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ゲームだと思ったら原初の生命に転生しました。  作者: くんくん
第2部

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第3部 第17話 地図にいない住人

「あの水路は、封鎖するべきだと思う」


その言葉が出た瞬間、会議室の空気が変わった。


俺は机の上に広げられた地図を見つめた。


レムナの地下水域。


青灯クラゲが泳ぎ、古い水門が眠り、大きな黒緑色の魔物と3匹の小さな魔物が暮らしている場所。


そこに、赤い線が引かれていた。


……封鎖、か。


俺は少しだけ身体を低くした。


なるほど。


今日は、簡単な話では終わらなさそうだ。


◇


その日の午前中。


俺とルナは、宿の部屋で小さな作戦会議をしていた。


「……ノア。貴様、その絵で何を伝えるつもりだ?」


……え?


俺は床に置いた紙を見た。


大きな魚。


小さな魚が3匹。


そして、古い水門。


……十分分かるだろ?


ルナはしばらく絵を眺めた。


「……この長いものは何だ?」


……水門。


「魚ではないのか?」


……違うよ!


俺は触手を振った。


「では、こちらの丸いものは?」


……俺。


「……貴様も描いておったのか」


……。


ちょっと待て。


自分の姿を描くのって、こんなに難しかったっけ?


俺はもう1度、紙を見た。


確かに、魚と水門の見分けがつきにくい。


それに、俺自身もただの丸だ。


……いや。


実際、丸くなることも多いんだけどさ。


「ふむ」


ルナが紙へ前脚を置いた。


「絵で説明するのは、難しそうだな」


……そうだな。


俺は少し考えた。


今日の午後、ギルドでは水運組合と町の水利担当者が集まり、地下水域について話し合うことになっている。


俺たちは実際に魔物と接触した証人として呼ばれた。


だが、問題がある。


俺は、まだ長い言葉を喋れない。


相手が何を言っているかは理解できる。


自分の考えだって、頭の中では普通にまとまっている。


それなのに、口に出そうとすると短い言葉になってしまう。


……不便だよなあ。


俺は自分の身体を見た。


《構造形成》。


形を変える能力。


手も脚も、触手も作れる。


だったら。


……あ。


ちょっと待て。


別に、紙へ描かなくてもいいんじゃないか?


俺は身体の端を細く伸ばした。


その先端を、少しずつ膨らませる。


小さな胴体。


短い尾。


背中に大きな鰭。


……よし。


自分の身体の一部で、魔物の形を作った。


もちろん、本物と同じ大きさではない。


手のひらに収まる程度の模型だ。


それを見たルナが、耳を立てた。


「……おお」


……どうだ?


「なるほど。あの大物だな」


……だろ!


俺は嬉しくなった。


続けて、小さな触手を3本伸ばす。


先端を同じ形へ変えた。


……これで、小さいのが3匹。


ルナが頷く。


「うむ。今度は分かりやすいぞ」


……よし。


これなら、会議でも説明できるかもしれない。


俺は模型を元へ戻した。


ただし、全部を同時に作ると、少し身体が薄くなる。


質量が増えるわけじゃないからな。


……まあ。


会議の間だけなら問題ないだろう。


「ノア」


ルナが俺を見た。


「今日は、我もできるだけ言葉を補おう」


……ありがたい。


俺は素直に頷いた。


「ただし、貴様の考えを勝手に決めつけるつもりはない。違うと思ったら、きちんと知らせるのだぞ」


……ああ。


そうしよう。


俺は触手を差し出した。


ルナも前脚を上げる。


軽く触れ合ったところで、俺は少しだけ笑った。


……よし。


行くか。


◇


午後。


ギルドの会議室には、思っていたより多くの人が集まっていた。


受付のシエナ。


調査員のネリ。


水路管理のジェド。


そして、水運組合の代表だという大柄な男。


名前はバルド。


日焼けした顔に深い皺があり、太い腕には古い傷が残っている。


いかにも、長く船に関わってきた人という感じだ。


その隣には、町の水利管理を担当する女性、イーラが座っていた。


こちらは黒髪をきっちり結び、分厚い帳簿を何冊も持ち込んでいる。


……うーん。


随分、本格的な会議だな。


俺が少し緊張していると、シエナが微笑んだ。


「ノアさんとルナさんはこちらへどうぞ」


案内されたのは、ネリの隣だった。


ちゃんと俺たちの分の席もある。


……お。


ありがたいな。


俺は椅子の上へ身体を持ち上げた。


ルナは隣の椅子へ跳び乗り、堂々と座った。


「では、始めましょう」


イーラが口を開いた。


「今回の議題は、旧南水路の安全対策です」


机の上へ、大きな図面が広げられる。


そこには、町の運河と地下水域が描かれていた。


「まず、調査によって地下に古い水利施設が存在することが確認されました。そして、その内部には大型の水棲魔物が生息しています」


……うん。


そこまでは、間違いない。


イーラは続けた。


「現在、水門は応急修理によって安定していますが、設備そのものの劣化は進んでいます。万が一、大型魔物が市街地側の水路へ入り込めば、船舶や周辺施設へ被害が及ぶおそれがあります」


