆だ。
近くで見ると、想像以上に大きい。
横幅は大人が数人並べるほどあり、中央には人が身体を固定するための革帯が取りつけられている。
……うわ。
これ、本当に飛ぶのか。
木と布と縄。
見慣れた材料ばかりなのに、組み合わせると人間が空を渡れる。
異世界に来てから魔法には随分驚かされたけど、こういう技術も負けてないな。
「興味があるなら、工房へ行ってみるか?」
案内してくれていたオルドが言った。
……ぜひ!
俺が勢いよく頷くと、老人は愉快そうに笑った。
「ただし、勝手に空へ飛び出すんじゃないぞ」
……。
昨日の話、まだ覚えてるんですね。
隣でルナが笑いをこらえていた。
◇
風帆の工房は、村の南端にあった。
屋根の下では何人もの職人が布を縫い、木の骨組みを磨いている。
その中央で、1人の男が風帆の翼を調べていた。
短く刈った髪。
日に焼けた顔。
左の眉の上には、古い傷がある。
「ガラン!」
オルドが声をかける。
男は振り返り、俺たちを見た。
「……何だ、その組み合わせは」
……まあ。
普通の旅人には見えないよな。
「丘を越えてきた旅人だ。こっちがルナ、そっちがノア」
「ふん。よろしく頼む」
ルナが堂々と挨拶する。
俺も触手を上げた。
「……よろしく」
ガランは少し目を見開いた。
「喋るのか、お前ら」
「我らは普通に会話できるぞ。ノアはまだ少し苦手だがな」
……そう。
俺は短い言葉しか出せないんです。
ガランは納得したように頷いた。
「俺はガラン。ここの風帆を整備してる。飛ぶ方も教えてるが……」
彼は俺を見た。
「お前さんは何をしたい?」
……飛びたい。
そう答えかけて、少し考えた。
飛ぶと言っても、何をすればいいんだろう。
俺には鳥の翼も、風帆の骨組みもない。
身体を広げることはできるけど、昨日はそれで風に持ち上げられただけだった。
……だったら。
まずは、その違いを知りたい。
俺は工房に並ぶ風帆を指した。
「……おしえて」
ガランが首を傾げる。
「何を?」
「……とびかた」
しばらく沈黙があった。
そして。
「はははっ!」
ガランが大きな声で笑った。
「いいねえ! 飛びたいって奴は山ほどいるが、魔物に教えてくれと頼まれたのは初めてだ!」
……お。
意外と反応がいいな。
俺は少し安心した。
だが、男は笑うのをやめると、真剣な顔になった。
「ただし、先に言っておく。飛ぶのは簡単じゃない」
……ああ。
それは分かってる。
「翼を広げただけじゃ飛べない。風を受ければ浮くことはあるが、浮くのと飛ぶのは別だ」
……。
俺は思わず頷いた。
昨日、身をもって知ったことだ。
ガランは工房の奥から、小さな木製の模型を持ってきた。
風帆を縮めたような形だ。
「まず、これを見ろ」
彼は模型を少し傾け、風の吹く窓際へかざした。
すると、模型がふわりと持ち上がろうとした。
……お。
浮いた。
ガランは角度を変える。
今度は模型が傾き、横へ流れた。
さらに傾けると、急に力を失って落ちる。
……あれ?
さっきまで浮いてたのに。
「風を受ける角度が大事なんだ」
ガランは模型を元へ戻した。
「上へ持ち上げる力を作る。ただし、大きく受ければいいってものじゃない。角度を間違えると、急に支えを失う」
……なるほど。
俺は模型をじっと見つめた。
羽ばたくわけじゃない。
何かの魔法で浮いているわけでもない。
翼の形と角度で、風の力を使っているんだ。
……面白いな。
俺は身体の横へ、細い膜を伸ばした。
今度は闇雲に広げず、模型の形を観察する。
……ここが、少し丸い。
後ろは、薄い。
なるほど。
俺は試しに膜の形を変えた。
ルナが隣から覗き込む。
「……ノア」
……ん?
「今度は、飛ぶ前にちゃんと教わるのだぞ」
……分かってるって。
俺は触手を振った。
ガランは笑いながらも、俺の身体を興味深そうに見ていた。
「……おい。ちょっと待て」
……ん?
