第3部 第22話 風は地図に描けない
「……ノア。貴様、飛べるのか?」
……飛べない。
少なくとも、今までは。
「ならば、なぜ浮いておる?」
……。
…………。
それは、俺が聞きたい。
地面は、すでに足元から離れていた。
身体の端が風を受け、ぐいぐいと上へ引っ張られる。
ああ、なるほど。
《構造形成》で薄く広げた身体って、こういう使い方もできるのか。
……いや。
感心してる場合じゃない!
俺は慌てて触手を伸ばした。
「……ルナ!」
「だから言わんことではない!」
白銀の相棒が、地面を蹴った。
◇
その日の朝。
レムナの冒険者ギルドには、久しぶりに旅人の姿が増えていた。
荷物を背負った男。
大きな杖を持つ老人。
何枚もの地図を広げている行商人。
……おお。
随分、賑やかだな。
俺とルナが受付へ近づくと、シエナが顔を上げた。
「あら、ちょうどよかったです」
……ん?
俺は触手を持ち上げた。
「……おはよ」
「おはようございます。お二方へお知らせがあります」
シエナは、机の上へ書類を置いた。
「南街道の通行制限が、今朝解除されました」
……っ!
おお!
本当に!?
俺は思わず身体を高く持ち上げた。
ルナも耳を立てる。
「では、風渡りの丘へ向かえるのだな?」
「ええ。ただし、増水で傷んだ道があるため、途中までは迂回路を使ってください」
……迂回路。
俺は、昨日もらった地図を取り出した。
シエナは机へ広げ、レムナの南側を指した。
「ここです。川沿いの低い道は、まだぬかるんでいます」
……ああ。
確かに、川の近くなら水が引いても地面が乾くまで時間がかかるよな。
「こちらの高台へ上がって、白い道標に沿って進んでください。古い街道と合流できます」
俺は指の動きを追った。
南門。
丘へ続く細い道。
そして、曲がり角に描かれた3本の短い線。
……これが道標か。
「……しろ?」
「ええ。白く塗られた杭です。3本並んでいますから、すぐ分かると思いますよ」
……なるほど。
俺は線の形を覚えた。
続いて、道の脇に描かれた文字へ目を向ける。
……うーん。
まだ読めない。
昨夜、レムナという文字を練習したばかりだからな。
すると、シエナが小さな紙を取り出した。
「よければ、こちらもどうぞ」
……ん?
紙には、簡単な絵が描かれていた。
門。
3本の白い杭。
そして、風に傾いた木。
その下に、短い文字が添えられている。
……お。
分かりやすい!
「道の特徴を描いてみました。文字も一緒に覚えられるかと思って」
……ありがたい。
俺は何度も頷いた。
「……ありがと!」
シエナが笑う。
「道中、お気をつけて」
ルナは地図を覗き込みながら言った。
「ふむ。これなら迷わずに済みそうだな」
……ああ。
ただし。
俺は絵をもう1度見た。
風に傾いた木。
……この木。
何か、ものすごく曲がってないか?
シエナは、俺の視線に気づいたらしい。
「風渡りの丘へ近づくと、風がかなり強くなります。荷物が飛ばされないように注意してくださいね」
……なるほど。
そのために、こんな木の絵があるのか。
俺は素直に納得した。
このときは、まだ。
その注意を、もう少し真剣に聞いておくべきだったと知らなかった。
◇
ギルドを出ると、南門へ続く大通りは多くの荷車で賑わっていた。
増水の影響で止まっていた荷物が、一斉に運び出されているらしい。
俺たちは人混みを避けながら歩いた。
……あ。
あそこ。
見覚えのある姿を見つけた。
水運組合のバルドだ。
荷車の荷台を確認し、作業員たちへ指示を出している。
「おう! ノアにルナじゃねえか!」
……おお。
俺は触手を上げた。
「……こんにちは」
「聞いたぞ。今日、町を出るんだって?」
……ああ。
俺は頷いた。
バルドは大きく笑った。
「そりゃ寂しくなるな。お前さんたちには随分助けられた」
「ふん。我らがいなくとも、もう大丈夫であろう」
ルナが胸を張る。
バルドは頷いた。
「ああ。古い水門の修理も本格的に始まってる。あとは俺たちの仕事だ」
……そっか。
俺は少し安心した。
地下の水路。
古い設備。
そして、あの大きな魔物たち。
まだ分からないことも多いけど、町にはネリやジェド、ドーラたちがいる。
これから先は、みんなが調べてくれるんだろう。
「そうだ」
バルドが荷台から小さな包みを取り出した。
「こいつ、持っていきな」
……ん?
