5-2-21 磨羯の覚醒2
火の海と化した原始林の中、アメノカクは怒りに身を任せ、角から次々と雷撃を放っていた。
樹齢を重ねた巨木は裂け、燃え上がった炎が貴重な草木を呑み込んでいく。
その光景を見据え、小夜は《磨羯の籠手》へ静かに触れた。
籠手が呼応するように淡い光を帯びる。
大地の力が腕から全身へと流れ込み、足裏が地面へ吸い付くような安定感をもたらした。
その一方で、頬を撫でた夜風が身体を包み込み、重かった身体が嘘のように軽くなる。
一歩踏み出す。
ただそれだけで、景色が流れた。
自分でも信じられないほど鋭く、しなやかに身体が動く。
(……行ける)
胸の奥に、不思議な確信が芽生えた。
小夜はゆっくり拳を握り締める。
「気合い入れて行くわよ」
籠手が淡い光を帯びる。
その輝きは腕から全身へと駆け巡り、大地の力が骨の奥まで染み渡っていく。同時に風が小夜の身体へ絡みつき、足取りを羽のように軽くした。
次の瞬間、小夜の姿が消えた。
「……!」
アメノカクが目を見開く。
視界へ捉えた時には、小夜はすでに懐へ潜り込んでいた。
「せいっ!」
踏み込んだ一歩とともに、拳が深くめり込む。
鈍く重い衝撃が鹿の巨体を揺さぶり、アメノカクは思わず息を詰まらせて後ずさった。
「ぬっ……!」
すぐさま角を振り上げ、雷をまとわせながら反撃に転じる。
だが、小夜は紙一重で身を沈め、その軌道をかわした。
「ふっ!」
風に押されるような踏み込みから、鋭いジャブが放たれる。
一発、二発、三発。
軽やかな拳が休むことなく顔面を打ち据え、アメノカクは距離を取ることすら許されない。
「遅い!」
鹿がたたらを踏んだ、その一瞬。
腰を深く落とした小夜の身体が大地を踏み締める。
踏み込む力が拳へ集まり、渾身のアッパーとなって突き上げられた。
「はあっ!」
轟音とともに拳が顎を打ち抜く。
巨体が大きく仰け反り、そのまま地響きを立てて地面へ倒れ込んだ。
「……ふぅ」
小夜は呼吸を整えながら拳を下ろす。
だが、アメノカクはなお立ち上がった。
怒りに燃える瞳は変わらない。
とはいえ、その足取りは重く、全身はわずかに震えていた。
ストラグレイブの声が静かに響く。
「解析を継続。筋肉の収縮、重心移動、視線の揺れ──次の動きは予測できる」
その言葉と同時に、小夜の視界へ赤い軌跡が幾筋も走った。
角が振り下ろされる軌道。
踏み込みの位置。
反撃が届く最適な間合い。
ストラグレイブの解析が次の一手を示す。
考えるよりも早く、小夜の身体がその軌跡をなぞるように動いていく。
「すごい……これが、今の私……」
思い描いた通りに身体が応える。
「どうして、そこまで……!?」
アメノカクが息を荒げる。
小夜は構えを崩さない。
「私の拳は、風のように速くて、大地のように重いのよ。効いたでしょ?」
アメノカクは答えない。
咆哮とともに一直線に突進する。
小夜は一歩も退かなかった。
迫る角だけを見据え、その瞬間を待つ。
「これで終わりよ!」
交錯する一瞬。
身体を捻りながら放たれたクロスカウンターが、大角を真正面から捉えた。
乾いた破砕音が夜の森へ響く。
大角は根元から砕け散り、衝撃に耐えきれなくなった白い巨体が、その場へ崩れ落ちた。
火の爆ぜる音だけが静かに響く。
小夜はゆっくりと拳を下ろし、肩で息をついた。
倒れ伏したアメノカクはなお身じろぎしたものの、もはや立ち上がる力は残されていなかった。
「……この我が、負けるはずが……」
小夜は険しい表情のまま鹿を見つめる。
「あなたが守りたかったものが燃えていくの、わかってる?」
炎に包まれた原始林へ視線を向け、小夜は静かに続けた。
「この森を滅ぼしてまで戦う意味なんて、ないでしょ!」
その言葉が夜の森へ消えた直後だった。
不意に、世界から音が失われる。
炎の爆ぜる音も、木々のざわめきも、すべてが遠く退いていく。
「そこまでだ。双方、武器を収めよ」
重々しい声が森全体へ響き渡った。
小夜が振り返る。
そこには、一人の老戦士が立っていた。
古き鎧をまとい、悠然と歩み寄るその姿からは、言葉では測れぬ威厳が静かに満ちあふれている。
その場にいるだけで、森そのものが息を潜めたようだった。
アメノカクは目を見開き、驚愕のまま身を震わせる。
砕けた角を抱えながら辛うじて身を起こし、深く頭を垂れた。
その様子を見て、小夜は息を呑む。
「まさか、あなたは……」
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