61.悪夢の幕開け
敵襲の笛の音で目が覚めた。
「やはり来たか」
到着したその日の夜に来るとは、ずいぶんと性急なことだ。いつ襲われてもいいよう纏めておいた衣服を手早く身に着け、身を屈めながらのぞき窓からそっと外を伺った。深夜だが、赤々と明かりが焚かれ、まるで昼のような明るさだ。外は大変な喧騒に包まれている。
(——なんだこの人数は)
これほどの手勢で踏み込んでくるなど、思いもしなかった。誘拐で正面突破など、聞いたこともない。
「事前の情報が間違っていた…?」
いや、そんなはずがない。探ってきたのは、ベルナールとコスタンツァの部下たち。あの二人の配下がミスをするなど考えられない。だが、事実、目の前には想定外の事態が起きている。
「偽の情報を掴まされたか」
そうとしか考えられない。グレンの指揮のもと、賊と火花を散らしているが、上から見ないとわかることがある。
明らかに、賊は真面目に打ち合っているようには見えない。賊たちは、致命傷を受けないように、数回切り結ぶと、サッと躱していく。そして、躱しながら、騎士たちを分断にかかっている。
綺麗に隊列を組み、正面から圧をかけて潰していくのが、近衛騎士の基本戦術だが。混戦に持ち込まれ、本領発揮できていないのが見て取れる。
「グレンはあの位置か」
かろうじてグレンの位置がわかるのは、ブチのある白馬に乗っているからだ。きっと今頃グレンも違和感に気づいているはず。助けを出そうかと思案したが、ルーの使用人たちが参戦し、なんとか態勢を立て直した。
だが……
「ここで引くのはおかしい」
一斉に退却していく敵をまんまと追わされる形となった騎士団は、次第に遠ざかる。グレンはチラとこちらを見た後、事態を収拾するべく、追随する形で離宮を後にした。もはや外の守りは彼らを当てにできない。
だが、その混乱のさなか、黒ずくめの集団が離宮のほうへと迫るのが見えた。おそらく、下にいる者たちの目には見えていない。
「レアルタ」
「はっ! 殿下、こちらにおります」
片腕のない男が、陰のように控えていた。
「黒ずくめの一団が、離宮に迫っている。私は、ルーのところへ行く。お前たちは、あれらを出迎えろ」
「かしこまりました」
頭を下げた男は、音もなく立ち去った。
「ベルナール、ルーの所へ行く。隣の塔までついて来い」
「承知いたしました」
ルーは中庭を挟んだ反対側の棟にいる。あちらには、キティと、コスタンツァ、それにハルトとライト。戦力にならないカヴァッリ伯爵令嬢がいる。婚姻前に同じ建物内で寝食を共にするわけにはいかない。
「ぼっちゃま、さ、お早く」
「ああ、わかっている」
ベルナールの先導で中庭を突っ切ろうとしたその時、
「危ない!!」
ヒュンッと風切り音がした後、ベルナールに抱えられ庇われた。肉に矢が刺さる音がした。二度三度。
「ぐっ…」
私を庇ったベルナールの背に深々と矢が突き立っていた。彼の身体に合わせて仕立てられたテイルコートが、赤黒い液体で次第に重くなっていく。
「ベルナール!」
大怪我をしたにもかかわらず、ベルナールは私をきつく抱えたまま離さない。まだ私を守るつもりらしい。
「ぼ、ぼっちゃま…お逃げ下さい」
「何を言うんだベルナール。くっ! レアルタはどうした!」
「噂のレアルタってのは、思ってたより弱っちい奴だな」
聞き覚えのない声に、はっと顔を上げると、真っ黒な巨人がレアルタの襟首を掴み立っていた。
「レアルタ! くそ、誰だ貴様は!」
「おー誰かと思えば、セレニータ帝国の第一皇子殿下じゃないですか。これはこれは。お見苦しいものをお見せして」
ゴミを捨てるかのように、掴んでいたレアルタを投げ捨てた。ずしゃっと頽れた彼は、息があるのかもここからではわからない。
黒い男が覆面を外し、素顔を晒した。
額にはじっとりと脂汗が浮かび、ヒューヒューと吐息が漏れるベルナールは、男の顔を確認すると、驚愕の表情を浮かべた。
「…き、さま。ま、まさかバルカか…」
「ジジイ、まだ生きているのか。やっぱバケモンだな。そうだよ、バルカだ。昔は世話になったな」
気味の悪い声で、ククッと笑うこの男は、ベルナールの知り合いらしい。足を震わせる彼を、必死に支えた。
「ベルナール、喋るな。きっと助けが来る!」
「他の連中だったら表で遊んでるが、俺たちの相手にはちーっと物足りねぇな」
ニヤニヤと余裕そうな顔のバルカには、隙がない。まるでベルナールやコスタンツァのように。
「貴様、ベルナールとは知り合いか」
「お、時間稼ぎですかい殿下。そうだな、ちょっと付き合ってやるよ。その死にぞこないのジジイはよ、その昔俺の師匠だったのさ」