包みを受け取る。
中に入っていたのは、乾燥させた肉と魚だった。
……おお。
食料!
「南の丘へ上がると、しばらく店が少なくなるからな。荷物にならねえ程度に持っとけ」
……ありがたい!
俺は触手を持ち上げた。
「……ありがと!」
バルドが笑う。
「礼なんざいい。またレムナへ来たら、船を見に寄ってくれ」
……おう。
もちろん。
ルナは包みをじっと見つめていた。
「……ノア」
……ん?
「その肉は、長く保存できるのか?」
……多分。
俺はバルドを見た。
「きちんと乾かしてあるから、普通の生肉よりは持つぞ。湿らせないようにしてくれ」
ルナは満足そうに頷いた。
「うむ。では、安心だな」
……いや。
何が安心なのか、少し嫌な予感がする。
俺が包みを荷物へしまうと、ルナは何食わぬ顔で歩き出した。
……おい。
今、全部食べる算段を立ててないよな?
◇
南門へ向かう途中、俺たちはドーラの工房にも立ち寄った。
「おや。もう出発かい?」
……ああ。
俺は荷物を持ち上げた。
ドーラは、俺とルナの留め具をひととおり確かめてくれた。
「うん。問題ないね」
……よし。
俺は身体を伸ばしたり縮めたりしてみる。
荷物は、ほとんどずれない。
以前なら、身体の形を変えるたびに紐を調整していた。
でも、今は随分楽になった。
ドーラのおかげだな。
「ただ、1つ忠告しとくよ」
……ん?
俺は顔を上げた。
ドーラは荷物の留め具を指した。
「丘へ行ったら、紐を短めにしておきな。風に引っ張られると、身体ごと持っていかれることがあるからね」
……へえ。
そんなに強いのか。
俺は少し驚いた。
ルナが、隣から言った。
「我ならば、風などに負けぬぞ」
……お。
頼もしいな。
ドーラは笑った。
「そりゃ結構。でも、あんたの尻尾は風を受けそうだねえ」
「……む?」
ルナが自分の尻尾を見た。
ふさふさとした白銀の毛並み。
確かに、風に吹かれたら随分広がりそうだ。
……ちょっと見てみたいな。
俺が身体を揺らしていると、ルナがこちらを見た。
「何を笑っておる?」
……いや。
何でもない。
俺は慌てて触手を引っ込めた。
ドーラは豪快に笑った。
「はははっ! ま、気をつけて行きな!」
……ああ。
俺たちは工房をあとにした。
◇
南門を抜けると、景色が変わった。
町の石畳は終わり、土の道が続いている。
両側には草地が広がり、その先には緩やかな丘が見えた。
……おお。
久しぶりだな。
こういう景色。
レムナでは、毎日水路や石の建物に囲まれていた。
だから、遠くまで見渡せる草原が何だか新鮮だった。
俺は少しだけ身体を高く持ち上げた。
空が広い。
雲が流れている。
そして、風が吹いている。
……気持ちいいな。
俺は身体の端を伸ばし、風を受けてみた。
――ふわっ。
……お。
動いた。
ほんの少し、身体が押される。
……なるほど。
水と違って、空気は目に見えない。
《水流感知》も使えない。
でも、身体へ当たる力は分かる。
……面白いな。
俺は触手を細く伸ばした。
風が当たる。
少し曲がる。
……うん。
こういう力の受け方もあるんだ。
「ノア」
ルナが横から言った。
……ん?
