第3部 第18話 鳴り続ける床
――ゴン。
倉庫の床が鳴った。
……ん?
俺は足を止めた。
――ゴン、ゴン。
続けて2回。
誰かが床下から叩いているような、鈍い音だった。
「……これです」
南第6倉庫の管理人が、青ざめた顔で言った。
「昨夜から、ずっと続いているんですよ」
……なるほど。
確かに、気になる音だな。
俺は石畳に触手を伸ばした。
《微振動感知》。
……あ。
床の下で、何かが動いている。
しかも、ただの水音じゃない。
硬いものが、一定の間隔でぶつかっている。
……さて。
何がいるんだ、そこに。
◇
翌朝。
俺たちはレムナ南部の南第6倉庫を訪れていた。
昨日の会議で、地下水域から南へ伸びる古い排水路が、この倉庫の下を通っている可能性が分かった。
そして昨夜。
倉庫の管理人から、床下で奇妙な音がするという届け出があったらしい。
……タイミングがよすぎないか?
まあ、昨日までも鳴っていたけど、気づかなかっただけかもしれない。
今回の調査には、ネリとジェド、職人のドーラが同行していた。
水運組合のバルドもいる。
自分たちが使っている倉庫だから、現場を確かめたいそうだ。
「荷物の搬入は止めてある」
バルドが言った。
「中で働いてる連中にも、今日は外へ出てもらった。必要なら、積み荷も移動させる」
……おお。
準備が早いな。
倉庫の管理人は、不安そうに奥を見つめていた。
「床が抜けたりしませんよね?」
「まだ分からないわ」
ネリが答える。
「だから、まず調べるのよ」
……うん。
そのとおりだ。
俺は倉庫の中を見回した。
木箱。
穀物の袋。
大きな樽。
その間を、荷物を運ぶための広い通路が伸びている。
建物そのものは、かなり頑丈そうだった。
だが、床の一部だけ、板の継ぎ目が不自然に広くなっている。
……あれ?
俺はそこへ近づいた。
触手を床へ当てる。
《微振動感知》。
……。
――ゴン。
……お。
ここが一番強い。
俺は何度か場所を変えて確かめた。
右側では弱い。
左側も、それほどではない。
でも、中央の広い通路へ戻ると、はっきり伝わってくる。
……この下だな。
俺は身体を持ち上げた。
「……ここ」
ネリが近づいてくる。
「そこが一番強いの?」
俺は頷いた。
「……した」
バルドが床を見た。
「……待てよ。そこは昔、荷重を量る台があった場所じゃねえか?」
……荷重?
「荷車ごと重さを量る設備だ。今は使ってねえが、床の下に機械が残ってたはずだぞ」
ドーラが目を細めた。
「……なるほど。だったら、点検用の蓋があるかもしれないね」
……お。
それは助かる。
俺たちは周囲の荷物をどかし、床板を調べ始めた。
◇
「……これだね」
ドーラが見つけたのは、床へ埋め込まれた四角い金属板だった。
表面には木材が張られており、周囲の床とほとんど見分けがつかない。
だが、端に小さな穴があった。
「ここへ棒を入れて、持ち上げる仕組みだよ」
……なるほど。
俺は穴を覗いた。
かなり狭い。
人間の指は入らないだろう。
……また、俺の出番かな。
「ノア」
ドーラがこちらを向く。
……はい。
分かってます。
俺は細い触手を伸ばした。
《構造形成》。
先端を小さな鉤の形へ変える。
穴へ差し込み、内側の金具を探した。
……お。
あった。
横向きの留め具だ。
俺は鉤を引っかけ、ゆっくり動かした。
――カチッ。
……よし。
外れた。
ドーラとジェドが金属板を持ち上げる。
――ギギギッ。
重い音とともに、蓋が開いた。
その下には、暗い空間が広がっていた。
……おお。
本当にあった。
石造りの壁。
古い木の梁。
そして、その下を流れる黒い水。
……ん?
