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5-1-21 狐の足跡

夜の豊川稲荷は、昼間とはまるで別の場所のようだった。


参拝客の姿はなく、総門の向こうには静寂だけが広がっている。月奈たちは総門から少し離れた物陰へ身を潜め、ライブカメラの死角から境内の様子を見守っていた。


小夜はスマートフォンを握り直し、《磨羯の籠手》ストラグレイブを解析モードのまま待機させる。


「何か動きがあったらすぐ分かるけど……白い狐、本当にまた来るのかな」


「昨日の様子を見る限り、一度きりとは思えない」


月奈も視線を総門へ向けたまま、小さく答える。


「あの子にも、何か目的があるはずだから」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、総門の奥で白い影が揺れた。


静かな足取りで、一匹の白狐が姿を現す。


「……来た」


小夜が息を呑む。


昨夜見た群れとは違う。


現れたのは、たった一匹だけだった。


「昨日はあんなにいたのに」


美玲が目を細める。


「今日は一匹?」


月奈は狐から目を離さない。


「あの子を迎えに行くのかもしれない」


その瞬間だった。


ストラグレイブが静かな声で告げる。


「もしやと思っていたが、二度目で確信した」


三人が同時に耳を傾ける。


「あれは、おそらくシルフフォーンの亜種だ」


「シルフフォーン?」


聞き慣れない名前に、三人は揃って首をかしげた。


ストラグレイブは淡々と説明を続ける。


「風属性の魔法生物だ。本来は森林や山岳地帯に生息し、人間へ積極的に危害を加える種ではない」


そこで一度言葉を切る。


「だが、あの個体は違う」


「違う?」


月奈が問い返す。


「あの歩き方、周囲への警戒、一定の速度を崩さない移動。明らかに訓練された個体だ」


美玲が腕を組んだ。


「つまり、あの子が飼ってるってこと?」


「その可能性が高い」


ストラグレイブは即答した。


「風の魔法による高速移動、攪乱、索敵。状況次第では攻撃手段としても運用できる」


「魔法生物なんて言われても実感はないけど……」


美玲は肩をすくめる。


「要するに、かなり厄介ってことね」


「敵と断定はできない」


ストラグレイブは冷静に否定する。


「だが、正体が分かれば追跡は可能だ。シルフフォーンは移動の際、ごく微量の魔力痕を残す」


小夜の表情が変わる。


「それなら……追える!」


解析モードが起動し、視界へ淡い光の軌跡が浮かび上がる。


「捉えた。この方向……住宅街へ向かってる!」


「行こう」


月奈が短く頷く。


三人は互いに目配せを交わすと、白狐との距離を保ちながら静かに後を追い始めた。


住宅街へ入ると、人通りはほとんどなくなっていた。


街灯だけが、細い路地をところどころ照らしている。


小夜の視界には、シルフフォーンが残した魔力の痕跡が細い糸のように伸び続けていた。


「まだ続いてる」


「思ったより分かりやすいね」


月奈が安堵したように呟く。


だが、その安心は長く続かなかった。


古びた公園へ差しかかった瞬間、光の軌跡は不自然に途切れた。


「……え?」


小夜が立ち止まる。


「消えた?」


ストラグレイブが、低く息を吐くように呟いた。


「……抜かった。奴らの習性を忘れていた」


「どういうこと?」


月奈が問い返す。


「狐には追跡者を惑わせるための習性がある。魔力の痕跡を意図的に付け替え、追う者を別の方向へ誘導するのだ」


その説明を聞いた瞬間だった。


三人は、ほとんど同時に背筋へ冷たいものが走るのを感じた。


何かいる。


そんな確信にも似た気配が、すぐ背後から伝わってくる。


恐る恐る振り返る。


そこに立っていたのは、あの少女だった。


白い狐の背に静かに腰掛け、感情の読み取れない瞳で三人を見つめている。


「……見つかった」


小夜が息を詰めるように呟く。


追っていたつもりだった。


だが、本当に追跡されていたのは、自分たちの方だったのだ。


少女は何も言わない。


ただそこに立っているだけなのに、その場の空気そのものが支配されてしまったかのような威圧感があった。


昨夜のような狐の群れはいない。


それでも、三人の誰一人として不用意に動こうとはしなかった。


月奈はゆっくりと両手を広げ、敵意がないことを示す。


「私たちは調査をしているだけなの」


努めて穏やかな声で語りかける。


「怪しい者じゃない。この場所で何が起きているのか知りたいだけで……」


少女は微動だにしない。


聞いているのか、それとも聞く気すらないのか、その表情からは何一つ読み取れなかった。


月奈は言葉を続ける。


「あなたたちに危害を加えるつもりはない。争いたいわけでもないの」


一拍置いて、静かに問い掛ける。


「だから、少しだけ話を聞かせてくれない?」


返事はない。


夜風だけが、公園の木々を静かに揺らしていた。


「……完全に無視されてるね」


美玲が苦笑交じりに小声で漏らす。


「向こうからしたら、夜中に後をつけてきた私たちの方が怪しいんじゃない?」


「それは……否定できないかも」


小夜も困ったように息を吐く。


「もう少し真面目にやって」


月奈が小さく振り返る。


「いや、真面目な話」


美玲は肩をすくめた。


「どう見ても警戒されてるでしょ」


その言葉に、小夜は少女へ視線を戻した。


「あなたは……何が目的なの?」


静かな問い掛けも、闇へ吸い込まれていく。


代わりに、白い狐が低く唸った。


短い唸り声だった。


しかし、それだけで空気が張り詰める。


「どうする?」


美玲が声を潜める。


「下手に動いたら、本当に襲ってくるかもしれない」


月奈は答えず、少女から目を離さなかった。


その時だった。


少女が静かに狐の背から降りる。


足音ひとつ立てず地面へ降り立つと、そのまま狐の頭を優しく撫でた。


何かを囁く。


言葉までは聞き取れない。


次の瞬間。


夜風がざわりと渦を巻いた。


白い狐の毛並みが淡い光を帯び、その身体の輪郭が風と一体化するように揺らぎ始める。


「……これって」


小夜が緊張した声を漏らす。


「戦うしかないってこと?」


「どうやら」


月奈は静かに息を整えた。


「あっちは、そのつもりみたいね」


夜風が二人の間を吹き抜ける。


誰も動かない。


けれど、その均衡は、ほんの一瞬で崩れようとしていた。

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