第58話:深夜の甘い足音と、試作のチョコレート
一月も終わりに差し掛かり、街のいたるところでバレンタインの華やかな装飾が躍り始める季節——。
夜の十一時を回り、彩咲家の屋敷が静まり返った頃、台所からかすかに「カチャリ……」と器の触れ合う音が聞こえてきた。
(……ん? 誰か起きてるのかな……?)
僕——浅比 誠は、自室で翌日の買い出しリストをまとめていた筆を止め、静かに廊下へ出た。
そっと台所の引き戸を隙間から覗き込むと、そこにはエプロン姿の彩咲月菜がいた。
パステルブルーの部屋着の上に、僕の予備のエプロンを身につけ、真剣な眼差しでボウルと湯せんに向かい合っている。
「うぅ……っ。なんで上手く溶けないのよ……。温度が高すぎたのかしら……? ボロボロになっちゃった……っ」
月菜は半泣きになりながら、ボウルの中の固まってしまったチョコレートをヘラで必死に捏ね繰り回していた。
(月菜……! もしかして、僕に作るチョコの試作をしてくれてるのか……!?)
健気すぎるその姿に胸が激しく締め付けられ、僕は静かに引き戸を開けて足を踏み入れた。
「月菜」
「ひゃぁぁぁっ!?」
飛び上がるほど驚いた月菜は、慌てて背中にボウルを隠そうとしたが、勢いあまって足をもつれさせてしまった。
「っと……! 危険だよ、月菜!」
「きゃっ……っ!」
僕は咄嗟に手を伸ばし、倒れそうになった月菜の華奢な身体を正面からしっかりと抱きとめた。
ふわりと舞い上がるチョコレートの甘い香りと、彼女の柔らかい体温が胸いっぱいに広がる。
「っ……! ま、誠……っ!?」
僕の腕の中で、顔を真っ赤にした月菜が上目遣いで僕を見つめていた。
心臓が壊れそうなほど早鐘を打っているのが、重なり合う胸から直に伝わってくる。
「怪我はない? 大丈夫かい、月菜?」
「う、うん……ありがと……。って、じゃなくてっ! な、なんで起きてるのよバカ誠っ! 見ちゃダメって言ったでしょーっ!」
月菜は真っ赤になって僕の胸をぽかぽかと叩き、背中に隠したボウルを必死に隠そうとした。
◇
「ふふ、ごめんごめん。でも、台所から音が聞こえたから気になっちゃってさ」
僕は月菜をそっと足立たせると、台所のカウンターに置かれた大惨事のボウルと、山積みになった市販の板チョコのパッケージを見つめた。
「チョコの湯せん……失敗しちゃったんだね」
「っ……! う、ウルサイわね……っ! 料理なんて、誠みたいに上手くできるわけないじゃない……っ!」
月菜は恥ずかしさのあまり唇を噛み締め、膝を抱え込んで小さくなってしまった。
「私ね……誠に……『世界で一番美味しいチョコをあげる』って……威張っちゃったでしょう……? だから……どうしても自分の力で、最高のチョコを作りたかったの……。でも……何回やっても上手くいかなくて……っ」
ぽろぽろと零れ落ちる月菜の悔し涙。
放課後や夜の時間を削り、僕のために慣れないお菓子作りに一人で立ち向かっていた彼女の想い。その愛おしさに、僕の胸は弾けそうなほど温かな感情で満たされた。
「月菜……ありがとう。その気持ちだけで、僕は世界一幸せだよ」
僕は月菜の前に屈み込み、彼女の頬をつたう涙を指先で優しく拭った。
「チョコの湯せんはね、コツがあるんだよ。水分が1滴でも入ったり、お湯の温度が60度を超えると、カカオの脂分が分離してボロボロになっちゃうんだ」
「え……? 60度……? 私……グラグラ煮立ったお湯でやってたわ……っ」
「ふふ、よくある失敗だよ。ねえ、月菜。僕がココアの『温度管理の裏ワザ』を教えてあげるから、二人で一緒に試作品を作ってみない?」