バルドが腕を組んだ。


「おそれ、じゃねえ。現に逆流が起きた日は、小舟が桟橋へぶつかってる。幸い大怪我はなかったが、次もそうとは限らねえ」


……あ。


そんな被害も出ていたのか。


俺は少し驚いた。


地下にいた頃は、水門の動きばかり気にしていた。


でも、地上ではその影響を受けた人がいるんだ。


バルドは、地図の北側を指した。


「俺たちは船で食ってる。荷を運べなくなったら、困るのは船頭だけじゃねえ。店も工房も、港を使う奴ら全員だ」


……。


俺は黙って話を聞いていた。


正しい。


少なくとも、バルドが心配する理由はよく分かる。


巨大な魔物を守りたいからといって、港の人たちに危険を我慢しろとは言えない。


「だから、俺は旧水路を閉じるべきだと思ってる」


バルドが言った。


「少なくとも、あの大物が町側へ出てこられないようにな」


……なるほど。


俺は水路の地図を見つめた。


赤い線が引かれているのは、地下水域と市街地側を繋ぐ水門だった。


そこを塞げば、確かに大型魔物は入ってこられないかもしれない。


でも。


……水は、どうなる?


俺が考えていると、ネリが口を開いた。


「完全な封鎖には反対です」


バルドが顔を上げる。


「何でだ?」


「この水門は、もともと水量を調節するための設備です。流れを完全に止めれば、別の場所へ水圧がかかります」


ネリは地図の南側を指した。


「地下水域には、まだ確認できていない流入口と流出口があります。水の逃げ道が分からないまま封鎖すれば、地上の別の場所で水が溢れる可能性もあるんです」


「……なるほどな」


バルドは少し考え込んだ。


だが、すぐに言い返した。


「だからって、何もしないわけにはいかねえだろ」


「ええ。そこは同意します」


ネリが頷く。


「ただ、対策の方法を選ぶ必要があるんです」


……うん。


俺もそう思う。


問題は、何を守って、何を変えるかだ。


◇


「では、魔物についての報告を聞きましょう」


シエナがこちらへ目を向けた。


「ノアさん、ルナさん。お願いします」


……お。


来た。


俺は少し身体を持ち上げた。


ルナが隣で頷く。


「うむ。では、我から話そう」


……頼む。


ルナは机の上に置かれた地図を見た。


「まず、あの大物は我らを見てもすぐには襲ってこなかった」


バルドが眉を上げる。


「本当か?」


「うむ。少なくとも、我らが見た限りではな」


ルナは続けた。


「ただし、身体は大きい。近くで暴れれば危険なのは間違いない」


……そう。


そこは、ちゃんと伝えないとな。


俺は身体の一部を伸ばした。


《構造形成》。


机の上に、小さな黒緑色の魔物を模した形を作る。


長い胴体。


大きな背鰭。


そして、尾。


……よし。


会議室の視線が、一斉に俺へ集まった。


「……何だ、そりゃ」


バルドが驚いたように身を乗り出す。


俺は作った模型を、少しだけ動かした。


尾を左右へ振る。


すると、ルナが説明を続けた。


「これが、我らの見た魔物だ。大きさは荷舟ほどあった」


「荷舟ほど……」


バルドの表情が険しくなる。


……まあ、そりゃそうなるよな。


俺は続けて、小さな触手を3本伸ばした。


それぞれの先端へ、同じ形を作る。


……こう。


小さいのが3匹。


ネリが補足する。


「大型個体の近くで、同種と思われる小型個体を3匹確認しています。親子の可能性は高いですが、詳細はまだ分かっていません」


バルドが机を見つめた。


「……繁殖してるのか?」


「その可能性があります。ただし、以前からそこにいたのか、最近入り込んだのかも不明です」


……うん。


正確に言うなら、そうだ。


俺は模型をゆっくり動かした。


大きな魔物の後ろへ、小さな3匹を並べる。


それから、古い水門の位置を指した。


「……ここ」


イーラが顔を上げる。


「そこで何かあったのですか?」


俺は頷いた。


続いて、身体の一部を輪にする。


大きな魔物の鰭へ、輪を引っかける。


「……いたい」


イーラの眉が動いた。


「怪我をしていた?」


「うむ」


