第53話:月明かりの自室と、秘密の約束
元旦の夜が静かに深まり、彩咲家の屋敷が深い静寂に包まれた深夜一時——。
(みんな、もうぐっすり眠ったみたいだな……)
僕——浅比 誠は、自室のベッドから静かに起き上がり、羽織りを羽織って廊下へ出た。
廊下の足音を忍ばせながら向かうのは、二階の奥にある彩咲月菜の部屋だ。
昼間の羽子板大会で勝った月菜が口にした、甘い『お願い』。
『今夜、みんなが寝静まったら……私の部屋に来て?』
(心臓が破裂しそうなくらいバクバク言ってるぞ……!)
胸の奥の激しい高揚感を抑え込みながら、僕は月菜の部屋のドアをトントンと優しく二回叩いた。
カチャリ、と静かにドアが開く。
「……誠」
暗がりの中に浮かび上がったのは、パステルブルーの暖かいパジャマ姿の月菜だった。
昼間の可憐な着物姿とは対照的に、少し崩した髪とウブな私服感が、たまらなく無防備で可憐だ。
「月菜……入ってもいい?」
「ええ……入って。誰も起きてないわね……?」
月菜は廊下を小さく見回してから、僕の袖を引いて部屋の中へと招き入れた。
◇
カチャリと鍵が閉められ、二人きりになった部屋。
月菜の部屋は、普段の彼女らしく清潔でシックに整えられており、ほんのりと甘い桃のような香りが漂っている。
「……座って。あそこにクッションがあるから」
「あ、うん。お邪魔します……」
部屋の隅に置かれたローテーブルの前に二人で並んで座る。
月菜は小さな電気スタンドだけをつけ、ほのかな暖色の光が二人の横顔を優しく照らした。
「……誠」
「ん? なぁに、月菜?」
月菜はモジモジと膝の上で手を捏ね繰り回していたが、やがて意を決したようにクローゼットから可愛らしい小さな紙袋を取り出してきた。
「これ……誠に渡したくて。……本当は、昨日のクリスマスの時に渡すつもりだったんだけど……タイミングを逃しちゃって……っ」
恥ずかしそうに両手で差し出された紙袋。
僕が受け取って中を覗くと、そこには丁寧に編み込まれた深みのあるネイビーブルーの『手編みのマフラー』が入っていた。
「っ……!? 月菜、これって……!」
「私が……夜な夜な編んだの……っ。編み物なんてしたことなかったから、ちょっと目が揃ってないところもあるかもしれないけど……っ」
月菜は顔を茹で上がったタコのように真っ赤にして、膝を抱え込みながら語尾をすぼめた。
「誠……いつもこの家のために、寒い中で買い出しに行ってくれたり、下ごしらえしてくれたりしてるでしょう……? だから……誠の首元を、温めてあげたくて……」
彼女がどれほどの時間をかけ、僕のことを想いながら一針一針編んでくれたのか。
手に取るだけで伝わってくる温もりに、僕の目頭がカッと熱くなった。
「月菜……! ありがとう……! すっごく嬉しいよ……!」
僕は即座にそのマフラーを自分の首元に巻きつけた。
肌触りが柔らかく、月菜の優しい香りと温もりが、僕の全身を包み込んでいく。
「……どうかな? 似合ってる?」
僕が笑顔で見つめると、月菜は潤んだ瞳で僕を見上げ、ポロリと一滴の嬉し涙を零した。
「うん……すごく似合ってるわ……! 良かった……誠に喜んでもらえて……っ」
◇
「……月菜、泣かないで」
僕はそっと手を伸ばし、彼女の柔らかい頬をつたう涙を指先で優しく拭った。
「っ……! 泣いてなんてないわよ……! ただ……誠が嬉しそうにしてくれたから……安堵しちゃっただけ……っ」
強がる月菜だったが、彼女は自分から僕の胸元へと体を寄せてきた。
華奢な肩が細かく震えている。
僕は月菜の背中に優しく腕を回し、しっかりと彼女の体を抱きしめた。
「月菜……最高の新年のプレゼントだよ。ずっと一生大事にするからね」
「……うん……っ! 大事にしなかったら、承知しないんだからね……バカ誠……」
僕の胸に額を押し当て、小さく囁く月菜。
二人きりの部屋に流れる、甘くて、密やかな時間。
窓の外の冷たい冬の風も、今の僕たちには一切届かないほど、部屋の中は二人の体温で満たされていた。
「……ねえ、誠」
「ん?」
月菜は僕の胸の中で、ぽつりと語り始めた。
「新学期が始まったら……また忙しくなるわね。私が生徒会の仕事をして、誠がお世話係としてこの家を支えてくれて……」
「そうだね。三学期はあっという間だし、すぐに春が来ちゃうね」
「……学校では『高嶺の花と裏のお世話係』……秘密の関係だけど。……私ね、全然苦じゃないの」
月菜は顔を上げ、まっすぐな瞳で僕を見つめてきた。
「だって……家に帰ってきたら、こうやって誠と甘い時間を過ごせるんだもの。……どれだけ外で気を張っていても、誠の側にいれば……私、一番素直な自分に戻れるわ」
「月菜……」
「だから……新学期になっても、ずっと私のお世話……してね?」
可憐に首をかしげ、少しだけ小悪魔のように微笑む月菜。
その破壊的な可愛さに、僕の理性が吹き飛びそうになる。
「ああ、もちろんさ。月菜のことも、妹たちのことも、僕がずっと支え続けるから」
「……ふふ、頼もしいわね……私の素敵なお世話係さん」
月菜は背伸びをし、僕の頬にそっと自分の唇を重ね合わせた。
ちゅっ、と静かな部屋に響いた可憐な音。
「っ……! これ……昼間の羽子板の『勝者の権利』の……追加のご褒美よっ……!」
真っ赤になって顔を隠す月菜。
僕は愛おしさのあまり、彼女の体をもう一度強く抱きしめ返し、新年の夜が明けるまで、二人だけの甘い誓いを交わし続けたのだった。
◇
翌朝——。
「ふぁぁぁあ……あ、おはよう〜、誠くん、月菜……」
リビングにやってきた長女の陽葵さんが、胸元の開いた部屋着のままあくびを噛み殺している。
「あ、陽葵さん! おはようございます!」
僕が元気に挨拶をすると、隣にいた月菜が僕の首元を見てハッと息をのんだ。
僕の首元には、昨夜月菜から貰ったネイビーブルーのマフラーが巻かれていた。
「あら〜? 誠くん、そのマフラーとっても素敵ね〜? どこで買ったの〜?」
陽葵さんが首をかしげて尋ねると、月菜が顔を真っ赤にして手振れ足振れで割り込んできた。
「あ、あ、あのお姉ちゃんっ! それは……その! 誠が自分でお小遣いで買った市販品よっ! ね、ねえ誠っ!?」
「え!? あ、うん! そうだよ陽葵さん、自分で買ったんだ!」
「へぇ〜、そうなの〜? でもなんだか……月菜の毛糸の好みにそっくりね〜?」
悪戯っぽく微笑む陽葵さん。
追ってきた三女の灯華や四女の水樹もニヤニヤと僕たちを見つめてくる。
「も〜〜〜っ! みんなして朝から意地悪なんだからっ!!」
真っ赤になって怒る月菜と、賑やかに笑い合う彩咲家の朝食。
秘密の手編みマフラーを首元に感じながら、僕たちの新春の物語は、ますます甘く、温かく深まっていくのだった。
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