「何をしておる?」
「……かぜ」
俺は短く答えた。
ルナは首を傾げる。
「風?」
俺は頷き、触手をもう1本伸ばした。
今度は、少し平たい形へ。
――ふわっ。
……おお。
さっきより、強く押された。
……なるほど。
面積を広げると、受ける力も大きくなるのか。
俺は少し嬉しくなった。
だが、ルナはじっと俺を見つめていた。
「……ノア」
……ん?
「その顔は、何か試そうとしておるな?」
……え。
俺は動きを止めた。
……何で分かるんだよ。
ルナは、少しだけ呆れたように言った。
「休んだばかりなのだから、無茶はするでないぞ」
……分かってる。
俺は触手を振った。
ただ、ちょっと気になるだけだ。
水の中では、流れを利用して移動できるようになった。
だったら。
風だって、上手く使えないだろうか。
……何となく、そんなことを考えていた。
◇
しばらく歩くと、道が2つに分かれた。
片方は、川沿いへ下りていく道。
もう片方は、緩やかな坂を上っていく道だ。
……お。
ここだな。
俺は地図を広げた。
シエナが描いてくれた絵を確かめる。
門。
3本の白い杭。
風に曲がった木。
……よし。
まずは、白い杭を探すんだったな。
俺たちは周囲を見回した。
すると。
「あったぞ」
ルナが、少し先を指した。
……お!
俺も目を向けた。
確かに、道の脇に白い杭が並んでいる。
ただし。
……ん?
2本しかない。
俺は首を傾げた。
シエナの絵では、3本だったはずだ。
……あれ?
俺が地図を見直していると、ルナが近づいてきた。
「……どうした?」
「……みっつ」
俺は絵を指した。
続いて、目の前の杭。
「……ふたつ」
ルナが目を細めた。
「……なるほど」
……だろ?
俺は少し考えた。
間違えたのかもしれない。
それとも、1本倒れたのか。
俺は道の脇へ近づいた。
草の間には、短く折れた白い木片が落ちていた。
……あ。
これか。
どうやら、増水か何かで杭が折れたらしい。
俺は折れた木片を持ち上げた。
先端には、白い塗料が残っている。
……なるほど。
だったら、ここで合ってるな。
俺はルナへ見せた。
「……みっつ」
ルナが頷く。
「うむ。これで間違いあるまい」
……よし。
俺たちは坂道へ進んだ。
しかし、少し歩いたところで。
――びゅうっ。
強い風が吹いた。
……お。
さっきより、随分強いな。
草が一斉に倒れる。
ルナの毛並みも、大きく揺れた。
……おお。
尻尾、すごいことになってる。
俺が眺めていると、ルナがこちらを睨んだ。
「……何だ?」
……いや。
何でもない。
俺は慌てて前を向いた。
だが、次の瞬間。
――びゅううっ!
さらに強い風が吹いた。
……っ!
俺の身体が、大きく押された。
……おいおい。
これ、結構すごいぞ。
俺は反射的に脚を広げた。
《粘着性》。
地面へ固定する。
……よし。
止まった。
ただし、風はまだ吹いている。
俺は自分の身体を確かめた。
今の形は、少し横幅が広い。
風を受けやすいらしい。
……なるほど。
だったら。
俺は身体を少し細くした。
高さも低くする。
脚は4本から6本へ増やした。
ただし、1本ずつは細い。
……よし。
これなら、地面へしっかり固定できる。
俺は慎重に歩き始めた。
……お。
いける。
風を受ける面積が小さくなった分、さっきより安定している。
……なるほど。
水中とは、また違うな。
俺は少し楽しくなった。
すると、ルナが隣で言った。
「……貴様、随分と低くなったな」
……ああ。
風対策だよ。
俺は身体を持ち上げようとした。
だが、やめた。
今は、低い方がいい。
「……かぜ、つよい」
ルナは頷いた。
「うむ。我も少々歩きにくい」
……ああ。
そうか。
俺はルナを見た。
白銀の毛並みが、風に大きく揺れている。
特に尻尾は、風を受けて横へ流されていた。
……大変そうだな。
俺は少し考えた。
……そうだ。
風を遮れれば、歩きやすくなるんじゃないか?
