5-3-6 愛宕山の静寂
先ほどの激戦を終えた聖奈たちは、登山道脇の少し開けた場所で足を止めていた。
木漏れ日が梢の隙間から差し込み、荒くなった呼吸がようやく落ち着きを取り戻していく。額に滲む汗を拭いながら、それぞれが束の間の休息を取っていた。
杏子は腰を下ろしたまま《獅子の剣》を取り出し、柄を指先で軽く叩く。
「さっきの二人、最初から私たちを怪しんでいたのは何でだと思う?」
低く響く声が応じた。
「奴らは、この山を守るために動いていたのではないか。ここを嗅ぎ回る者には、常に目を光らせている可能性が高い」
杏子は小さく首を振る。
「それもあるけど……」
視線を山頂の方へ向け、静かに言葉を続けた。
「ひょっとしたら、この山にはもう神代の遺物を狙う連中が現れているのかもしれない。あるいは、そんな噂が神社や神職の間で広まっているとか」
獅子の剣は少し考えるように唸った。
「春日山で、神々はこう語っていた。巨蟹の腕輪と磨羯の籠手の持ち主は、若い娘だったとな。奴らは我々を、その二人と勘違いした可能性がある」
杏子は静かに頷く。
「もしそうなら、この山にはまだ遺物が残ってる」
その瞳が鋭く細められた。
「だから、私たちが現れた途端に動いた。先に追い払ってしまえば、誰にも渡さずに済むと思ったんでしょうね」
納得したように剣を納めると、杏子はゆっくり立ち上がった。
「だとすると、ここで休んでる暇はなさそうね。急ぎましょう」
聖奈も頷き、立ち上がる。
「登山再開だね。頂上を目指そう」
そう言って自然に愛蓮へ手を差し伸べる。
愛蓮もその手を借りて立ち上がると、小さく息を吸い込み、力強く頷いた。
三人は再び山道へ足を踏み入れる。
木々を渡る風だけが、その背中を静かに見送っていた。
一方その頃。
薄暗い山中の小屋では、障子越しの淡い光だけが静かな室内を照らしていた。
部屋の中央には白石昂弥が座し、その前には鋼と霞が膝をついて頭を垂れている。
「やはり、ただの観光客ではなかったようです」
鋼が低く報告すると、昂弥は短く息を吐いた。
「ほう。お前たちを退けるほどの腕前とはな。油断は禁物か」
その声音に苛立ちはない。
状況を冷静に組み立てるように、昂弥は続けた。
「それで。相手はどのような呪具を使っていた?」
鋼と霞は顔を見合わせる。
答えに窮したような沈黙が流れた後、霞が慎重に口を開いた。
「それが……呪具らしきものは確認できませんでした」
昂弥の眉がわずかに動く。
「どういうことだ」
「信じ難い話ですが……」
霞は言葉を選びながら続ける。
「彼女たちは、スマホを使っておりました」
室内の空気がわずかに張り詰めた。
「スマホだと?」
昂弥は初めて表情を変える。
「呪具も符も使わず、あの小さな板で術を扱うというのか」
「術の理屈までは分かりません」
霞は首を横に振る。
「ですが、確かにあの中から巨大な盾や剣を出現させました。防御も攻撃も、これまで見たことのない術でした」
昂弥は黙って考え込み、今度は鋼へ視線を向ける。
「お前はどう見た」
鋼は静かに答える。
「三人目だけは違いました」
「あの女は普通の剣を使っていました。スマホも術も使わず、ただ剣で戦っていただけです」
霞も頷く。
「ええ。あの剣士なら私のワイヤーで拘束できました。警戒すべきは、あの奇妙な術を使う二人です」
昂弥は小さく頷く。
「そうか……」
だが、その瞳から警戒は消えない。
「ならば、その二人については侮れんな」
静かに立ち上がると、棚から桐の札箱を取り出した。
蓋を開き、一枚の札を抜き出す。
燃え盛る炎を思わせる紋様が、札の表面に刻まれていた。
「よかろう」
札を手にした昂弥の声が、静かに室内へ響く。
「これ以上、奴らを放置するわけにはいかん。俺も出る」
霞が思わず顔を上げた。
「昂弥様が……直接ですか?」
「当然だ」
昂弥は即座に答える。
「お前たちだけでは分が悪い。術を使う二人は俺が相手をする」
手にした札を軽く掲げる。
「この《焔鼠の札》でな」
鋼はすぐに一礼した。
「お供します」
昂弥は二人を見据える。
「三対三になる。準備を整えろ」
「はっ」
二人は深く頭を下げ、小屋を後にした。
静寂が戻る室内で、昂弥は《焔鼠の札》を静かに見つめる。
「スマホなどという玩具で術を操る……」
得体の知れない術を前にしても、その表情に迷いはなかった。
「その正体、見極めてやる」
静かな闘志だけを残し、山小屋は再び沈黙に包まれた。
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