5-2-16 賜物の鈴1
冬の柔らかな陽射しが境内の木々を照らしていた。
春日大社での最後の調査を終えた小夜は、石畳の上をゆっくりと歩きながら、小さく息をつく。
奈良に滞在した数日間、思いつく限りの手掛かりを追った。しかし、獅子の剣の行方は依然として掴めないままだった。
それでも、この土地で得たものが何もなかったとは思えない。
神域の静けさに触れ、神の使いと語り合い、自分たちの知らない世界が確かに存在することを知った。その経験だけでも、この旅には十分な意味があった。
帰省の締めくくりとして、小夜はもう一度だけ春日大社を訪れていた。
人影の少ない林へ足を踏み入れると、木漏れ日の向こうから白い鹿が静かに姿を現す。
「今日で奈良を離れます。お世話になりました」
小夜は丁寧に頭を下げた。
アメノカクは静かに小夜を見つめると、
「そうか」
とだけ答え、興味が失せたように視線を森へ向けた。
その素っ気なさが、どこか彼らしい。
「あの……」
何か話したい。
そう思ったものの、話題が見つからない。
ふと目に留まったのは、首元で小さく揺れる鈴だった。
「その鈴、とても素敵ですね」
その一言に、アメノカクの耳がぴくりと動く。
「これか」
わずかに胸を張るように首を上げた。
「主人より賜ったものだ。ただの飾りではない。この鈴には神力が宿っている。我が身を守り、必要な時には主人と繋がるためのものだ」
普段の厳格な口調とは違う。
主人から授かった品を語るその声には、隠しきれない誇らしさが滲んでいた。
「本当に素敵ですね」
小夜が素直に微笑むと、
「ふむ。お前も多少は目が利くようだ」
アメノカクは満足そうに鼻を鳴らした。
そのどこか子どものような反応がおかしくて、小夜も思わず笑みを零す。
神の使いと人間。
本来なら交わることのないはずの相手だったが、別れ際には少しだけ距離が縮まったような気がした。
「それでは、またどこかでお会いできることを願っています」
深く頭を下げる。
返事はない。
だが、背を向けた白い鹿は一度だけ尾を揺らし、そのまま木立の奥へ静かに消えていった。
小夜はその姿が見えなくなるまで見送り、胸に小さな名残惜しさを抱えながら春日大社を後にした。
—-
奈良を離れ、両親とも別れた小夜は、自宅へ戻った。
久しぶりの一人暮らしは静かだった。
荷物を片付けながらも、頭から離れないのは獅子の剣のことばかりだ。
結局、有力な手掛かりは見つからなかった。
それでもアメノカクと交わした約束だけは、心のどこかに残っていた。
夕方になると、月奈と美玲から連絡が入る。
久しぶりの再会に三人は自然と笑顔になり、近所のカフェへ足を運んだ。
湯気の立つ飲み物を囲みながら、それぞれの休暇の出来事を語り合う。
「奈良はどうだった? 楽しかった?」
月奈が尋ねる。
「うん。いろいろ見て回れたよ」
小夜は笑って答えた。
嘘ではない。
けれど、本当に話したいことは一つも口にできなかった。
「そっか。よかった!」
月奈は素直に笑う。
その隣で、美玲だけは小夜の表情をじっと見つめていた。
何か隠している。
そんな違和感だけは見逃さなかった。
その時だった。
月奈のスマホが短く震える。
画面には葉山の名前が表示されていた。
「仕事の話だ……」
月奈は小さく息を吐き、ビデオ通話を開く。
画面越しの葉山は三人の姿を確認すると、
「三人一緒なら都合がいい」
と前置きして続けた。
「内容は比較的簡単だ」
穏やかな口調だった。
だからこそ、その次の一言が小夜の心を凍りつかせた。
「春日大社にいる神鹿が身につけている鈴を入手してきてほしい。それだけだ」
「神鹿って……鹿のこと?」
美玲が首を傾げる。
「ああ。伝説の白い鹿だ」
葉山は淡々と説明を続ける。
「特別な鈴らしい。お前たちなら難しくないだろう」
その瞬間、小夜の血の気が引いた。
白い鹿。
アメノカク。
別れ際に誇らしげに語っていた、主人から授かった鈴。
あれは決してただの飾りではない。
神と繋がるための神具だった。
「ちょっと、小夜?」
月奈が慌てて顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「どうしたの? 本当に顔色悪いわよ」
美玲も心配そうに身を乗り出す。
「……大丈夫。ただ、少し疲れてるだけ」
そう答えながら、小夜は視線を落とし、小さく囁いた。
「どうしよう、ストラグレイブ……」
返事はなかった。
普段ならすぐに答えるはずのストラグレイブは、沈黙を守ったままだ。
その静けさが、かえって事態の深刻さを物語っていた。
テーブルの上では、湯気だけが静かに立ち上っている。
賑やかな店内にいるはずなのに、小夜だけが別の世界へ取り残されたような感覚だった。
葉山の依頼を断ることはできない。
だが、その依頼は神の使いを裏切ることに等しい。
(どうしよう……。誰も傷つけずに、この仕事をやり遂げる方法なんて、本当にあるの……?)
胸の奥で問いかけても、答えは返ってこない。
アメノカクとの約束。
タケミカヅチへの畏れ。
そして、組織の一員として果たすべき任務。
そのすべてが、小夜の心を静かに締めつけていた。
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