俺は身体の横から、薄い膜を伸ばした。
《構造形成》。
《緩衝膜》。
柔らかな壁のように、ルナの風上へ広げる。
……よし。
これなら。
――びゅうううっ!!
……っ!?
突然、ものすごい力で膜が引っ張られた。
……え。
ちょっと待て。
何だ、これ!
俺は反射的に脚へ力を込めた。
《粘着性》。
だが。
――ずるっ。
……っ!!
地面から、脚が剥がれた。
……ええっ!?
身体が持ち上がる。
薄く広げた膜が、風を受けて大きく膨らんでいた。
……おいおい。
これ。
完全に、帆じゃないか!
しかも。
俺の身体が、その帆そのものになっている!
……まずい!
俺は慌てて膜を縮めようとした。
だが、風の力が強い。
広げた部分をうまく畳めない。
……くそっ!
その瞬間。
地面が、足元から離れた。
◇
「……ノア。貴様、飛べるのか?」
……飛べない!
俺は必死に触手を動かした。
だが、広がった身体は風に引っ張られ、ぐいぐいと前へ流される。
……ちょっと待て。
これ、どうすれば止まるんだ!?
俺は慌てて脚を伸ばした。
だが、地面へ届かない。
……まずい。
このままじゃ、坂の向こうへ飛ばされる!
「……ルナ!」
俺が叫ぶと、白銀の相棒がすぐに反応した。
「だから言わんことではない!」
ルナが地面を蹴る。
風に逆らいながら、俺の下へ走ってくる。
……おお。
速い!
俺は触手を伸ばした。
ルナも前脚を伸ばす。
だが、あと少し届かない。
……くそっ!
俺は身体の端を細く伸ばした。
《構造形成》。
さらに、その先端を鉤の形にする。
……届け!
ルナがもう1度跳んだ。
――ぱしっ!
……っ!
触手が、ルナの荷物の留め具へ引っかかった。
……よし!
捕まえた!
だが。
――ぐいっ!
……おい。
まだ、引っ張られる!
俺は身体を縮めようとした。
すると、ルナが地面へ爪を立てた。
「……ノア!」
……はい!
「膜を畳め!」
……分かってる!
でも、風が強くて形が崩れるんだよ!
俺は必死に身体へ意識を集中した。
《構造形成》。
薄い部分を、少しずつ分ける。
大きな膜を、一気に畳もうとするから無理なんだ。
だったら。
……穴を開ければいい!
俺は膜の中央を分けた。
風が、そこを通り抜ける。
――びゅうっ!
……お!
引っ張られる力が、少し弱まった。
さらに、もう1つ。
膜の端へ、細い隙間を作る。
――びゅううっ!
……よし!
風が抜ける。
身体が、ゆっくり下がり始めた。
……あと少し!
俺は広がった膜を細い帯へ変えた。
《弾性組織》。
引っ張られても急に千切れないよう、根元を柔らかく保つ。
……よし。
今度は、風を受ける面積が小さくなった。
身体が、ようやく地面へ近づく。
――ぽすっ。
……っ!
着地!