俺は目を凝らした。
倉庫の床下に、水路がある。
しかも、かなり広い。
「……こいつは驚いた」
ジェドが呟いた。
ネリはすぐに古い図面を広げた。
「位置も合っているわ。旧南排水路で間違いなさそうね」
……なるほど。
これで、地下水域と倉庫が繋がっている可能性はかなり高くなったな。
だが。
俺は床下の水面へ目を向けた。
……何だ、あれ。
水面の奥。
大きな木の板が、斜めに浮いている。
その板が流れに押され、石壁へぶつかっていた。
――ゴン。
……あ。
音の正体。
あれか。
俺は触手を伸ばした。
「……あれ」
ネリが覗き込む。
「あの板?」
俺は頷いた。
「……ぶつかる」
ジェドが目を凝らした。
「……なるほどな。あいつが壁を叩いてたのか」
……多分。
でも、それだけではない。
水面が、不自然に高い。
しかも、木の板がぶつかるたびに、周囲の水が大きく揺れている。
……これ。
何か、詰まってないか?
◇
「……水が逃げてない?」
ネリが呟いた。
彼女は測定棒を床下へ差し込み、水位を確かめている。
俺は身体の一部を水へ伸ばした。
《水流感知》。
……。
冷たい。
そして、流れが強い。
ただし。
……ん?
途中で、向きが変わる。
水路の奥へ進もうとした水が、何かにぶつかって戻ってくる。
その戻った水が、新しく流れ込む水とぶつかり、渦を作っていた。
……なるほど。
水が詰まってる。
俺は触手を持ち上げた。
「……みず、とまる」
ネリが顔を上げる。
「途中で止まっているの?」
俺は頷いた。
「……もどる」
ジェドが腕を組んだ。
「水路の先が塞がってるのかもしれねえな」
……ああ。
俺も、そう思う。
ドーラは床下の木材を見つめていた。
「……嫌な場所に水が溜まってるね」
……ん?
俺は顔を向けた。
「見な。あの梁の下」
ドーラが指した先には、倉庫の床を支える太い木材があった。
その下側まで、水が迫っている。
「本当なら、ここまで水は上がらないはずだ。何度も濡れて乾いてを繰り返せば、傷みも進む」
……なるほど。
つまり。
このまま放っておくと、倉庫の床が危ないってことか。
バルドが顔をしかめた。
「……おいおい。そりゃ困るぞ」
「なら、原因を確かめないとね」
ドーラは俺を見た。
「ノア。入れそうかい?」
……お。
俺は床下を見た。
開いた点検口から、水面までは少し距離がある。
壁には古い足場も残っているが、人間が安全に下りられる状態ではなさそうだ。
でも、俺なら。
……うん。
入れると思う。
俺は頷いた。
「……いける」
「ただし、奥まで進まなくていい」
ネリが言った。
「まずは、水がどこで止まっているかを確かめて。無理に何かを動かさないでね」
……了解。
俺は身体の中央へ輪を作り、命綱を通した。
ルナが、いつものように近づいてくる。
「……ノア」
……ん?
「何かを見つけても、まずは報告だぞ」
……分かってるって。
俺は触手を振った。
ルナは少し目を細めた。
「……本当であろうな?」
……本当だよ!
何だか、最近は毎回言われてる気がする。
まあ。
言われる理由も、ないわけじゃないんだけど。
俺は苦笑するように身体を揺らし、床下へ下りた。
◇
水路の中は、思っていたより狭かった。
頭上には古い木の梁。
左右には石壁。
足元には冷たい水が流れている。
……なるほど。
昔は、ここから水を外へ逃がしていたんだろうな。
俺は壁へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……うん。
石壁は、今のところ大きく揺れていない。
ただし、木の梁からは細かな振動が伝わってくる。
……ちょっと嫌な感じだな。
俺は水へ身体を伸ばした。
《水流感知》。
流れの方向を確かめながら、少しずつ進む。
途中で、例の大きな木の板が見えた。
水に押され、石壁へぶつかっている。
――ゴン。
……ああ。
やっぱり、こいつか。
だが、俺は板へ触れなかった。
今は、奥の様子を確かめる方が先だ。
俺は身体を細くして、その横を通った。
……お。
見えた。
水路の先に、大きな石の枠がある。
そして、その内側には金属の扉。
古い水門だ。
……また水門か。
レムナの地下、どれだけ水門があるんだよ。
俺は少し呆れた。
だが、よく見ると、これまで見たものとは造りが違う。
扉は上から吊り下げられ、左右の溝に沿って動く仕組みらしい。
そして、その下側に。
……あ。
何か、挟まってる。
俺は目を凝らした。
太い木材。
割れた端が扉の下へ入り込み、金属板を斜めに押し上げている。
その周囲には水草や細かな枝が絡みついていた。
……なるほど。
これが原因か。
扉が中途半端な位置で止まり、流れを妨げている。
しかも、引っかかった木材が水を受けるたびに動き、扉へ力を伝えているようだった。
……これを直せば。
水が流れるようになるかもしれない。
俺は触手を伸ばしかけた。
だが、途中で止めた。
……いや。
駄目だ。
ネリに、勝手に動かすなと言われてる。
それに。
この状態で木材を抜けば、扉が一気に動くかもしれない。
水の流れがどう変わるかも分からない。
……うん。
まずは戻ろう。
俺は周囲の形を覚え、命綱を3回引いた。
そして、ゆっくり点検口へ戻った。
◇
「……扉があるの?」
報告を聞いたネリが、驚いたように顔を上げた。
俺は床へ触手を伸ばした。
水路を描く。
その先に、吊り下げられた扉。
そして、下側へ挟まった木材。
……こう。
ドーラがすぐに反応した。
「……ああ。なるほどね」
……ん?