ルナが答える。


「古い金属の輪が鰭へ食い込んでおった。ノアが、それを外したのだ」


ネリが布包みを開いた。


中には、あの黒い鉄輪が入っていた。


バルドが目を見開く。


「……これが?」


「ええ。旧水門の設備から外れた部品とみられています」


ネリが言った。


「少なくとも、魔物が意図的に水門を壊そうとした証拠はありません」


俺は模型の鰭から、輪を取り外した。


そのあと、大きな魔物を水門から離すように動かす。


……こう。


鉄輪を外してからは、あいつが水門へ身体を擦りつけることもなくなった。


少なくとも、俺たちの見ている範囲では。


イーラが記録を確かめた。


「水門の応急修理後、水位の急変が減ったという報告もありますね」


ネリが頷いた。


「ええ。ただし、魔物の行動変化と修理の効果を、今の記録だけで切り分けることはできません」


……そうだな。


そこも大切だ。


俺は、あいつらが人を襲わないと保証したいわけじゃない。


まして、港へ絶対に出てこないなんて言えるはずがない。


ただ。


見てきたことを、ちゃんと伝えたいだけだ。


◇


「……分かった」


しばらくして、バルドが口を開いた。


「怪我をしていたのは分かった。小さいのを連れてることもな」


……お。


俺は顔を上げた。


「だがな」


バルドは真剣な顔で続けた。


「そいつが今後、人間を襲わねえって保証はあるのか?」


……。


俺は動きを止めた。


保証。


……それは。


できない。


俺は触手を左右へ振った。


「……ない」


会議室が静かになる。


バルドが少し驚いたように俺を見た。


「……正直だな」


俺は身体を低くした。


だって、本当に分からないんだ。


巨大な魔物が何を考えているのか。


なぜ地下水域にいるのか。


小さな魔物たちをどう守ろうとしているのか。


まだ、知らないことの方が多い。


ルナが口を開いた。


「だが、だからといって今すぐ殺す必要もあるまい」


バルドは黙って聞いている。


「我らは、あの大物が傷を負いながら小さな者たちと泳ぐ姿を見た。そして、その傷の原因を取り除いたあとは、水門へ近づくことも減った」


ルナは少し間を置いた。


「少なくとも、何も確かめずに危険な魔物だと決めつけるのは早いと思うぞ」


……ああ。


俺も、そう思う。


バルドは腕を組み直した。


「……じゃあ、どうしろってんだ?」


……。


俺は地図へ目を向けた。


地下水域。


古い水門。


町へ続く運河。


そして、まだ調査の終わっていない南側。


……そうだ。


全部を閉じるんじゃなくて。


必要な場所だけ、分けられないだろうか。


俺は触手を伸ばした。


まず、地図の地下水域を指す。


次に、町側の運河。


そして、その間にある細い水門。


……ここ。


俺は身体の端を平たい板状に変え、水門の手前へ置いた。


ただし、水が流れる方向には隙間を残す。


……こう。


イーラが身を乗り出した。


「……通路を仕切る?」


俺は頷いた。


「……おおきい、だめ」


バルドが首を傾げる。


「大物を通さねえ仕組みにするってことか?」


……そう。


俺はもう1度頷いた。


ネリが地図を確認した。


「なるほど。大型魔物が市街地側へ進入しないよう、通行経路だけを制限するのね」


……それ!


ただし、普通の格子を置くだけでは問題がある。


水草やゴミが引っかかれば、水の流れが止まってしまう。


魚の移動だって妨げられるかもしれない。


だから、形を考えないといけない。


俺は触手を斜めに並べ、流れてきたものが横へ逸れる形を作ってみた。


イーラが興味深そうに眺めた。


「斜めの導流柵ですか。船舶の進入防止設備を応用できるかもしれませんね」


……お。


そういうものがあるのか。


イーラは続けた。


「ただし、排水能力を落とさない設計が必要です。ほかの水路との接続も調べなければなりません」


……うん。


それは、もちろん。


すると、バルドが低い声で言った。


「……それで船が安全に通れるなら、俺は文句ねえよ」


……え?


