5-2-19 原始林を駆け抜けろ2
小夜は森の中をさまよい続けていた。
汗と泥にまみれた体は重く、何度も転倒したせいで手足には細かな切り傷や擦り傷が増えている。夜気にさらされた傷口がひりつくたび、体力だけでなく気力まで少しずつ削られていった。
どれほど歩いても景色は変わらない。
木々は同じように立ち並び、闇はどこまでも続いている。滝の音は聞こえず、自分がどこへ向かっているのかさえ、もう分からなかった。
「これ以上は……もう無理……」
ついに小夜は足を止め、その場に膝をつく。
湿った落ち葉が膝に張り付き、肩で荒く息をついた。
四方を囲む木々は、まるで巨大な檻のようだった。
逃げ道も、出口も見えない。
「……助けてよ、ストラグレイブ……」
小夜は心の中で、ずっと隣にいてくれた相棒へ呼びかけた。
これまでどれほど危機に陥っても、彼は必ず分析し、道を示してくれた。
だから今回も、どこかで答えを用意してくれていると信じていた。
しかし返ってきたのは、森を渡る風の音だけだった。
「……どうして黙っているの……?」
沈黙は長く続いた。
だが、その静寂を破ったのは、これまで聞いたこともないほど重く苦い声だった。
「……私の判断ミスだ」
小夜は思わず顔を上げる。
「判断……ミス?」
「私がお前に、この勝負を仕掛けさせた」
ストラグレイブは静かに続けた。
「相手の性質ばかりを分析し、この森そのものを軽視していた。私がもっと慎重に考えていれば、お前をこの状況へ追い込むことはなかった」
わずかな間を置き、低く言う。
「……すまない」
その謝罪には、言い訳は一切なかった。
常に冷静で、どんな局面でも最適解を導いてきたストラグレイブが、自らの失策を認めている。
小夜は、その声に胸が締めつけられた。
「そんなの、ストラグレイブのせいじゃないよ」
首を横に振る。
「私だって、森へ入れば迷うかもしれないって考えなかった」
疲れた笑みを浮かべながら続ける。
「一連托生でしょ?」
その一言に、ストラグレイブは黙り込む。
「どっちが悪いとかじゃないよ。一緒に決めたんだから、一緒に乗り越えよう」
静寂が流れた。
やがて、その沈黙は小さな笑い声に変わる。
「……一連托生、か」
少しだけ肩の力が抜けたような声だった。
「分析担当の私が、お前にそんな言葉を教えられるとは思わなかった」
その声音がおかしくて、小夜も思わず吹き出した。
「ふふっ……」
笑い始めると止まらない。
さっきまで泣きそうだったことさえ馬鹿らしく思えてくる。
深い森の真ん中で、一人と一体は声を合わせて笑っていた。
その笑いは、不思議と胸につかえていた不安を洗い流してくれるようだった。
笑いが収まると、ストラグレイブが静かに口を開く。
「小夜」
その声は、先ほどまでとは違っていた。
迷いが消え、何かを決意した響きがある。
「この状況を覆す方法は、一つだけある」
「何?」
小夜は真剣な表情へ戻る。
「私の真の力を覚醒させる」
その一言で空気が変わった。
「だが、これは諸刃の剣だ」
ストラグレイブは淡々と説明する。
「本来の力は、お前の魔力だけで扱えるものではない。制御を誤れば、周囲の環境だけでなく、お前自身にも深刻な影響を及ぼす」
「暴走……?」
小夜の胸に、不安がよぎる。
だが、その迷いは長く続かなかった。
ここまで来て立ち止まるつもりはない。
ストラグレイブを信じると決めたのは、自分自身なのだから。
小夜は静かに立ち上がった。
泥で汚れた服を払い、前を向く。
「覚悟はできてるよ」
その瞳には、もう迷いはなかった。
ストラグレイブは短く応じる。
「そうか」
そして、穏やかに続けた。
「なら、ともに行こう」
その瞬間だった。
周囲の空気が震え、森全体が息を吹き返したかのようにざわめく。
「覚醒せよ──ストラグレイブ!」
小夜の叫びが夜の森へ響いた瞬間、足元の大地が低く脈動した。
同時に、一陣の風が木々を揺らし、梢を渡る音が四方から押し寄せる。静まり返っていた原始林が、眠りから目覚めるように息づき始めた。
視界が白く弾ける。
次の瞬間、世界はまるで別の姿を見せていた。
木々の根が大地の奥でどこへ伸びているのか。岩肌の起伏がどこへ続いているのか。湿った土の匂いさえ、森全体の地形を語りかけてくる。
幻惑に覆われていた景色は霧が晴れるようにほどけ、森の構造が一つの地図となって小夜の意識へ流れ込んだ。
「……これが、ストラグレイブの力?」
驚く小夜の頬を、冷たい風が駆け抜ける。
その風は頬を撫でるだけではない。背を押し、進むべき方角を示すように吹き続けていた。
木々はざわめき、枝葉は道を譲るように揺れ、森そのものが小夜を導いている。
「滝は北東だ。このレーザーに従え」
ストラグレイブの声とともに、闇の中へ一本の赤い光が伸びた。
迷宮の奥を貫く、その一本の光だけは決して揺るがない。
「行くよ、ストラグレイブ!」
小夜は大地を力強く蹴った。
その瞬間、風が身体を包み込み、体重が消えたように身体が前へと弾ける。
一歩ごとに地面は確かな反発を返し、その力を風が余すことなく前進へ変えていく。
木々の間を縫い、枝をかわし、夜の森を風そのものとなって駆け抜けた。
遠くから、水音が聞こえ始めた。
滝だ。
小夜は自然と笑みを浮かべる。
「これなら……絶対に勝てる!」
迷いは、もうない。
風は舞い、大地は支える。
その二つの力が一つになった今、小夜を阻むものは何もなかった。
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