5-1-26 ロキアンの悩み4
ロキアン・フェルナンデスは、ロキスヴェインとの奇妙な協力関係を続けるうち、その便利さへ少しずつ慣れ始めていた。
煩雑な仕事は驚くほど手際よく片づき、評価も上がる一方だった。気づけば以前のように一人で抱え込むことも減り、仕事そのものはむしろ順調になっている。
だが、一つだけ拭えない不安があった。
ロキスヴェインが、自分の体を使って何をしているのか。
それだけは、今も何一つ分からない。
尋ねても返ってくるのは、「迷惑はかけない」という曖昧な返事だけだった。具体的なことは決して語ろうとしない。
それ以上踏み込むことを、ロキアン自身もどこかで避けていた。
便利である以上、知ってしまわない方がいいこともある──そんな考えが、少しずつ心のどこかに根を張り始めていたのである。
そんなある日だった。
社内システムでプロジェクト一覧を確認していたロキアンは、一件の案件へ視線を止めた。
《機密プロジェクト》
莫大な予算が割り当てられ、閲覧権限も厳しく制限されている。
そして責任者の欄には、自分の名前が記されていた。
「……何だ、これ」
思い返しても、まったく覚えがない。
だが、不思議と驚きはしなかった。
──ロキスヴェインだ。
そう考えれば辻褄が合う。
資料を開いてみても、内容は意図的にぼかされ、核心には一切触れていない。形式だけ整えられたような、不自然な文書だった。
ロキアンは静かに画面を閉じる。
(……深入りするべきじゃない)
そう直感した。
ロキスヴェインは自分自身でもある。
本気で隠している以上、無理に探ろうとしても、ろくな結果にはならない。
今は様子を見るしかない。
そう自分へ言い聞かせた。
ところが、その日の午後、思わぬ形で状況が動く。
休憩のためラウンジでコーヒーを飲んでいると、普段ほとんど話したことのない女性社員が足早に近づいてきた。
「少し、お時間いいですか」
切迫した声だった。
「機密プロジェクトの件で、お話があります」
「……機密プロジェクト?」
ロキアンは動揺を押し隠しながら聞き返す。
女性は眉をひそめた。
「あなたが責任者になっている案件です。まさか、忘れたとは言いませんよね?」
胸の奥がざわつく。
だが否定も肯定もできなかった。
曖昧に微笑むことしかできないロキアンへ、女性は小さく息をついた。
「少し来てください」
そう言って踵を返す。
ロキアンは迷った末、その後を追った。
二人が向かった先は、厳重な認証を抜けた先にある開発エリアだった。
さらに奥。
「機密」と表示された一室の扉が、静かに開く。
その光景を目にした瞬間、ロキアンは思わず足を止めた。
そこは研究開発室というより、まるで異様な収蔵庫だった。
古びた魔導書。
鈍く光る水晶。
見たこともない紋様が刻まれた装飾品。
壁には奇妙な図形が描かれた布が掛けられ、棚には由来すら分からない品々が整然と並べられている。
会社の開発室とは、とても思えない。
女性社員は呆れたように振り返った。
「これ、本気なんですか?」
その声には困惑よりも怒りが混じっていた。
「こんなものに、会社の予算を使うなんて」
ロキアンは返す言葉を失う。
これがロキスヴェインの計画。
そう考えるしかなかった。
女性社員は、部屋を見回しながら吐き捨てるように言った。
「機密プロジェクトって、これのことですか。こんなものに莫大な予算を使うなんて、正気とは思えません」
ロキアンは混乱していた。
目の前に並ぶ品々にはまるで見覚えがない。だが、自分の名義で進められている以上、ロキスヴェインが関わっていることだけは疑いようがなかった。
「待ってくれ」
思わず声を上げる。
「確かに責任者は俺になっている。でも……事情があるんだ」
苦しい言い訳だった。
事情など説明できるはずもない。
女性社員は納得する様子もなく、険しい視線を向ける。
「事情で済む話ですか。これはCEOへ報告するべき案件です」
ロキアンは息を呑んだ。
この場で真実を話すことはできない。
だからといって、この部屋へ彼女を長く留めておくことにも、理由の分からない危うさを感じていた。
「……外で話そう」
静かに言う。
「ここで話す内容じゃない」
女性社員も無言で頷き、二人は出口へ向かって歩き始めた。
その時だった。
部屋の空気が、不意に張り詰める。
何かが起動した。
そんな感覚が全身を駆け抜けた。
ロキアンは思わず立ち止まる。
棚に収められていた一冊の魔導書が、淡い光を帯びていた。
それを合図にしたかのように、室内へ静かな魔力が満ちていく。
「……何だ?」
次の瞬間。
視界が白く霞み、足元が揺らいだ。
何かに包み込まれるような感覚。
意識だけが深い水底へ沈んでいく。
そこで、記憶は途切れた。
—-
気がつくと、ロキアンは自分のデスクへ座っていた。
オフィスはいつもと変わらない。
時計へ目をやると、ほんの数分しか経っていなかった。
「……あれ?」
思わず周囲を見回す。
さっきまで開発室にいたはずだった。
女性社員と話をして──
そこから先が思い出せない。
頭の奥へ手を伸ばしても、何かがすっぽり抜け落ちているような違和感だけが残る。
「何が……あった?」
その時、メールの通知音が静かなオフィスへ響いた。
差出人は、ロキスヴェイン。
件名も、いつもと変わらない。
本文は、たった一行だった。
ロキスヴェイン:
疲れているようだな。少し休むといい。
ロキアンは画面を見つめたまま動けなかった。
胸の奥を、冷たいものがゆっくりと這い上がってくる。
何かが起きた。
それだけは分かる。
だが、その「何か」だけが、どうしても思い出せない。
そして記憶を失ったのは、ロキアンだけではなかった。
あの女性社員もまた、開発室で何を見たのか思い出せなくなっていた。
その日を境に、彼女が機密プロジェクトについて口にすることは二度となかった。
秘密を知った者は、その記憶を外へ持ち出せない。
あの部屋には、そうした魔法が施されている。
秘密を持ち出した者の記憶を封じる魔法。
ロキスヴェイン自身も、その例外ではない。
だから彼は、部屋を出る直前でロキアンと入れ替わる。
記憶を失うのは、いつもロキアンの方だった。
その夜もロキスヴェインは静かに計画を進める。
ロキアンは何も知らないまま眠りにつき、夢の中で途切れ途切れの光景を見る。
暗い部屋。
淡く輝く魔導書。
渦を巻く魔力。
だが、それらは朝になれば霧のように消え去り、一つの記憶として結び付くことはなかった。
ロキアンは胸の奥に残る得体の知れない不安だけを抱え、新しい一日を迎える。
その頃にはもう、自分が少しずつ誰かの計画へ組み込まれていることにさえ、気づけなくなっていた。
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