5-1-25 ロキアンの悩み3
ロキアン・フェルナンデスは、自分でも不思議に思うほど仕事が順調だった。
あの奇妙な差出人とのやり取りを始めてからというもの、煩雑な雑務は驚くほど効率よく片付き、仕事全体にも余裕が生まれていた。以前なら一日がかりだった資料作成も短時間で終わり、積み上がっていた未処理の案件も次々と片付いていく。
その成果は周囲の評価にも表れていた。
「最近、特に頼もしいな」
上司からそう声を掛けられることも増え、取引先からの信頼も以前より厚くなっているのを実感していた。
もちろん、不思議な出来事がなかったわけではない。
ここ数週間続いている突発的な眠気。
そして、ときおり訪れる記憶の空白。
医師からは過労やストレスによるものだろうと説明されていたが、ロキアン自身も完全には納得していなかった。それでも、仕事はこれまでになく順調だ。多少の違和感くらいなら目をつぶっても構わない──そんな考えが、少しずつ心の中で大きくなっていた。
ある日の午後。
ロキアンは顧客へ提出するプレゼン資料を最終確認していた。
その時、一か所の数値に誤りがあることへ気づく。
「まずい……」
このまま提出していれば、大きな信用問題になりかねない。
慌てて修正しようとファイルを開いた、その瞬間だった。
ロキアンの手が止まる。
誤りのあった箇所は、すでに修正されていた。
数字を差し替えただけではない。
説明文や根拠まで自然に書き換えられ、資料全体の整合性も取られている。
まるで、自分自身が時間をかけて手直ししたかのような完成度だった。
「……どういうことだ?」
思わずファイルの更新履歴を確認する。
だが、そこに表示されていた時間帯の記憶がない。
誰が修正したのか。
いつ修正したのか。
思い出そうとしても、頭の中には空白しかなかった。
その瞬間、不意に脳裏へ浮かぶ。
──あのメールの差出人。
ロキアンは無意識に唇を噛んだ。
その日の夜。
ロキアンは自宅のソファへ深く腰を下ろし、ノートパソコンを開いていた。
静まり返った部屋で、今日一日の出来事を思い返す。
突然襲ってくる眠気。
ところどころ抜け落ちた記憶。
そして、自分の知らない間に修正されていた資料。
一つ一つは説明できなくても、それらを一本の線で結ぶ存在には心当たりがあった。
ロキアンはゆっくりとメールソフトを開く。
まるで待っていたかのようなタイミングで、新着メールの通知が表示された。
奇妙な差出人:
今日もお疲れ様。少しは楽になっただろう?
画面を見つめながら、ロキアンは小さく息を吐く。
もう偶然では片付けられない。
迷いはあった。
それでも、確かめなければ前へ進めない。
そう思い、キーボードへ手を置く。
ロキアン:
お前に聞きたいことがある。最近、俺は記憶が飛ぶことがある。それとお前に関係があるのか?
送信した直後だった。
返信は、今回も驚くほど早かった。
奇妙な差出人:
ああ、すまない。説明していなかったな。
続いて、短い文章が表示される。
奇妙な差出人:
私が活動している間は、お前に眠ってもらっている。
奇妙な差出人:
そのせいで記憶が飛んでいるだけだ。
ロキアンは画面を見つめたまま固まった。
「……どういうことだ」
まるで天気の話でもするような口ぶりだった。
だが、その一文が意味することはあまりにも重い。
自分が眠っている間、自分ではない誰かが、自分として生きている。
そんな話を、あまりにも当然のことのように告げているのだ。
震える指で返信を書く。
ロキアン:
つまり、お前は俺のもう一つの人格だっていうのか?
間を置かず返事が届く。
奇妙な差出人:
そういう理解で構わない。
奇妙な差出人:
正確には、私がお前であり、お前が私だ。
ロキアンは額へ手を当てた。
頭の中が整理できない。
人格? 夢遊病? それとも、自分は本当に壊れ始めているのか。
どれを選んでも現実味がなかった。
しばらく画面を見つめていると、新しいメールが届く。
奇妙な差出人:
互いに『お前』では呼びづらいだろう。
奇妙な差出人:
私には以前使っていた名がある。
奇妙な差出人:
ロキスヴェインと呼んでくれ。
「ロキスヴェイン……」
その名を口にした瞬間、不思議な感覚が胸をよぎる。
初めて聞いたはずの名前なのに、どこか懐かしい。
遠い昔に忘れてしまった何かを思い出しかけるような、説明のつかない既視感だった。
だが、その正体までは分からない。
ロキアンはゆっくりと息を吐き、最後の疑問を打ち込む。
ロキアン:
どうしてこんなことになったんだ?
少しだけ間を置いて、返信が届く。
ロキスヴェイン:
理由はいずれ話そう。
ロキスヴェイン:
ただ一つだけ安心してくれ。
ロキスヴェイン:
私は、お前に害を与えるつもりはない。
ロキアンは画面を閉じることができなかった。
仕事は順調だった。
周囲からの評価も上がっている。
それなのに、自分の人生だけが少しずつ、自分のものではなくなっていく。
その奇妙な感覚だけが、静かな夜の部屋にいつまでも残り続けていた。
ブクマで月奈たちの応援をお願いします!