俺は顔を上げた。


バルドは少し困ったように笑った。


「別に、あの大物が憎いわけじゃねえんだ。こっちは船と人を守りたい。それだけだ」


……ああ。


そうだったんだな。


俺は、少しだけ安心した。


相手の意見が違うからといって、敵なわけじゃない。


みんな、守りたいものがある。


ただ、その場所が少し違っているだけなのかもしれない。


◇


「では、現時点での方針を決めましょう」


イーラが帳簿を閉じた。


話し合いの結果、すぐに地下水路を完全封鎖する案は見送られることになった。


ただし、何もしないわけではない。


まず、市街地へ続く古い水路の周辺を立ち入り制限区域とする。


水運組合とギルドが共同で水位と魔物の行動を監視し、異常があれば船の通行を一時的に止める。


そして、ドーラたちが水門の本格修理と、安全な仕切りの設置方法を検討する。


……なるほど。


少しずつ、形になってきたな。


「監視期間は、まず5日間とします」


イーラが言った。


「その間に南側の水路について追加調査を行い、必要な対策を決めます」


……5日。


短いような、長いような。


でも、期限が決まったなら、やることははっきりした。


バルドがネリを見る。


「南側ってのは、まだ調べてねえ場所なんだよな?」


「ええ。水が出入りしていることは分かっていますが、どこへ繋がっているのかは不明です」


「そこが分かれば、完全に閉じなくても済むかもしれねえってことか」


「その可能性はあります」


……よし。


だったら、次はそこだな。


俺は地図の南側へ目を向けた。


以前、深刃魚と戦った場所。


冷たい水が流れ込む亀裂。


そして、そのさらに下にあった、流れが吸い込まれていく隙間。


……あれが、どこへ続いているのか。


まだ分からない。


でも、今の俺には《水圧耐性》もある。


水中で素早く動く方法も覚えた。


……十分、調べる価値はあるな。


俺がそんなことを考えていると、イーラが古い帳簿をめくり始めた。


「……待ってください」


……ん?


俺は顔を上げた。


イーラは別の図面を取り出した。


かなり古いものらしく、紙の端が少し傷んでいる。


「旧水路の管理記録に、気になる記述があります」


ネリが近づく。


「何ですか?」


「南側の排水経路についてです」


イーラは図面の一角を指した。


「現在の地図にはありませんが、昔は南の旧堤防へ繋がる排水路があったようです」


……え?


俺は図面を覗き込んだ。


そこには、地下水域から南へ伸びる細い線が描かれていた。


その先には、小さな四角い印。


……あ。


見覚えがある。


あの洗い場で見つけた、古い点検口と似た印だ。


ネリも気づいたらしい。


「……これ、例の3本の曲線の印ですね」


「ええ。ただ、問題があるんです」


イーラは別の地図を重ねた。


現在のレムナの地図だ。


古い排水路の上には、いくつもの大きな建物が描かれている。


……ん?


俺は目を凝らした。


倉庫?


そういえば、町の南側には大きな荷揚げ場があったな。


イーラが言った。


「この排水路の出口があった場所には、今は南第6倉庫が建っています」


……え。


俺は固まった。


つまり。


昔の水路の上に、倉庫を建てちゃったってことか?


バルドが顔をしかめる。


「待てよ。第6倉庫っていったら、うちの組合が使ってるところだぞ」


「ええ。ただし、古い排水路が現在もその下へ続いているかは分かりません」


ネリが図面を見比べる。


「もし残っているなら、水の逃げ道として使われている可能性がありますね」


……ああ。


そういうことか。


俺は少し考えた。


地下水域の南側から、冷たい水が入ってくる。


その下では、別の方向へ水が流れている。


そして、古い図面には南の堤防へ続く排水路。


……繋がる。


全部、繋がるかもしれない。


だが。


もし倉庫の下を大量の水が流れているなら。


……それ、大丈夫なのか?


俺が地図を見つめていると、イーラが静かに言った。


「明日、南第6倉庫の周辺を調べましょう。地下へ繋がる設備が残っているなら、確認する必要があります」


バルドは大きく息を吐いた。


「……分かった。倉庫の管理人には俺から話を通しておく」


ネリも頷いた。


「こちらも調査の準備をします」


……よし。


次の仕事が決まったな。


俺は少しだけ身体を持ち上げた。


すると、ルナが隣から言った。


「……ノア」


……ん?


「また面白そうな顔をしておるぞ」


……え?