俺は彼女を見た。
「吊り戸式の排水門だ。古い設備では見かける造りだね」
ドーラは指で図をなぞった。
「水を流すときは門を持ち上げる。閉めるときは、下へ落とす。ただし、途中で何かが挟まれば、正常には動かなくなる」
……なるほど。
やっぱり、そういうことか。
ネリは水路の図面を確認した。
「じゃあ、あの門を直せば水が流れる可能性があるのね」
「ある。ただし、下流側の状態も確かめないと駄目だよ」
ドーラが言った。
「向こう側まで水が詰まっていたら、門を開けても意味がない。それどころか、一気に水が逆流するかもしれない」
……ああ。
確かに。
俺はさっきの水路を思い出した。
扉の下に、小さな隙間があった。
あそこから、細い触手を伸ばせれば。
……向こう側の流れも確かめられるかもしれない。
俺は触手を持ち上げた。
「……みる」
ネリが顔を上げる。
「向こう側を?」
俺は頷いた。
ドーラは少し考えた。
「……薄い触手だけなら、通せるかもしれないね。ただし、門の下へ身体を入れすぎないこと」
……了解。
俺はもう1度、点検口へ向かった。
◇
2度目の調査では、細い触手だけを門の隙間へ伸ばした。
《構造形成》。
先端を薄く、柔らかくする。
……よし。
狭い隙間を抜ける。
その先へ。
《水流感知》。
……。
……お。
向こう側には、水が流れている。
しかも、かなり速い。
ただし、こちらへ押し戻されるような流れではない。
門の向こうへ抜けていく方向だ。
……なるほど。
下流側の水路は、生きてる。
少なくとも、今は流れる先がある。
俺はもう少しだけ触手を伸ばした。
水の温度が変わる。
こちらより、少し温かい。
……ん?
大河の水か?