「その翼、形を自由に変えられるのか?」
……ああ。
俺は頷いた。
ガランは模型と俺を見比べる。
「……そりゃ、とんでもないな」
……え?
俺は少し驚いた。
そんなにすごいことなのか?
ガランは、風帆の骨組みを指した。
「こっちは木を削って、布を張って、縄で角度を変える。少し形を直すにも手間がかかる」
……ああ。
確かに。
「だが、お前はその場で形を変えられるのか」
……まあな。
俺は少し得意になった。
ただし。
「……まだ、へた」
ガランが笑った。
「そこは、これから覚えればいい」
……お。
そうだな。
俺は小さく身体を揺らした。
◇
「では、さっそく飛ばしてみるか!」
ガランが言った。
……えっ。
もう!?
俺は少し驚いた。
ルナも耳を立てる。
「待て。いきなり空へ出すつもりか?」
「まさか」
ガランは笑った。
「まずは地面の上で、落ちる練習だ」
……落ちる?
俺は首を傾げた。
飛ぶ練習じゃないのか?
ガランは工房の裏へ案内してくれた。
そこには、緩やかな斜面があった。
斜面の先には広い草地。
さらにその奥には、太い縄で囲まれた柔らかな網が張ってある。
……おお。
練習場か。
ガランは足元の木杭を指した。
「ここから少しだけ身体を浮かせる。高くても地面から1、2歩分だ。向きを変えられなかったら、すぐ降りろ」
……なるほど。
確かに、それなら大怪我する危険は少ない。
しかも、命綱まで用意してくれた。
俺は身体の中央へ輪を作り、縄を通した。
レムナで何度も使った方法だ。
ガランが少し驚いた。
「……随分、慣れてるな」
「水の中で何度も使ったのだ」
ルナが答える。
「ふうん。水中探索もできるのか」
……まあ。
それなりに。
俺は少し笑った。
ガランは命綱を確かめると、俺に向き直った。
「さて。翼を作ってみろ」
……よし。
俺は身体の両側を広げた。
ただし、昨日のような大きな膜ではない。
身体の中央を厚く残し、そこから左右へ翼を伸ばす。
前側は少し硬く。
後ろ側は薄く、柔らかく。
《構造形成》。
必要な場所へ《硬質外皮》を集中させる。
……よし。
こんな感じかな。
ガランはしゃがみ込み、俺の身体をじっと観察した。
「……形は悪くない。ただ、翼の付け根が柔らかすぎる」
……付け根?
俺は顔を向けた。
「風を受けると、ここから曲がるぞ。そうなると、翼の角度が安定しない」
……ああ。
なるほど。
俺は翼の付け根を少し厚くした。
その分、先端を短くする。
……どうだ?
ガランは頷いた。
「少しはよくなったな」
……よし。
俺は少し嬉しくなった。
すると、ルナが横から言った。
「……ノア」
……ん?
「随分と奇妙な姿だな」
……え。
俺は自分の身体を見た。
中央は丸く、左右へ薄い翼。
下には短い脚が4本。
……。
…………。
確かに。
何というか。
翼の生えた饅頭みたいだな。
俺が少し落ち込んでいると、ガランが笑った。
「見た目は気にするな。飛べる形なら、それでいい」
……おお。
いいこと言うな。
俺は少し元気になった。
◇
最初の挑戦は、見事に失敗した。
斜面へ立ち、翼を広げる。
風が吹く。
……お。
持ち上がる感じがする。
俺は少し身体を前へ傾けた。
――ふわっ。
……っ!
浮いた!
ほんの少しだけど、足が地面から離れた!
……おお!
すごい!
俺は嬉しくなって翼を広げた。
だが。
――ぐにゃっ。
……え?
翼の片側が、急に曲がった。
身体が横へ傾く。
……あっ。
まずい!
俺は慌てて翼を戻そうとした。
だが、間に合わない。
――ぽすっ。
柔らかな草の上へ、横向きに落ちた。
……。
…………。
……うん。
失敗だな。
「だから言ったろう」
ガランが近づいてくる。
「翼の付け根が安定してない」
……ああ。
本当に。
俺は身体を起こした。
幸い、怪我はない。
落ちた高さも大したことなかった。
だが。
……何でだ?