僕が提案すると、月菜は潤んだ瞳をパッと輝かせた。
「ほんと……? 誠……手伝ってくれるの……?」
「もちろんさ。恋人の特権だよ」
僕が優しく微笑むと、月菜は顔を朱に染めながら、そっと僕の腕に自分の体を預けてきた。
◇
「いいかい月菜。お湯の温度は50度くらい……お風呂より少し熱い程度で、ボウルに絶対湯気や水滴が入らないように傾けるんだ」
僕が月菜の後ろに立ち、彼女の手を包み込むようにしてヘラを一緒に動かす。
二人の距離はゼロセンチ。僕の胸に月菜の背中がピッタリと密着し、耳元で交わされる吐息が甘く重なり合う。
「っ……! ま、誠……近すぎるわよ……っ。集中できないじゃない……っ」
「はは、ごめん。でも、こうしないとヘラの角度が教えられないから」
「っ〜〜〜〜っ! もう……意地悪……っ」
甘いチョコレートが、鏡のように滑らかで美しいツヤを帯びて溶けていく。
「すごーい……! さっきと全然違う……ツヤツヤで、すっごく綺麗……!」
感動する月菜の手に寄り添い、型に流し込んで冷蔵庫で冷やすこと二十分。
完成したのは、一口サイズの可愛らしい『手作り生チョコレート』だった。
「できた……! 誠、できたわ……!」
「やったね、月菜! さあ、召し上がれ」
月菜はピックで生チョコを一粒すくうと、自分の口ではなく、照れくさそうに僕の口元へと差し出してきた。
「あ、はい……。誠……最初に食べて……? 一番目の試作品だから……」
「え……いいの? いただきます」
パクッと一口で口に含む。
しっとりとしたなめらかな口溶け、ビターなカカオの香りと芳醇な甘みが口いっぱいに広がっていく。
「……美味しい! 最高に美味しいよ、月菜! お店で売ってる高級チョコよりずっと美味しい!」
僕が目を見開いて絶賛すると、月菜はパッと表情を咲かせ、それから感極まったように僕の胸に飛び込んできた。
「本当……!? 良かったぁぁぁっ……! 誠に『美味しい』って言ってもらえて……本当に良かったぁ……っ!」
抱きついてくる月菜を、僕はしっかりと腕の中で受け止めた。
試作のチョコの甘さと、二人きりの深夜の密やかな時間。本番のバレンタインを前に、僕たちの恋はどこまでも甘く、深く溶け合っていくのだった。
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【本日のお世話係メモ:家庭で役立つ豆知識 58】
『バレンタイン直前!チョコが分離せずツヤツヤ滑らかになる「50度湯せん&水気厳禁」ハック』
バレンタインのお菓子作りで最も多い失敗が「チョコがボソボソに固まって分離してしまう」こと。お店のようなプロ級の滑らかさに仕上げる黄金の裏ワザをご紹介します!
① お湯の温度は「50度前後のぬるま湯」にする!
★グラグラ沸騰したお湯(70度以上)で湯せんすると、カカオバターが変性してボソボソに分離してしまいます。お湯に指を入れて「少し熱いな」と感じる程度がベストです!
② ボウルは「チョコが入ったボウルの方が一回り大きいもの」を使う!
★下の鍋やお椀から立ち上る「湯気(水分)」が1滴でもチョコに入ると、一瞬で固まってボソボソになります。鍋よりも大きなボウルを重ねることで、湯気の侵入を完全に防げます!
③ 泡立て器ではなく「ゴムベラ」で静かに混ぜる!
★空気を巻き込まないように滑らかに混ぜることで、ツヤツヤの美しい仕上がりになりますよ!
これで本番のバレンタインチョコ作りも大成功間違いなしです!




