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5-2-5 止まない雨2

避難所を飛び出した月奈たちは、激しく降り続ける雨の中で立ち止まり、次の行動を相談していた。


「どうしよう?」


小夜が焦った声を上げる。


「徒歩じゃ雨壺まで最低でも五時間はかかる。この雨じゃ、もっと時間がかかるかもしれない」


「レンタカーは返しちゃったしね……」


美玲も困ったように肩をすくめる。


「まさか、こんなことになるなんて思わなかったし」


三人とも雨の中へ飛び出した勢いだけはあったが、肝心の移動手段までは考えが及んでいなかった。


それでも、誰一人として諦めようとは言わない。


その様子を、避難所の隅から静かに見つめていた老人がいた。


杖を頼りにゆっくりと近づくと、三人へ静かに声を掛ける。


「あんたら……あの山へ行くつもりか」


月奈が驚きながら頷く。


老人はしばらく黙って三人を見つめ、それから小さく息を吐いた。


「なら、これを使いなさい」


差し出されたのは、一つの車の鍵だった。


戸惑う三人を見て、老人は穏やかに笑う。


「どうせ、近いうちに免許証は返納するつもりだった。使わん車を置いといても仕方がない」


少し照れくさそうに頭を掻く。


「それに、あんたらみたいな若い者が、この雨で命を落とすなんてことはあっちゃならん」


「本当にいいんですか?」


月奈が思わず聞き返す。


「ああ」


老人は力強く頷いた。


「好きに使いなさい。ただし――必ず戻ってくるんだぞ」


その言葉に、美玲は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。絶対に無駄にはしません」


—-


車は年季の入った軽トラックだった。


後部座席はなく、三人は狭い車内へ肩を寄せ合って乗り込む。


快適とは言い難い乗り心地だったが、美玲はエンジンを掛けながら苦笑した。


「まあ、贅沢言ってられないわよね」


雨を切り裂くように軽トラックは山道を走り始める。


道路は辛うじて通行できたものの、脇を流れる川は濁流となり、轟音を立てながら流れていた。


雷鳴が山々へ反響するたび、ヘッドライトに照らされた木々が激しく揺れる。


誰も口を開かなかった。


ただワイパーだけが、激しい雨を必死に払い続けている。


やがて、美玲が静かに車を止めた。


「……ここだよね」


「間違いないわ」


小夜が頷く。


しかし三人は、そのまま言葉を失った。


雨壺のあった場所は、完全に濁流の中へ沈んでいた。


大岩の姿はどこにも見えない。


激流だけが唸りを上げ、あの場所が最初から存在しなかったかのように水面を荒らしている。


「そんな……」


月奈は呆然と呟いた。


「あれじゃ、戻せない……」


美玲も拳を握る。


「せっかく来たのに……」


勾玉を握る月奈の手へ、冷たい雨が容赦なく打ち付けた。


その時だった。


「お前たち、何をしに来た」


低い声が背後から響いた。


三人が振り返る。


いつの間にか、そこには一人の男が立っていた。


伸び放題の髪と髭。


雨に濡れた白い装束。


手には古びた杖を携えている。


月奈は思わず周囲を見回す。視界の悪い豪雨のせいで、今まで気付かなかったのだろうか。


その姿は、どこか場違いなはずなのに、不思議とその場に溶け込んで見えた。


「危ないわよ!」


美玲が思わず叫ぶ。


「こんな場所で何してるの?」


男は答えない。


三人を見据えたまま、静かに口を開く。


「『血染めの勾玉』を持ち去ったのは、お前たちだな」


その言葉に三人は息を呑んだ。


「持ち去ったって……」


月奈が一歩前へ出る。


「確かに私たちです。でも、返しに来たんです!」


男は杖を強く地面へ突いた。


「返しに来た?」


雷鳴にも負けない怒声が響く。


「ふざけるな!」


その一喝だけで、三人は思わず身体を強張らせた。


「そもそも、触れるべきではなかったものだ」


しばらく沈黙が流れる。


男は濁流へ目を向け、小さく鼻を鳴らした。


「もっとも……今さら戻したところで手遅れだ」


「え……?」


「封印が解かれた時点で、歯車は動き始めた」


その言葉に、小夜が思わず尋ねる。


「どういうことですか?」


男は東の空を見つめる。


黒雲が幾重にも重なり、絶え間なく雷光が走っていた。


「見ろ」


男が杖で遠くを示す。


「あの雨は、ただの雨ではない」


月奈は降り続く雨へ意識を向けた。


「……そう言えば」


驚いたように目を見開く。


「さっきから、雨に微量の魔力が混じってる……」


男は静かに頷いた。


「もうじき斐伊川が氾濫する」


その声は不思議なほど落ち着いていた。


「この地は古来、幾度もその川に呑まれてきた」


一拍置く。


「だが、今回は桁違いだ」


遠くで雷鳴が轟いた。


「この洪水は、眠り続けた災いを呼び起こす」


美玲が思わず身を乗り出す。


「災いって?」


男はゆっくり三人を見渡した。


その視線は自分たちではなく、背後まで見透かされているような居心地の悪さを覚える。


「一つの胴に、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇」


その名を告げる。


「──ヤマタノオロチだ」


三人の顔から血の気が引いた。


「神話では討たれた」


男は淡々と言う。


「だが、神代の災いは完全には滅びていない」


勾玉へ視線を落とした。


「お前たちは、その眠りを覚ました」


「そんな……」


月奈は震える声を漏らした。


男は踵を返す。


「もう勾玉だけでは止まらん」


「待ってください!」


美玲が叫ぶ。


「じゃあ、どうすればいいんですか!」


男は足を止める。


肩越しに振り返り、苦々しく笑った。


「そんなもん、俺が知りたいくらいだ」


その一言には、怒りとも諦めともつかない重さが滲んでいた。


「だが、一つだけ言える」


男の視線が三人を射抜く。


「お前たちに、この災いを止める力があるんなら──見せてみろ」


雷鳴が轟く。


「できなければ、この土地は終わりだ」


次の瞬間、激しい雨が視界を遮る。


三人が思わず目を閉じ、再び前を見ると、男の姿はもうどこにもなかった。


風雨だけが森を鳴らしている。


しばらく誰も動けなかった。


やがて月奈がゆっくり息を吸う。


そして勾玉を強く握り締めた。


「急ごう」


二人を見る。


「斐伊川に向かう」


「でも……勾玉を戻しても意味がないなら……」


小夜が不安そうに呟く。


「それでも行くしかない」


月奈の声に、もう迷いはなかった。


「私たちが引き金を引いたなら、最後まで責任を持つ」


美玲は静かに頷き、再び軽トラックへ乗り込む。


小夜も続いた。


激しい雨がフロントガラスを叩く。


それでも三人の視線は、ただ斐伊川だけを見据えていた。


ブクマで月奈たちの応援をお願いします!

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