ちゃんと硬くしたつもりだったんだけどな。
俺は翼の形を確かめた。
あ。
分かった。
左右の厚さが、少し違う。
片方だけ、根元が細かった。
……なるほど。
これじゃ、風を受けたときの曲がり方が違うわけだ。
俺は身体を作り直した。
今度は、左右をできるだけ同じ形にする。
……よし。
もう1度。
◇
2回目。
――ふわっ。
……お。
浮いた!
今度は、さっきより安定している。
……よし。
そのまま。
風に乗って、少し前へ。
だが。
――くるっ。
……ん?
身体が、ゆっくり回った。
……あれ?
何で?
俺は慌てて翼を動かした。
だが、回転が止まらない。
――ぽすっ。
また落ちた。
……。
…………。
……何でだよ!
今度は左右、揃えたのに!
俺は少し悔しくなった。
すると、ガランが笑った。
「翼だけじゃ、方向を保ちにくいんだ」
……え?
俺は顔を上げた。
彼は模型を取り出した。
その後ろには、小さな板がついている。
「尾翼だ。こいつで姿勢を保ちやすくする」
……尾翼。
俺は模型を見た。
確かに、後ろへ小さな板が伸びている。
……ああ。
これか。
ガランは続けた。
「もっとも、尾翼をつければ何でも解決するわけじゃない。身体の重さがどこに集まっているかも大事だ」
……重さ?
俺は少し考えた。
今の俺は、身体の中央がかなり厚い。
翼を作るために、ほかの部分を薄くしている。
……なるほど。
重さの位置も、関係するのか。
俺は少し驚いた。
今まで《構造形成》を使うときは、必要な場所へ身体を伸ばすことばかり考えていた。
でも、飛ぶとなると違う。
全体の形。
重さ。
風の当たり方。
……全部、考えないといけない。
……面倒だな。
でも。
面白い。
俺は身体の後ろへ、小さな尾翼を作った。
中央から細く伸ばし、先端を左右へ広げる。
……よし。
こんな感じか。
ガランは少し目を細めた。
「……今度は、よさそうだな」
……お。
本当?
俺は少し嬉しくなった。
すると、ルナが隣から言った。
「……ノア」
……ん?
「その姿、ますます奇妙になったぞ」
……。
…………。
もう言わないでくれ!
俺は触手を小さく振った。
ルナは楽しそうに笑っていた。
◇
3回目の挑戦。
俺は斜面の上へ立った。
翼を広げる。
尾翼を整える。
身体の中央を、少しだけ前へ。
……よし。
準備できた。
ガランが命綱を確かめる。
「いいか。浮いたら、慌てて翼を広げるな。まず、姿勢を保て」
……了解。
俺は頷いた。
風が吹く。
最初は弱く。
そして、少しずつ強くなる。
……今だ。
俺は脚を短くし、身体を前へ傾けた。
――ふわっ。
……っ!
浮いた。
今度は、落ちない。
……お。
おお。
いける!
俺は身体を少しだけ動かした。
左右の翼が、風を受ける。
後ろの尾翼が、姿勢を保つ。
……よし。
そのまま。
ゆっくり、前へ。
……っ。
動いた!
本当に、前へ進んだ!
俺は少し興奮した。
だが、すぐに自分を落ち着かせた。
……待て。
ここで調子に乗ったら、また落ちる。
俺は翼の角度を保った。
身体を大きく動かさない。
風の力を、少しずつ受ける。
……よし。
そのまま。
もう少し。
――ふわっ。
身体が、緩やかに前へ滑った。
……おお。
すごい!
俺、飛んでる!
ほんの少しだけど。
地面から離れて。
自分の意思で、進んでいる!
……っ。
嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しい!
俺は、思わず身体を持ち上げた。
……あ。
しまった。
――ぐらっ。
姿勢が崩れる。
……まずい!
俺はすぐに尾翼を動かした。
だが、戻しきれない。
身体が斜めに傾く。
……くそっ!
ここで落ちるのか!?
いや。
待て。
落ちるなら。
……ちゃんと、落ちればいい!