俺はすぐに6本の脚を広げた。
《粘着性》。
地面へ固定する。
……ふう。
助かった。
本当に。
俺はしばらく動けなかった。
すると、ルナがゆっくりこちらを向いた。
「……ノア」
……はい。
「何か、言うことはあるか?」
……。
俺は少し考えた。
そして、短く答えた。
「……ごめん」
ルナは大きくため息をついた。
「まったく。水の次は空か」
……いや。
飛びたかったわけじゃないんだよ。
俺は触手を小さく揺らした。
「風を防ぐつもりで、自分が飛ばされるとはな」
……。
返す言葉もありません。
ルナは、しばらく俺を見つめていた。
それから。
「……ぷっ」
……ん?
「ふ、ふふっ……」
……おい。
笑ってる?
ルナはとうとう声を上げた。
「はははっ! あれだけ真剣な顔で風を受けて、最後は凧のように飛ぶとは!」
……うるさいな!
俺だって、好きで飛んだわけじゃない!
俺が触手を振ると、ルナはますます笑った。
……まったく。
本当に。
……でも。
俺も、少し面白くなってきた。
確かに。
あれは、なかなか間抜けだったと思う。
◇
風が少し弱まったところで、俺たちは坂道を進み始めた。
今度は、無理に身体を広げない。
低い姿勢。
短い脚。
必要な場所だけ《粘着性》。
……うん。
これなら、安定して歩ける。
俺は身体の端を少し伸ばし、風を受けてみた。
ただし、今度は細い帯のまま。
……なるほど。
これくらいなら、引っ張られない。
しかも、身体の表面へ当たる力で、風向きも少し分かる。
もちろん、《水流感知》のように遠くの流れまで読めるわけじゃない。
ただ、触れている空気がどちらへ押しているか。
それくらいなら、確かめられそうだ。
……面白いな。
俺は少し考えた。
水の中では、水を押し出して進んだ。
陸の上では、脚を作って歩けるようになった。
そして、今度は風。
……まだ、できることがあるかもしれない。
もちろん。
さっきみたいに飛ばされるのは、もう勘弁だけど。
俺が考えていると、ルナが隣へ来た。
「……ノア」
……ん?
「今度は、何を考えておる?」
……え。
俺は少し迷った。
だが、正直に答えることにした。
「……かぜ、つかう」
ルナが目を細めた。
「……ほう?」
俺は頷いた。
「……れんしゅう」
しばらくして。
ルナは、静かに笑った。
「……ふん。懲りぬ奴だな」
……まあ。
それは、否定できない。
でも。
ルナは続けた。
「今度は、我も一緒に考えてやろう」
……お。
俺は少し驚いた。
「貴様1人に任せると、また空へ飛んでいきそうだからな」
……。
……そういう理由か。
俺は思わず身体を揺らした。
だが、悪くない。
1人で考えるより、2人で試した方がいい。
それに。
ルナがいれば、万が一また飛ばされても助けてくれるだろう。
……いや。
最初から、飛ばされない方法を考えるべきだな。
俺は小さく頷いた。
「……たのむ」
ルナは得意そうに胸を張った。
「任せよ」
◇
夕方。
俺たちは、風渡りの丘の手前にある小さな休憩所へ到着した。
石を積んで作られた低い壁。
その内側には、旅人が休める平らな場所がある。
今日は、ここで夜を過ごすことにした。
……おお。
ちゃんと風除けがあるんだな。
俺は壁の内側へ入り、身体を伸ばした。
さっきまでの風が嘘のように弱く感じる。
……なるほど。
こういう場所があるだけで、随分違う。
ルナも隣へ座った。
「ふむ。悪くない場所だ」
……ああ。
俺は荷物を下ろした。
バルドからもらった食料を取り出す。
乾燥させた肉と魚。
……さて。
今日は、どっちにするかな。
俺が包みを開くと、ルナの耳がぴくりと動いた。
……あ。
やっぱり。
俺は思わず身体を揺らした。
「……にく?」
ルナが即座に答える。
「うむ!」
……即答かよ。
俺は肉を少し取り分け、ルナの前へ置いた。
残りは、明日以降のためにしまっておく。
ルナは少し残念そうに見ていたが、文句は言わなかった。
……よし。
ちゃんと分かってるじゃないか。
俺も食料を少し取り込み、身体の回復へ回した。
今日、風に飛ばされたときは、思った以上に力を使ってしまった。
でも、怪我はほとんどない。
……よかった。
俺は身体を丸めた。
すると、ルナが静かに言った。
「……ノア」
……ん?
