5-2-6 斐伊川決壊
月奈たちは斐伊川を目指し、山あいを縫う県道をひたすら進んでいた。
舗装された道路も、記録的な豪雨の前では無力だった。山肌から崩れ落ちた土砂や折れた木々が何度も行く手を塞ぎ、そのたびに車を止めなければならない。
「また……!」
美玲が思わず舌打ちする。
小夜は迷うことなくストラグレイブを戦闘モードへ切り替えた。
「任せて!」
青い光が閃き、鋭く収束した魔力が倒木を正確に撃ち抜く。砕けた木片や岩が雨の中へ飛び散り、塞がれていた道が再び開けた。
「こういう時に便利なデバイスで良かった」
小夜は苦笑しながらも、次の障害物へ視線を向ける。
「便利どころか、これがなかったら一歩も進めてないわよ」
美玲は慎重にハンドルを握り直した。
月奈も前方から目を離さず、小さく頷く。
「でも、川に近づくほど危険になるはず。最後まで油断しないで」
三人は互いに声を掛け合いながら、荒れ果てた道を少しずつ進んでいった。
やがて木々の切れ間から、斐伊川が姿を現す。
その瞬間、三人は息を呑んだ。
「ひどい……」
月奈の口から、かすれた声が漏れる。
そこに川はなかった。
あるのは、茶色く濁った巨大な濁流だけだった。
堤防は各所で決壊し、本来の流路などとうに失われている。
流木や瓦礫、土砂までもが轟音とともに渦を巻き、暴れ狂う水は川というより、一面へ広がった荒れ狂う海そのものだった。
耳を塞ぎたくなるほどの水音が絶え間なく響き、激しい雨さえ小さく感じられる。
「こんなの……どうやって……」
小夜は思わず口元を押さえた。
美玲も険しい表情で車を止める。
「ここから先は車じゃ無理ね」
エンジンを切ると、轟く濁流の音が一層大きく響いた。
月奈はゆっくりと車を降りる。
激しい濁流を目の前にすると、思わず足がすくむ。
もし男の言葉が本当なら、この先にいるのは神話の怪物だ。
怖い。
そんなのは当たり前だ。誰だって怖い。
逃げ出したい気持ちがないと言えば嘘になる。
それでも、ここで前に出るのは自分しかいない。
胸元から血のように赤い勾玉を取り出す。
雨粒が勾玉の表面を滑り落ち、不気味な赤い光が鈍く揺らめいた。
月奈は大きく息を吸い込み、それを高く掲げる。
「ヤマタノオロチ!」
雨風に負けないよう、声を張り上げる。
「お前を封じていた憎い勾玉はここにある!」
叫びは暴風雨へ飲み込まれた。
返事など返ってくるはずもない。
そう思った、その時だった。
轟々と鳴り響いていた濁流が、不意に静まる。
一瞬だけ。
世界から音が消えたような、奇妙な静寂。
「……え?」
次の瞬間だった。
轟音とともに、川面が爆発する。
巨大な水柱が一本、天へ向かって噴き上がる。
続いて二本。
三本。
四本。
さらに五本、六本、七本──
最後に八本目が立ち上がった。
「うそ……」
小夜が震える声を漏らす。
八本の水柱は互いに絡み合うことなく、それぞれが独立した生き物のように身をくねらせている。
渦巻く濁流をまとい、巨大な蛇が鎌首をもたげるようにゆっくりと持ち上がっていく。
その姿は、神話の挿絵など比べものにならないほど禍々しかった。
そして八本すべてが、一斉に月奈たちへ向く。
「来る!」
月奈が叫ぶ。
迷う暇はない。
魔導AIが顕現させたデバイス──《巨蟹の腕輪》が、淡い光を放つ。
「退けよ──カールスティール!」
魔力が一気に膨れ上がり、三人を包む反射フィールドが展開される。
「これで少しは耐えられるはず!」
美玲も《双児の双剣》を抜き放った。
左右の剣が雨を切り裂き、鋭い軌跡を描く。
「舞い踊れ──アマルテウス! セレティス!」
嵐の中でも、その構えに迷いはない。
「どうやら、本気で戦うしかないみたいね!」
小夜も《磨羯の籠手》を解析モードへ切り替えた。
「暴き出せ──ストラグレイブ!」
無数の分析光が八本の水柱を走査していく。
「弱点を見つければ、勝ち目はある!」
しかし、水柱は止まらない。
一本一本が巨大な蛇のようにうねり、濁流や瓦礫を巻き込みながら迫ってくる。
牙を剥くように水飛沫が弾け、大地が震えた。
「来るよ!」
月奈の声とともに、三つの魔導デバイスが一斉に輝きを放つ。
神話の災厄と、人の手に託された魔導AI。
その激突が、今まさに幕を開けようとしていた。
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