表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
65/66

5-3-10 大火祈祷1

昂弥たちとの戦いを終えた直後、聖奈が不満そうな声を上げた。


「ちょっと! なんで私のだけ戻らないのよ!」


顕現した獅子の剣を握り締めるその手には、もはや炎の輝きはない。昂弥に貼られた呪符の影響で力を失った剣は、ただ重い鉄塊となっていた。


「これ、元に戻せないの?」


焦ったように尋ねる聖奈へ、杏子は肩をすくめる。


「戻すも何も、それ、もう壊れてるでしょ」


「壊れてるって……どうすればいいのよ!」


「貸しなさい」


杏子はあっさりと剣を受け取ると、何のためらいもなく魔力を流し込み、そのまま両手でへし折った。


乾いた音とともに剣身が折れ、その姿は光の粒となって静かに消えていく。


「な、何てことするのよ!?」


「落ち着きなさいって。あんたの剣は具現化したものに過ぎないのよ。一度消えれば、呼び出し直せるわ」


まるで壊れた道具を片付けるような口調だった。


聖奈は呆然と立ち尽くす。


「最初からそう言ってよ……」


そのやり取りを見ていた愛蓮が、不意に表情を変えた。


「……何か聞こえませんか?」


三人は同時に耳を澄ませる。


最初は風が木々を揺らす音かと思った。


だが耳を凝らすほど、それは一定の調子で繰り返される人の声だと分かる。


一人ではない。


二人、三人──いや、それ以上。


山のどこかから、幾重にも重なった声が響いてきていた。


「お祭りでもやってるのかしら?」


聖奈が首を傾げる。


愛蓮はすぐスマホを取り出し、愛宕神社の行事を検索した。


しかし、それらしい情報は見当たらない。


「違うみたいです。でも……これ、呪文を唱えているように聞こえませんか?」


「呪文?」


杏子も眉をひそめる。


確かに、その声は徐々に数を増し、山全体を包み込むように響き始めていた。


その時だった。


鋼と霞の表情が変わる。


二人は同時に昂弥へ視線を向ける。


昂弥もまた、声の届く山頂の方角を険しい表情で見据えていた。


「……大火祈祷だ」


低く漏らしたその一言に、聖奈が聞き返す。


「何なの、それ?」


昂弥は苦く笑った。


「鎮火祭の真逆だよ。火災を鎮めるための祈りじゃない。火を呼び起こすための儀式だ」


一度息を吐き、吐き捨てるように続ける。


「どうやら俺を見限った神職たちが、勝手に始めたらしい」


「そんなことをして、何になるんですか?」


愛蓮が思わず尋ねる。


「俺を排除して、神に直接力を借りるつもりなんだろう」


昂弥は苛立ちを隠さない。


「奴らは……火神ヒノカグツチを呼び出そうとしている」


「ヒノカグツチ……?」


その名を口にした聖奈へ、昂弥は半ば呆れたように視線を向けた。


「本当に知らないのか」


低く息をつく。


「ヒノカグツチは、生まれた瞬間に母神イザナミを焼き殺した神だ」


森を吹き抜ける風が、どこか熱を帯び始める。


昂弥は山頂を睨みつけたまま続けた。


「その怒りで父神イザナギは、自ら剣を振るってヒノカグツチを斬った」


静かな声だった。


だが、その声音には神職としての畏れが滲んでいる。


「そんな神を人間の都合で呼び出して、何事もなく済むと思うか?」


誰も答えられない。


昂弥は拳を握り締めた。


「もし本当に現れたら、神職だろうが陰陽師だろうが関係ない。この山ごと焼き払われても不思議じゃない」


その言葉に、聖奈は思わず杏子を見る。


「ねえ、本当にそんな神が来ると思う?」


杏子は意外なほど落ち着いた様子で頷いた。


「来るかもしれないわね」


そして、口元に笑みを浮かべる。


「でも、願ったり叶ったりじゃない」


「どうしてそんなことが言えるのよ!」


聖奈が思わず声を上げる。


「薄々気づいてたんだけど、神代の鞘を持ってるせいで、私たちは神を引き寄せやすくなってるみたいなのよ」


手にした獅子の剣へ目を落とす。


「それに、こいつも神の気配には敏感になってる」


聖奈と愛蓮は顔を見合わせる。


以前、神代の鞘を通じて神と相対した記憶が脳裏をよぎり、その言葉を否定できなかった。


杏子は肩をすくめる。


「問題は、呼び出した後ね」


その声音だけが、わずかに真剣さを帯びる。


「何百年も呼ばれていない神が、急に人間へ会いに来て機嫌よく帰ってくれるとは思えない。たぶん、相当ご機嫌斜めでしょうね」


昂弥も静かに頷いた。


「気分の問題で済めばいいがな」


苦々しく呟く。


「ヒノカグツチは破壊そのものだ。京都に幾度も大火をもたらしたという伝承は、決して伊達じゃない」


再び沈黙が落ちる。


誰も軽口を返せなかった。


「どうするの……?」


聖奈が不安そうに尋ねる。


杏子は唇の端をゆっくりと吊り上げた。


「決まってるでしょ」


その声には、不安も迷いもない。


「神様のご機嫌を取るか、それとも叩きのめすか」


獅子の剣を肩に担ぎ、退屈そうに続ける。


「どっちにしても、久しぶりに面白い相手になりそうね」


聖奈も愛蓮も思わず言葉を失う。


神を前にして胸を躍らせている者など、この場には彼女しかいなかった。


昂弥も呆れたように杏子を見る。


「お前……本気で言ってるのか?」


杏子は視線を山頂へ向けたまま、小さく笑う。


「その時になれば分かるわよ」


杏子は軽く笑って答えた。


その瞬間、山中へ響く呪詠が一段と大きくなる。


呼応するように、山を吹き抜ける風が明らかに熱を帯びた。


誰もが同じものを感じ取る。


まだ姿は見えない。


だが、人ならざる何かが、確かにこの山へ近づいていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