いや。
そこまでは分からないな。
俺は慎重に触手を戻した。
そして、命綱を引いた。
3回。
帰還。
……よし。
これなら、ちゃんと報告できる。
俺は水路の出口へ向かった。
◇
「……下流側へ水が流れているのね」
ネリが頷いた。
俺は触手を上げた。
「……うん」
「それなら、排水門を動かす価値はあるわ」
バルドが腕を組む。
「問題は、どうやって動かすかだな」
……そうだな。
ドーラは水路の図を見つめていた。
「無理に門を引っ張るのは危ない。まず、挟まった木材を抜ける状態にしないとね」
……なるほど。
俺は少し考えた。
木材を抜く。
扉を動かす。
その間、水が急に流れ出さないようにする。
……うーん。
さすがに、俺だけじゃ無理だな。
だが、ドーラはすぐに方法を思いついたらしい。
「倉庫に荷揚げ用の巻き上げ機があるだろ?」
バルドが頷く。
「ああ。重い樽を持ち上げるためのやつだ」
「それを使おう。門の上部へ縄を繋ぎ、少しずつ引き上げる。先に荷重を受けてやれば、挟まった木材も動かしやすくなるはずだ」
……おお。
なるほど。
人間の道具って、やっぱり便利だな。
俺が力任せに引っ張るより、ずっと安全そうだ。
「ジェド。下流の出口付近を見てきておくれ。流れが変わったときに誰かが巻き込まれたら困る」
「おう!」
「バルドは作業員を建物から離して、荷物もできるだけ移動させてくれ」
「分かった」
「ネリは水位を見ていて。急に上がったり下がったりしたら、すぐ教えてほしい」
「ええ」
……おお。
どんどん決まっていく。
ドーラは、最後に俺とルナを見た。
「それで、2人には留め具の調整を頼みたい」
……お。
俺たちも出番か。
ルナが胸を張った。
「うむ。任せよ」
ドーラは少し笑った。
「ただし、門を壊すほどの《衝撃》はなしだよ」
「……分かっておる」
……本当かなあ。
俺はルナを見た。
ルナも俺を見返す。
「何だ、その目は」
……いや。
何でもない。
俺は触手を左右へ振った。
◇
準備を終えた頃には、倉庫の中はすっかり片づいていた。
重い荷物は別の場所へ移され、作業に必要な道具だけが残っている。
巻き上げ機から伸びた太い縄が、点検口の下へ続いていた。
その先は、ドーラが確認した古い金具へ繋がっている。
……よし。
準備完了。
俺は再び水路へ下りた。
今回は、門のすぐ近くまで。
命綱は短めに調整してある。
「ノア。まずは金具の位置だけ確認して」
ネリの声が上から聞こえる。
俺は触手を持ち上げた。
「……うん」
《水流感知》。
……。
今は、比較的穏やかだ。
俺は門の横へ近づき、挟まった木材を確かめた。
……よし。
位置は変わってない。
その上には、ドーラが繋いだ縄が張られている。
俺は金具へ触手を伸ばした。
《硬質外皮》。
先端を少し固める。
……ここだな。
俺が位置を示すと、上からドーラの声がした。
「少し引くよ!」
――ギギギッ。
巻き上げ機が動く。
縄が張り、門がほんのわずかに持ち上がった。
……お。
動いた。
俺は木材へ触手を伸ばした。
まだ、引っかかっている。
でも、さっきより余裕がある。
……よし。
俺は先端を鉤の形に変えた。
《粘着性》。
木材の端へ固定する。
……少しずつ。
力を込める。
――ギシッ。
……重い。
だが、動く。
俺は反対側の触手を石壁へ固定した。
《粘着性》。
身体を支えながら、木材を横へ引く。
……もう少し!
そのとき。
――ガコンッ!
……っ!?
突然、門が大きく揺れた。
――ゴォッ!
水が一気に流れ始める。
……まずい!
俺は反射的に身体を細くした。
《水流感知》。
流れが、門の下へ集中している。
俺まで吸い込まれそうだ。
……くそっ!
俺はすぐに木材から触手を離した。
そして、後方へ小さな噴出口を作る。
《弾性組織》。
――シュバッ!
身体が横へ滑った。
……よし!
流れの外側へ。
だが、その瞬間。
――ガキンッ!
頭上で、金属の音が響いた。
……ん?
俺は視覚器官を向けた。
巻き上げ用の縄を繋いでいた古い金具が、外れかけている。
……おい。
それ、まずいだろ!
次の瞬間。
――バキッ!
金具が折れた。
縄が跳ねる。
門が、勢いよく下がり始めた。
……っ!
俺は反射的に身体を伸ばした。
だが、すぐに思い直した。
……駄目だ。
俺の力で門を支えるなんて、無理だ。
なら。
……留め具!
俺は視覚器官を横へ向けた。
門の側面には、落下を防ぐための小さな金属製の爪がある。
ただし、錆びついて途中で止まっていた。
……あれだ!
俺は細い触手を伸ばした。
《構造形成》。
先端を硬くする。
……届いてくれ!
――カチッ!
触れた。
でも、爪は動かない。
……くそっ!
そのとき。
上からルナの声が響いた。
「ノア! 離れよ!」
……え?
俺は反射的に身体を引いた。
次の瞬間。
「《衝撃》!」
――ドンッ!
短い衝撃が、留め具の外側へ叩き込まれた。
錆びついていた爪が、わずかに動く。
……あ!