「この町を出て、よかったか?」
……え?
俺は少し驚いた。
ルナは遠くを見ていた。
丘の向こうには、レムナの町が小さく見える。
高い建物。
川。
そして、夕日に照らされた水面。
……ああ。
俺は、少し考えた。
レムナは、いい町だった。
いろんな人と出会った。
新しい能力も覚えた。
地下水域を調べ、巨大な魔物を助けた。
町の人たちと、仕事もした。
……うん。
忘れたくない場所だ。
でも。
俺は、目の前の景色へ目を向けた。
丘。
風。
広い空。
そして、その先に続く道。
……やっぱり。
俺は、まだ先へ行きたい。
俺は静かに頷いた。
「……よかった」
ルナが顔を向けた。
俺は続けた。
「……つぎ、みたい」
ルナは、しばらく黙っていた。
それから。
「……うむ」
小さく頷いた。
「我もだ」
……ああ。
そうだな。
俺は身体を少し揺らした。
すると、ルナが付け加えた。
「ただし、明日は風に飛ばされるでないぞ」
……。
……はい。
分かりました。
俺が身体を低くすると、ルナは楽しそうに笑った。
◇
夜。
風は、まだ吹いていた。
だが、石壁の内側にいれば、それほど強くは感じない。
俺は少しだけ身体を伸ばし、壁の向こうを眺めた。
風渡りの丘。
その稜線が、星明かりの下で黒く浮かび上がっている。
……明日は、あそこを越えるのか。
俺は少し楽しみになった。
そのとき。
――ヒュウウ……。
……ん?
俺は身体を止めた。
風の音。
いや。
少し違う。
高い音が、遠くから聞こえてくる。
笛みたいな。
細い金属が震えているような。
……何だろう。
俺は《視覚》で丘の方を確かめた。
暗くて、よく分からない。
ただ、稜線の上に細長い影がいくつか立っている。
木?
それとも、石の柱?
……ん?
俺が首を傾げていると、隣でルナが耳を立てた。
「……ノア」
……ん?
「聞こえるか?」
……ああ。
俺は頷いた。
「……おと」
ルナは丘を見つめた。
「風の音に混じって、何かが鳴いておるようにも聞こえるな」
……鳴いてる?
俺はもう1度、耳を澄ませるつもりで周囲へ意識を向けた。
――ヒュウウ……。
細い音が、長く続く。
それから、少し低い音が重なった。
……おお。
確かに。
ただの風とは、少し違う。
だが、何の音なのかは分からない。
ルナも同じらしい。
「……明日、確かめてみるか」
……ああ。
俺は静かに頷いた。
「……いこう」
ルナは満足そうに笑った。
「うむ」
俺たちは、もう1度丘へ目を向けた。
水の町を離れ、風の丘へ。
まだ、知らないことばかりだ。
でも。
それが、いい。
俺は少しだけ身体を持ち上げた。
すると、風が吹いた。
――びゅうっ。
……っ!
俺は反射的に身体を低くした。
《粘着性》。
地面へ固定する。
……よし。
今度は、飛ばされないぞ。
ルナが隣で吹き出した。
「……ふふっ」
……おい。
笑うなって。
俺も、少しだけ身体を揺らした。
そして、星明かりの下で静かに鳴る丘を見つめた。
――ヒュウウ……。
風は、まだ止まない。
どうやら、次の旅は。
あの音の正体を確かめるところから始まりそうだった。