俺は思わず身体を縮めた。


顔なんて、ほとんどないんだけど。


ルナは楽しそうに笑った。


「ふん。貴様の考えていることなど、大体分かる」


……そうですか。


俺は少し笑った。


でも。


今回は、ただ面白そうだから調べたいわけじゃない。


この町で暮らす人たちのためにも。


地下で暮らす、あの魔物たちのためにも。


ちゃんと、水の道を確かめたい。


……そう思ったんだ。


◇


会議が終わり、俺たちはギルドの廊下へ出た。


窓の向こうには、レムナの運河が見える。


荷船が行き交い、橋の上を人々が歩いている。


いつもと変わらない景色だ。


だが、今日の俺には少し違って見えた。


……この町、すごいな。


地下には、誰も知らなかった大きな水域がある。


その上には、人間たちの暮らしが広がっている。


どちらか片方だけで、成り立っているわけじゃない。


水が流れているから、船が動く。


水が流れているから、魚や魔物も生きている。


……当たり前だけど。


その当たり前を守るのは、結構大変なんだな。


俺が考えていると、背後から声がした。


「……おい」


……ん?


振り返ると、バルドが立っていた。


さっきまで、地下水路を封鎖すべきだと主張していた男だ。


……何だろう。


少し身構えた俺に、バルドは片手を上げた。


「さっきは、助かった」


……え?


俺は驚いた。


「お前さんが、あの大物の様子を見せてくれただろ。あれで少し考えが変わった」


……あ。


そうなのか。


バルドは窓の外へ目を向けた。


「俺たちは船に乗ってるから、川の生き物にゃ慣れてるつもりだった。でも、あんな場所に棲んでる奴のことまでは知らなかったんだな」


……。


俺は静かに聞いていた。


「だからって、危険を見過ごすつもりはねえ。それは分かってくれよ」


……ああ。


もちろん。


俺は頷いた。


「……わかる」


バルドは少し驚いたようだった。


そして、ゆっくり笑う。


「そうか。なら、よろしく頼むぜ」


俺は触手を持ち上げた。


「……よろしく」


バルドは大きな手を差し出してきた。


……お。


握手?


俺は少し考え、触手の先を平たい手の形に変えた。


指を5本。


ただし、少し短い。


……まあ、これでいいだろう。


その手を、バルドの手へ重ねた。


ぎゅっと握られる。


……おお。


結構、力強いな。


バルドは笑った。


「変わった手だな!」


……まあ。


好きに作れるんで。


俺は身体を少し揺らした。


◇


ギルドを出ると、ルナが俺の隣を歩きながら言った。


「……今日は、よくやったな」


……お?


俺は顔を向けた。


「戦わずとも、あれだけ多くの者の考えを動かしたのだ。なかなかできることではないぞ」


……ああ。


確かに。


今日は、攻撃もしていない。


水へ潜ってもいない。


新しい性質を獲得したわけでもない。


でも。


……何だか、少し成長した気がする。


今までの俺は、何かあれば自分の身体で解決しようとしていた。


硬くなる。


速く動く。


相手を捕まえる。


物を壊す。


……いや。


壊すだけじゃないけどさ。


でも、今日は違った。


見てきたことを、ちゃんと伝えた。


自分だけで決めず、相手の話を聞いた。


それで、次にやるべきことが決まった。


……うん。


こういう力も、必要なんだな。


俺は少し嬉しくなった。


すると、ルナが笑った。


「もっとも、貴様があの魚の形を作ったときは、少々驚いたがな」


……え?


「まさか、身体で説明するとは思わなかった」


……ああ。


あれか。


俺は小さく身体を揺らした。


結構、上手くできただろ?


ルナは頷いた。


「うむ。実に分かりやすかった」


……お。


素直に褒められた。


珍しい。


「ただし」


……ん?


ルナは少しだけ得意そうに続けた。


「我の尻尾を再現するときは、もっと立派にするのだぞ」


……。


…………。


今日、ルナの模型なんて作ってないんですけど!?


俺が触手を振ると、ルナは声を上げて笑った。


まったく。


いつの間に、尻尾の大きさにそんなこだわりができたんだ。


俺は呆れながら、その隣を歩いた。


明日は、南第6倉庫の調査。


古い排水路が本当に残っているのか。


そこから、地下水域の南側へ繋がる道が見つかるのか。


まだ何も分からない。


だが、少なくとも行き先は決まった。


……よし。


今度は、地図の空白を埋めに行こう。


俺はレムナの南側へ目を向けた。


高い倉庫の屋根が、建物の向こうに少しだけ見えている。


その下を、今も水が流れているのだろうか。


そして、もし流れているなら。


……その水は、一体どこへ向かっているんだろう。


俺は少しだけ、明日が楽しみになった。


ただし、その夜。


南第6倉庫の管理人が、床下から聞こえる奇妙な水音についてギルドへ届け出たことを、俺たちはまだ知らなかった。

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