5-2-26 杏子とスサノオ
翌朝。
杏子が朝食の席で「今日は須佐神社に行く」と告げると、聖奈と愛蓮は顔を見合わせることもなく、ほとんど同時に口を開いた。
「私たちも行く」
その返答に、杏子はわずかに眉を上げる。
昨日までなら、二人は被災地での支援活動を優先していただろう。だが、その理由を尋ねることはしなかった。
口元に小さな笑みを浮かべるだけで十分だった。
「そう来なくっちゃね」
三人は旅館を後にし、須佐神社へ向かった。
朝の山道には澄んだ空気が流れ、木々の間から差し込む陽光が石段をまだらに照らしている。
長く続く石段を一段ずつ登り切ると、ようやく古びた鳥居が姿を現した。
境内は静まり返り、町の喧騒が嘘のように遠い。
ひんやりとした風が木々を揺らし、その音だけが静かに耳へ届いていた。
杏子たちが鳥居をくぐった、その瞬間だった。
「ほう、美しき女神の気配がすると思って来てみたら……なんだ、人間か」
どこからともなく声が響く。
気付けば、白い衣をまとい、伸び放題の髪と髭を風になびかせた男が、まるで最初からそこにいたかのように立っていた。
男は三人を見回すと、大袈裟に肩を落とす。
「期待したんだがな」
杏子は驚く様子もなく、その男を静かに見据えた。
そして腰に差した鞘へ視線を落とし、小さく口元を緩める。
「へぇ……女神コノハナサクヤから授かったこの鞘、彼女の力が漏れ出ているようね」
その一言に、男の眉がぴくりと動いた。
隣で聖奈が目を丸くする。
「もしかして……この人も神様?」
男は鼻を鳴らし、堂々と胸を張った。
「そうだ。俺は、この神社に祀られているスサノオだ」
「あ……」
愛蓮は思わず小さく声を漏らす。
「ちょっとイメージと違うかも……」
その呟きを杏子が肘で軽く制し、前へ歩み出た。
「せっかく会えたんだから話を聞かせてくれない?」
杏子は真っ直ぐスサノオを見据える。
「私たちは神代の遺物を探しているの」
スサノオは腕を組み、杏子の腰にある鞘へ視線を向けた。
「お前たちにやれるものなどない」
少し呆れたように肩をすくめる。
「そんな立派な鞘を持っているというのに、他に何を求める?」
しかし杏子はまったく怯まない。
「先日の豪雨を引き起こした力が欲しいのよ」
その言葉を聞いた瞬間、スサノオの表情から笑みが消えた。
鋭い視線が杏子へ向けられる。
「そんなものをくれてやる道理が無かろう……」
低く言いかけて、言葉が止まる。
スサノオは杏子から視線を逸らそうとしない。
その瞳に何が映っているのかは分からない。ただ、見透かされるような感覚だけが静かに胸へまとわりついてくる。
杏子は表情を崩さなかったが、聖奈は思わず息を潜めた。
しばらくして、スサノオは小さく鼻を鳴らす。
「……と言いたいところだが」
ゆっくりと視線を戻す。
「実は、妙な腕輪を使ってヤマタノオロチを退治した娘に、それをやった」
その言葉に、空気が変わる。
杏子も聖奈も、思わず息を呑んだ。
「腕輪?」
聖奈が反応する。
その横で獅子の剣が低く唸るような声を響かせた。
「それを詳しく教えてくれ」
スサノオは軽く頷く。
「見たこともない異世界の力だった」
「水による攻撃をことごとく反射していた。俺が手を出すまでもなく、ヤマタノオロチを退治してしまったのだからな」
杏子は獅子の剣へ視線を向ける。
獅子の剣もまた、同じ結論へ辿り着いていた。
次の瞬間。
「巨蟹の腕輪だ!」
二人の声が、ぴたりと重なった。
スサノオは興味深そうに眉を上げる。
「ほう。そんな名があるのか」
感心したように頷くと、少し考えるような間を置いて続けた。
「もっとも、お前の剣ほどの力は無かったがな」
「……魔導AIね」
杏子は間髪入れず尋ねる。
「その娘が今どこにいるか分かる?」
しかしスサノオは首を横へ振った。
「知らん」
それだけ答えると腕を組み直し、興味を失ったように背を向ける。
「もういいだろう。これ以上話すこともない」
「帰れ」
冷たい口調だった。
だが杏子は意に介した様子もない。
「そう」
肩をすくめ、小さく笑う。
「まあ、あんたみたいな貧乏な神様より、もっと裕福な神様を探すわ」
その一言に、スサノオの眉がわずかに吊り上がる。
だが怒鳴ることもなく、ただ鼻を鳴らしただけだった。
杏子たちはそのまま境内を後にする。
石段を下り始めると、愛蓮が困ったように笑った。
「杏子さん、あんな言い方しなくても……」
「別にいいのよ」
杏子は振り返りもせず答える。
「あの手の神様は、少し刺激してやった方が次に繋がるんだから」
聖奈も思わず苦笑する。
しかし、すぐにその表情は真剣なものへ変わった。
「それより……腕輪の持ち主、見つけられるかな」
杏子は足を止める。
ゆっくりと二人を振り返り、その瞳に確かな意志を宿した。
「見つけるわよ」
迷いはなかった。
「だって、本当に巨蟹の腕輪なら仲間にできるし、会わないわけにはいかないでしょ」
その力強い言葉に、聖奈と愛蓮も静かに頷く。
三人は再び歩き始めた。
静かな山道を下りながら、新たな手掛かりを胸に、それぞれが次の目的地を思い描いていた。
その背中を見送るように、境内ではスサノオが小さく鼻を鳴らす。
「裕福な神様だと?」
呆れたようにぼやきながらも、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「……まったく、生意気な奴だ」
そう呟くと、スサノオは社殿の奥へ静かに姿を消した。
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