俺は翼を少し畳んだ。
風を受ける面積を減らす。
さらに、身体の下側へ柔らかな膜を広げる。
《緩衝膜》。
……よし。
地面が近づく。
――ぽふっ。
……っ!
着地!
俺は短い脚を広げた。
《粘着性》。
地面へ固定する。
……。
…………。
……おお。
降りられた。
ちゃんと。
自分で、着地できた!
俺は思わず身体を大きく揺らした。
「……とべた!」
その声に、ガランが笑った。
「ああ。少しだけな!」
……少しでも、十分だ!
俺は嬉しくなって触手を高く上げた。
すると、ルナが駆け寄ってきた。
「……ノア!」
……お!
俺は顔を向けた。
ルナは、少しだけ目を輝かせていた。
「今のは、見事だったぞ!」
……本当?
俺は身体を持ち上げた。
ルナは頷いた。
「うむ。昨日のように飛ばされるのではなく、ちゃんと自分で進んでおった」
……ああ。
そうなんだよ。
そこが違うんだ。
俺は少し嬉しくなった。
だが、ルナは続けた。
「もっとも、最後は随分と慌てておったがな」
……。
……そこは、見逃してくれないんですね。
俺が触手を引っ込めると、ルナは楽しそうに笑った。
◇
「さて」
ガランが腕を組んだ。
「ここからが本番だな」
……え?
俺は顔を上げた。
「今ので分かっただろう。浮くことと、飛ぶことは違う」
……ああ。
俺は頷いた。
「飛んでいる間は、ずっと自分の姿勢を調整しなきゃならん。風は、同じようには吹いてくれないからな」
……そうだな。
俺は自分の翼を見た。
今は、もう小さく畳んでいる。
たった数歩分の距離を飛んだだけで、随分と神経を使った。
しかも、最後は姿勢を崩してしまった。
……うーん。
まだまだだな。
ガランは続けた。
「だが、お前には面白い可能性がある」
……ん?
俺は顔を上げた。
「普通の風帆は、飛んでいる途中で翼の形を大きく変えることができない。だから、縄や身体の重心で調整する」
……ああ。
そうか。
「だが、お前は翼そのものを変えられる。上手く使えれば、普通の風帆とは違う飛び方ができるかもしれん」
……おお。
それは、面白そうだ。
俺は少し興奮した。
だが。
ガランは、すぐに真剣な顔になった。
「ただし、今のお前じゃ谷を越えるのは無理だ」
……。
……はい。
分かってます。
俺は素直に身体を低くした。
ガランは笑った。
「いい返事だ。まずは、自分で安全に降りられるようになれ」
……なるほど。
俺は少し考えた。
飛ぶ練習。
なのに、最初に教えられたのは、落ち方だった。
でも。
今なら、少し分かる。
飛ぶことを覚えれば覚えるほど、失敗したときの危険も大きくなる。
だからこそ。
ちゃんと降りる方法を知らなきゃいけない。
……うん。
大切なことだな。
俺は静かに頷いた。
◇
夕方。
練習を終えた俺たちは、カナートの広場へ戻っていた。
風車は相変わらず回り続けている。
その下では、村の人たちが荷物を運び、子どもたちが小さな風車のおもちゃで遊んでいた。
俺は石段の上で、身体を少し丸めた。
……疲れた。
本当に。
たった数歩分、空を滑っただけなのに。
水中を泳いだときとは、また違う疲れ方だ。
翼を保つために身体の形を細かく調整し続ける。
そのうえ、左右の力の差も気にしなきゃいけない。
……うーん。
これは、かなり練習が必要だな。
すると、ルナが隣へ座った。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を向けた。
ルナは、広場の向こうへ目を向けていた。
「今日は、楽しそうだったな」
……ああ。
俺は頷いた。
「……たのしい」
ルナは小さく笑う。
「そうか」
……うん。
俺は少しだけ身体を持ち上げた。
洞窟で目を覚ました頃。
俺は、まともに歩くことさえできなかった。
自分の身体が何なのかも分からず、ただ目の前のものを食べて、生き延びることしか考えられなかった。
それが今では。
歩ける。
泳げる。
水の中を速く動ける。
そして。
ほんの少しだけど、空を滑ることもできた。
……すごいな。
俺。
本当に、いろんなことができるようになった。
もちろん、まだまだ足りない。
もっと強くなりたい。
もっと自由に動きたい。
……でも。
こうして振り返ると。
確かに、少しずつ進んでいるんだな。
俺は自分の身体を見た。
《構造形成》。
《弾性組織》。
《硬質外皮》。
《緩衝膜》。
今まで覚えた性質を、少しずつ組み合わせる。
それだけで、こんなにいろんなことができる。
……うん。
やっぱり、面白い。
すると、ルナが静かに言った。
「……ノア」
……ん?
