5-1-22 狐の尻尾
誰一人として口を開かなかった。
夜風だけが木々を揺らし、少女と三人の間を静かに吹き抜けていく。
三人はゆっくりと距離を取り、それぞれの魔導AIへ意識を向ける。
「まずは距離を保とう」
月奈が落ち着いた口調で指示を飛ばした。
「相手の能力が分かるまでは、無闇に近付かないで」
「了解」
美玲が《双児の双剣》へ手を添える。
「威勢のいい狐だけど、こっちだって黙ってやられる気はないわ」
「気を抜かないで」
小夜も《磨羯の籠手》の解析モードを維持したまま視線を固定する。
「あの子も……ただの人間じゃない」
ストラグレイブが静かに告げた。
「忘れるな。シルフフォーンは風を操る。戦う相手は狐だけではない。この場の風、そのものが牙を剥く可能性がある」
その忠告とほぼ同時に、白い狐が低く身を沈めた。
飛び掛かる寸前の獣のように。
少女はなおも無言のまま、その様子を見つめている。
「もう戦うしかない、構えて!」
月奈の声が夜の公園へ響く。
《巨蟹の腕輪》の光学迷彩が静かに解かれ、三人の姿が夜気の中へ浮かび上がる。
その瞬間、静寂は破られ、戦いの幕が上がった。
白い狐が風をまとい、音もなく地を蹴った。
その姿は夜風へ溶け込むように駆け抜け、一瞬遅れて鋭い風鳴りが響く。目の前を疾風のごとく横切ったかと思うと、空気そのものが刃へと変わり、幾筋もの風の斬撃──カマイタチが三人へ襲いかかった。
「美玲!」
月奈が叫ぶのと同時に、美玲が双剣を構える。
「任せて!」
咄嗟に振るった双剣の一振り、防御を担うアマルテウスが風の刃を正面から受け止めた。
金属を叩くような衝撃が腕へ伝わり、痺れるような痛みが走る。それでも美玲は踏み込みを崩さず、そのまま斬撃を弾き返した。
「大丈夫、攻撃は見える!」
美玲が口元へ笑みを浮かべる。
すると、もう一振りの剣──攻撃を司るセレティスが、不気味なほど静かな声で囁いた。
「次は当てる」
その直後だった。
白い狐の尾が、不意に二つへ分かれた。
分かれた尾が風をまとった瞬間、狐の全身から立ち上る魔力が目に見えて濃くなる。
「嫌な予感がする……!」
小夜の言葉が終わるより早く、狐は再び地を蹴った。
今度は二筋のカマイタチが時間差で襲いかかる。
美玲は一撃目を双剣で受け流した。しかし、その反動で体勢がわずかに崩れた隙を狙うように、二撃目が横腹を掠める。
「くっ……!」
身を沈めたその瞬間、月奈が白銀の腕輪をかざした。
「カールスティール!」
淡い青白い反射フィールドが美玲を包み込み、追撃の風刃を受け流すように弾き返す。
「ありがとう! 助かった!」
「前に出過ぎないで!」
月奈は少女と狐から目を離さないまま叫ぶ。
「速度についていけないなら、防御を優先!」
その声を引き継ぐように、小夜が冷静に状況を整理した。
「ナイス、月奈。二人は狐の方をお願い」
視線を少女へ向ける。
「私は、あの子に狐を止めさせてみる」
小夜が少女へ向き直った、その時だった。
離れた場所で静かに戦いを見つめていた少女が、腰へ揺れる狐の尻尾のような飾りへ、そっと指先を添える。
次の瞬間、その姿が音もなく二つへ分かれた。
「幻影だ」
ストラグレイブが鋭く告げる。
その直後、小夜が不思議そうに首を傾げた。
「……あれ、声が二重になってる」
耳を澄ませる。
聞こえてくる声は妙に近い。いや、それどころか、すぐ真横から聞こえていた。
恐る恐る振り向いた小夜は、思わず息を呑む。
そこには、自分自身が立っていた。
「なっ……!?」
「どういうこと!?」
美玲も目を丸くする。
混乱は一気に広がった。
増えたのは小夜だけではない。
月奈も、美玲も、それぞれもう一人ずつ現れていた。
まるで狐が生み出した幻影の中へ、自分たちまで取り込まれてしまったかのようだった。
「どうなってるの?」
美玲1が叫ぶ。
「そんなの私が聞きたいよ!」
美玲2も負けじと叫び返す。
月奈1は二人を見比べながら青ざめた。
「ちょっと待って……どっちの美玲を守ればいいの?」
すると月奈2が、半ば呆れたように言い返す。
「あなたが偽物なら、シールドは使えないでしょ?」
「それ、こっちのセリフだって!」
月奈1も反射的に言い返す。
こんな状況なのに、どちらも自分が本物だと信じて疑わない。
そのやり取りを嘲笑うように、白い狐の尾がさらに分かれ始めた。
三本、四本、五本──そして六本。
それぞれの尾へ風が宿り、周囲の空気がざわめき始める。
「まずい!」
小夜1が叫ぶ。
しかし、一瞬遅かった。
狐が六本の尾を一斉に振るう。
風の刃が幾重にも生まれ、公園中を駆け抜けた。
六人になった月奈たちも、その暴風の中へ巻き込まれる。
誰が本物で、誰が幻なのか。
視界も、位置も、一瞬ごとにかき乱されていく。
「白い狐にとっては、本物も偽物も関係ないらしいな」
ストラグレイブだけが、妙に冷静だった。
「惑わされるな。本物のお前たちが惑えば、それだけで術中だ」
その声が響いた直後だった。
少女が再び腰の尻尾飾りへ静かに触れる。
空気が重く沈み込み、公園全体が息を潜めたような静寂に包まれる。
「……まだ増えるの!?」
小夜2が思わず声を上げた。
次の瞬間。
さらに三人。
月奈、美玲、小夜が、もう一組ずつ現れた。
合計九人。
誰もが同じ顔で、同じ表情で、互いを見つめ合っている。
「え、ちょっと待って……」
美玲1が固まる。
「今度は私まで三人!?」
美玲2が叫び、
「もう訳分かんない!」
美玲3が頭を抱えた。
それに呼応するように、白い狐の尾も九本へと増えていく。
一本一本へ宿る風が渦を巻き、公園の空気そのものを震わせた。
「どうするのよ、こんなの!」
美玲1が悲鳴を上げる。
「だから私に聞かないで!」
「私だって知らないって!」
三人の美玲が一斉に返した。
「落ち着いて!」
月奈1が叫ぶ。
「本物の私たちが動かなきゃ!」
すると月奈3が真顔で返す。
「だから、その本物が誰なのよ!?」
その一言に、誰も返事ができなかった。
「このままじゃ……」
小夜3が唇を噛む。
「やられる……」
九本の尾がゆっくりと持ち上がる。
風が唸り、夜の公園を包む空気が張り詰めていく。
「チームワークがまとまらなきゃ勝ち目はない!」
小夜2が必死に叫ぶ。
だが、その声さえ、今や誰のものなのか分からない。
互いを信じたい。
それでも、目の前にいる自分が本物なのか幻なのか、確信を持てない。
少女は静かに三人──いや、九人を見つめていた。
白い狐の九尾がゆっくりと揺れる。
次の猛攻が始まるまで、あとわずかだった。
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