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5-3-19 疑惑の取引

葉山が向かった寺は、都心から少し離れた静かな場所にあった。


広い境内には手入れの行き届いた庭と小さな池があり、どこか昔ながらの落ち着いた空気が流れている。観光名所としての知名度はそれほど高くないものの、境内には外国人観光客の姿が目立った。どうやら、この寺で行われている座禅体験が評判を呼んでいるらしい。


葉山がここを訪れた目的は観光ではない。


依頼人──ロキアン・フェルナンデスとの約束があった。


本堂近く、静かに座禅を組む参加者たちの中に、その姿はすぐ見つかった。


堂々とした体格に端正な顔立ち。葉山と会う時はいつも上質なスーツを隙なく着こなしている男だが、今日は作務衣姿で背筋を真っ直ぐに伸ばし、微動だにせず座禅を組んでいる。


葉山が近づくと、気配を察したようにフェルナンデスが静かに目を開いた。


「ようこそ。葉山君」


驚きはない。


最初からここへ来ることを知っていたかのような、穏やかな声音だった。


「随分と落ち着いた場所ですね」


葉山が軽く会釈すると、フェルナンデスは微かに笑う。


「最近、瞑想にハマっていてね。精神を統一するのは仕事の効率化にもつながるんだよ」


穏やかな雑談にしか聞こえない。


だが、その物言いには精神の制御を当然と考える者ならではの響きがあった。


「なるほど」


葉山は相槌だけ返した。


フェルナンデスはそのまま視線を外さず、ふと口を開く。


「君も、こういうものを嗜んでいると思っていたが……」


その一言に、葉山はほんの一瞬だけ動きを止めた。


(立ち居振る舞いから読まれたのか。それとも……)


答えを選ぼうとした矢先、フェルナンデスは軽く手を振った。


「いや、そこまで真剣に考えなくていい。立ち入ったことを聞いてしまったな」


「いえ、気にしていません」


葉山は何事もなかったように返す。


「それより、ご依頼の品をお持ちしました」


懐から小さな桐の札箱を取り出し、静かに差し出す。


フェルナンデスは興味深そうに受け取ると、丁寧に蓋を開いた。


中には数枚の札。


複雑な呪紋が、一枚一枚へ緻密に描き込まれている。


「これが……?」


「火伏せの切り札、《明鏡止水の札》です」


葉山は静かに答えた。


「強力な封印の力を持ち、炎の脅威を完全に抑えることができます」


フェルナンデスの口元が、わずかに緩む。


「ビューティフル……。やはり君に頼んで正解だった」


「恐縮です」


葉山は淡々と応じる。


しかし札箱を差し出した方の手には、ごくわずかな震えが残っていた。


フェルナンデスは箱の中から一枚の札を摘み上げると、指先で軽く弾き、その紙質を確かめるように眺める。


「久しぶりの古巣はどうだった?」


その言葉に、葉山の思考が一瞬止まる。


(……なぜ、それを知っている)


この男は、こちらが語っていないことを、ごく自然に口にする。


しかも、あえてこちらの反応を窺うような口ぶりで。


「特に感想はありませんね」


葉山は表情を維持したまま答える。


「そうか」


フェルナンデスは札を箱へ戻し、静かに蓋を閉じた。


「だが、君が自ら現地へ赴いたのは、何か理由があったのだろう?」


その一言に、葉山の背筋へ冷たい汗が流れた。


(この男……どこまで知っている)


問い掛けは穏やかだ。


だが、その視線だけは一切揺らがない。


まるで心の奥底まで見透かされているような錯覚に、葉山は胸の内だけで息を潜めた。


フェルナンデスはそれ以上何も問わない。


「さて、これで取引は完了だ」


フェルナンデスは立ち上がり、作務衣の袖を整える。


「私も次の予定があるので失礼しよう」


沈黙が流れ、葉山はようやく緊張を解いた。


だが、フェルナンデスは数歩歩いたところで、思い出したように振り返った。


「……そうだ。次は私も現場を直接見てみたい」


張り詰めていた気が緩んだ、その隙を突かれた。


「危険ですよ」


気づけば葉山は、駆け引きではなく率直な言葉を返していた。


フェルナンデスは薄く笑った。


「では、君が案内してくれれば安心だ」


軽い口調だった。


しかし、その一言が冗談ではないことを、葉山は知っている。


(やはり、この男はただのアンティークマニアではない)


悠然と去っていく背中を見送りながら、葉山は頬を撫でる冷たい風を感じていた。


境内には木々のざわめきと、遠くで聞こえる観光客たちの話し声だけが響いている。


その穏やかな空気とは裏腹に、葉山の胸には拭い切れない疑念だけが静かに積み重なっていた。


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