「いつか、本当に空を飛べるようになると思うか?」
……。
俺は、少し考えた。
今日、ほんの少しだけ飛べた。
でも、自由に飛べたわけじゃない。
風が弱ければ、浮けない。
強すぎれば、姿勢を崩す。
高い場所から飛ぶには、まだ危険が多すぎる。
……だけど。
俺は、ゆっくり頷いた。
「……なる」
ルナが、少し驚いたように俺を見た。
「……ほう?」
俺はもう1度、短く言った。
「……いつか」
ルナは、しばらく黙っていた。
それから、静かに笑った。
「……うむ。楽しみにしておるぞ」
……おう。
俺は少し嬉しくなった。
すると、ルナが続けた。
「ただし」
……ん?
「我を乗せる約束は、忘れておらぬだろうな?」
……あ。
そうだった。
俺は思わず身体を揺らした。
「……わすれない」
ルナは満足そうに頷いた。
「よし」
……ただし。
そのためには、もっと大きな翼が必要だろうな。
それに、俺1人で飛ぶのと、ルナを乗せるのとでは話が違う。
重さも増えるし、姿勢も変わる。
……うーん。
まだ先の話だな。
俺が少し考え込むと、ルナが楽しそうに笑った。
「ふん。今から悩んでおるのか?」
……まあな。
ルナは、空へ目を向けた。
「急ぐことはあるまい。我らは、まだ旅の途中なのだからな」
……ああ。
そうだな。
俺は静かに頷いた。
村の上では、何匹ものフウバネが風に乗っていた。
薄い翼を広げ、ほとんど羽ばたくことなく、自由に空を滑っていく。
……いつか。
俺も、あんなふうに飛んでみたい。
ルナと一緒に。
まだ見たことのない景色を、空から眺めてみたい。
俺は、ゆっくり身体を持ち上げた。
そして、夕日に染まる空を見つめた。
◇
その夜。
俺たちはカナートの宿で、風帆の話をしていた。
……いや。
正確には、ルナがずっと話していた。
「まず、我が前に乗るべきだな」
……え?
俺は顔を上げた。
「貴様の身体では、風を受けるときに邪魔になるかもしれぬ。ならば、我が上に乗ればよい」
……うーん。
それ、どうなんだ?
俺は少し考えた。
身体の上にルナが乗ったら、重さが上へ偏る。
それに、風を受けたときに姿勢が崩れやすくなるかもしれない。
……いや。
そもそも、まだ俺1人でもまともに飛べないんだけど。
「あるいは、背中へ乗ってもよいな」
……。
……ルナ。
ちょっと楽しみすぎじゃないか?
俺が身体を揺らすと、ルナは不思議そうに首を傾げた。
「何だ?」
……いや。
何でもない。
俺は少し笑った。
まあ、いいか。
ルナが楽しみにしてくれるなら。
俺も、もっと頑張ろう。
俺は身体の端を少し伸ばした。
薄い膜。
小さな尾翼。
そして、左右へ広がる翼。
……よし。
明日は、もう少しだけ上手く飛べるかな。
そう考えた瞬間。
ルナが、じっと俺を見た。
「……ノア」
……はい。
「今日は、もう練習しないのであろう?」
……。
…………。
……しません。
俺は素直に翼を引っ込めた。
ルナは満足そうに頷いた。
「うむ。それでよい」
……本当に。
俺の相棒、最近は随分と厳しいな。
俺は少し笑いながら、身体を丸めた。
窓の外では、風車が静かに回っている。
そして、遠くの丘からは、風笛石の音が聞こえていた。
――ヒュウウ……。
……明日も、いい風が吹くといいな。
俺は、そんなことを考えながら。
ゆっくりと、意識を落としていった。