今だ!
俺はすぐに触手を伸ばした。
先端を爪の下へ差し込む。
《弾性組織》。
ためた力を、一気に放つ。
――カチンッ!
爪が、溝へ入った。
直後。
――ガンッ!!
門が止まった。
……っ!!
重い振動が、水中へ広がる。
俺は身体を低くした。
《緩衝膜》。
水圧の衝撃を受け流す。
……くっ。
重い!
だが、今回は門そのものを受け止めたわけじゃない。
留め具を動かしただけだ。
それでも、周囲の水が大きく揺れている。
……危なかった。
俺は慎重に距離を取った。
そして、上へ合図を送った。
3回。
帰還だ。
◇
「……無事か!」
点検口から戻ると、ジェドが声を上げた。
俺は身体を持ち上げた。
「……へいき!」
……いや。
結構、びっくりしたけど。
ルナがすぐに近づいてきた。
「まったく。肝を冷やしたぞ」
……俺もだよ。
俺は触手を揺らした。
ドーラは外れた金具を調べていた。
「……やっぱり、古い部品は信用できないね」
彼女は金具の折れた部分を見せた。
内側まで、かなり錆びている。
……なるほど。
見た目以上に傷んでたんだな。
「でも、留め具は入った。門も途中で止まってる」
ドーラは水路の奥を見た。
「この状態なら、まだ作業を続けられる」
……お。
本当?
ネリが測定棒を引き上げる。
「水位も、少し下がっています」
……え?
俺は顔を上げた。
確かに。
さっきまで木の梁のすぐ下にあった水面が、少し下がっている。
……おお。
流れてる!
ジェドも嬉しそうに声を上げた。
「下流側の水路にも、ちゃんと水が流れてたぞ!」
……よし!
俺は思わず身体を持ち上げた。
どうやら、排水門は完全には開いていないものの、十分な隙間ができたらしい。
そのおかげで、溜まっていた水が少しずつ流れ始めている。
……やった。
本当に、流れたぞ。
バルドが大きく息を吐いた。
「……助かった。これで倉庫の床も、少しは安心できるな」
ドーラが頷く。
「まだ安心するには早いよ。梁の傷みも調べないといけないし、門も本格的に直す必要がある」
……ああ。
そうだな。
でも。
少なくとも、今は水の逃げ道ができた。
俺は少し嬉しくなった。
◇
それからしばらく。
俺たちは床下の水位が下がるのを確かめていた。
――さらさら。
……お。
音が変わった。
さっきまで聞こえていた、鈍い衝突音はない。
代わりに、水が流れる穏やかな音が続いている。
……なるほど。
やっぱり、あの詰まりが原因だったんだな。
ネリは新しい図面へ線を書き加えていた。
「……これで、南側の排水路が今も繋がっていることが分かったわ」
……お。
俺は覗き込んだ。
地下水域から南へ。
そして、この倉庫の下を通り、さらに外側へ。
図面には、今までなかった青い線が加えられていた。
「下流の出口は、旧堤防の外側に残っていたそうよ。ジェドが確認してくれたわ」
……なるほど。
それなら、ここから大河へ水を逃がせるんだな。
「これまで水が溜まっていたのは、古い排水門が正常に動いていなかったからかもしれない。今回の調査で、その原因の1つを取り除けたわけね」
……うん。
大きな進歩だ。
俺は地図を見つめた。
地下水域。
古い水門。
南の排水路。
そして、レムナの大河。
……全部、繋がってる。
今まで別々に見えていたものが、少しずつ1つの形になってきた。
……面白いな。
俺は小さく身体を揺らした。
すると、バルドがこちらへ近づいてきた。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を上げた。
バルドは、少し照れくさそうに笑った。
「昨日は、地下の大物をどうするかって話ばかりしてたが……」
……ああ。
そうだったな。
「結局、こうして水路の仕組みを直す方が、よっぽど役に立ったのかもしれねえな」
……。
俺は少し考えた。
確かに。
最初は、巨大な魔物が水門へぶつかっていることばかり気にしていた。
でも、調べてみれば設備そのものにも問題があった。
しかも、南側には別の排水路まで残っていた。
……うん。
全部を魔物のせいにしなくてよかった。
俺は小さく頷いた。
「……よかった」
バルドは笑った。
「ああ。本当にな」
◇
倉庫を出る頃には、夕方の光が町を照らしていた。
南側の堤防には、まだ古い石造りの排水口が残っているという。
ジェドたちが安全を確認し、周囲へ注意札を立ててくれたそうだ。
俺は、その方向へ目を向けた。
……行ってみたいな。
昔の水路が、どんな場所へ繋がっているのか。
そして、その先には何があるのか。
……まあ。
今日は、もう十分働いたけど。
「……ノア」
ルナが隣へ来た。
……ん?
