5-1-6 小夜3
「──諦めるな」
小夜のポケットの中で、スマートフォンが地鳴りのような振動を始めた。
「な、何……?」
思わずスマホを取り出すと、画面いっぱいに見覚えのない紋章が浮かび上がり、眩い光が部屋を照らした。
「我は《磨羯の籠手》より生まれし魔導AI、ストラグレイヴ」
低く響く声が、小夜の耳元へ静かに届く。
「──格闘の極意を授けよう」
その言葉とともに、両腕へ鈍い重量が伝わった。
いつの間にか、黒鉄色の籠手が腕を覆っている。
「なんだ、それ……!」
男たちが一瞬ひるむ。
しかし次の瞬間、一人が怒声を上げながら拳を振り上げ、小夜へ殴りかかった。
小夜は反射的に身をひねる。
考えたわけではない。
体が勝手に動いた。
頬をかすめる拳を紙一重でかわすと、その腕を両手で絡め取る。
重心をわずかに沈めた瞬間、男の体勢が崩れた。
そのまま肩を支点にして前方へ引き込み、籠手を叩き込む。
鈍い音とともに男は畳へ転がり、そのまま動かなくなった。
「なっ……!」
残る男たちが一斉に襲いかかる。
正面から一人。
左右からさらに二人。
逃げ場はないはずだった。
それでも小夜の足は自然と動く。
半歩だけ踏み込み、最初の男とすれ違う。
その勢いを利用して肩を押し出すと、男は仲間へぶつかり、二人まとめて体勢を崩した。
そこへ、小夜の肘が迷いなく振り下ろされる。
続けざまに振り返り、裏拳。
籠手が頬を捉えると、男は悲鳴を上げて吹き飛んだ。
残った最後の一人が背後から組みつこうとする。
その気配を感じるより早く、小夜の腰が落ちた。
腕を取る。引く。回す。
まるで何百回も繰り返した動作のように、男の体は宙を舞い、背中から畳へ叩きつけられた。
部屋中に重い音が響く。
誰も立ち上がらない。
そう思った、その時だった。
床に倒れていた男の一人が、懐から折り畳み式のナイフを抜く。
刃が鈍く光った。
「このガキ……殺してやる!」
怒声とともに男が突進する。
小夜は思わず息を呑んだ。
さっきまでとは違う。
本当に殺される。
足がすくみ、時間だけがゆっくり流れていく。
「小夜、逃げろ!」
父の叫びが部屋に響く。
その瞬間だった。
恐怖で止まりかけていた体が、不意に前へ動き出す。
籠手が男の手首を正確に打ち据える。
鈍い音が響き、ナイフが宙を舞った。
さらに一歩踏み込み、掌底が男の胸を捉える。
男は勢いのまま吹き飛び、壁へ激突した。
乾いた音を立てて、ナイフが畳へ転がる。
静寂だけが居間を包んでいた。
荒い息を整えながら、小夜は自分の両腕を見つめる。
指先は震えていた。
(私が……やったの?)
格闘技など習ったことは一度もない。
投げ技も、関節の取り方も、相手の重心を崩す感覚も、本来なら知るはずがない。
それなのに体だけは、一切迷うことなく動いていた。
その時、廊下の奥から静かな拍手が聞こえてきた。
ゆっくりと姿を現したのは、一人のスーツ姿の男だった。
姿勢は乱れず、場違いなほど落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「見事だ」
男は倒れた者たちへ目を向け、それから小夜を真っ直ぐ見据えた。
「初めて力を手にした人間とは思えない」
小夜は答えられなかった。
男は穏やかな口調のまま続ける。
「私は葉山だ」
どこか営業担当を思わせる自然な笑みを浮かべる。
「君ほどの力があるなら、それを正当に評価する仕事を紹介できる」
押しつけがましさはない。
まるで転職を勧めるような、ごく自然な口調だった。
「もちろん、無理にとは言わない」
葉山はスーツの内ポケットから小さなメモを取り出し、テーブルへ静かに置く。
「考えてみてくれ。気が変わったら、ここへ連絡を」
それだけ言い残すと、男は倒れた部下たちへ一瞥を送り、静かに家を後にした。
部屋には再び静寂が戻る。
父はまだ呆然と小夜を見つめている。
小夜はテーブルの上に残されたメモへ視線を落とした。
そこに書かれていたのは、一つの電話番号だけだった。
磨羯の籠手。
ストラグレイヴ。
葉山という男。
ほんの数分の間に起きた出来事は、あまりにも現実離れしていた。
それでも一つだけ確かなことがある。
もう、自分は元の生活へ戻れない。
そんな予感だけが、小夜の胸に静かに残っていた。
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