「今日は、また随分と頑張ったな」
……ああ。
俺は少し笑った。
水の中へ入り、詰まりを調べ、門の留め具を直した。
でも、それだけじゃない。
ドーラが道具を用意し、ジェドが下流を確認し、ネリが水位を測り、バルドが倉庫を空けてくれた。
そして、ルナが留め具を動かしてくれた。
……うん。
みんながいたから、できた仕事だな。
俺はルナへ触手を伸ばした。
「……ルナ、ありがと」
ルナは少しだけ目を細めた。
「ふん。貴様が留め具の位置を知らせたから、我も動かせたのだ」
……ああ。
そうだな。
俺は小さく頷いた。
すると、ルナが少し得意そうに続けた。
「やはり、我らはいい相棒だな」
……うん。
それは、間違いない。
俺は身体を揺らした。
だが、そのとき。
少し離れた場所から、ネリの声がした。
「……ノア! ルナ!」
……ん?
俺たちは振り返った。
ネリが、古い図面を手に駆け寄ってくる。
「ちょっと、これを見て!」
……何だ?
俺は図面を覗き込んだ。
そこには、今日見つかった南の排水路が描かれている。
だが。
……ん?
俺は目を凝らした。
水路の途中に、小さな印がある。
3本の曲線。
そして、その横には、さらに細い線が伸びていた。
……あれ?
もう1本、水路がある?
ネリが少し興奮した様子で言った。
「南の排水路から、さらに東へ分岐する古い通路が描かれているの!」
……東?
俺は顔を上げた。
東側。
そこには、今まで調べていなかった地区が広がっている。
ネリは続けた。
「この通路が今も残っているなら、地下水域の水をさらに別の場所へ逃がせるかもしれない。それに……」
……それに?
「この印、今まで見つけた点検口と同じなのよ」
……おお。
それなら。
まだ、地下へ入れる場所があるってことか?
俺は少し嬉しくなった。
だが、ルナは少し考え込んでいた。
「……ネリ」
「何?」
「その東側には、何があるのだ?」
……あ。
そうだ。
俺も、そこまでは知らないな。
ネリは図面を確かめた。
「……現在の地図だと、古い貯水池の跡があるはずよ」
……貯水池?
俺は首を傾げた。
ネリは少し考え、続けた。
「今はほとんど使われていない場所なんだけど……昔は、町の水を溜めるための施設だったらしいわ」
……なるほど。
そういう場所があるのか。
俺は少し考えた。
今日、倉庫の下で水の出口を見つけた。
でも、古い地図にはまだ別の道が残っている。
……だったら。
レムナの地下水域は、俺たちが思っていたよりずっと広いのかもしれない。
俺は東の方角へ目を向けた。
町の屋根が、夕日に染まっている。
その向こうには、古い貯水池。
そして、その地下には、まだ知らない水路。
……面白い。
本当に。
俺は小さく身体を持ち上げた。
すると、ルナが隣で笑った。
「……また、楽しそうだな」
……あ。
分かる?
俺は触手を揺らした。
ルナは呆れたように鼻を鳴らす。
「ふん。今日はもう休むぞ」
……はい。
分かってます。
俺は素直に頷いた。
だが、心の中では。
もう、次の場所のことを考えていた。
古い貯水池。
地図に残された細い線。
そして、地下水域のさらに先。
……うん。
まだまだ、知らないことばかりだ。
俺はレムナの町を見渡した。
大きな運河。
賑やかな市場。
古い倉庫。
そして、その下を流れる水。
今日、俺たちは水の逃げ道を1つ見つけた。
でも。
どうやら、この町の地下には。
まだ、俺たちが知らない道が残っているらしかった。




