【閑話】 その馬だけはやめてくれ
「ルーは何か欲しいものはないのか?」
昼下がりの執務と第一皇子妃の教育の合間のひと時、ルーとアフタヌーンティーを楽しんでいる。
婚約してから物欲がなさすぎる婚約者のために、何か送りたいと考えているが、何も思いつかず。直球で本人に聞いてみることにした。
(——変な物を送って嫌われたくないしな)
「欲しいもの、ですか。急にどうされたのです?」
不思議そうな顔で私を見つめるルーは、今日もとてもかわいい。世界一かわいい。
私のために、綺麗に着飾ってくれている、そう、私だけのために、な。
「い、いや、ただ何か贈り物をしたいと思っただけだよ。どうせなら欲しいものがいいかと思ったのだが。な、なにもなければ、それでいいんだ」
ルーのことを考えていたら、しどろもどろな返事をしてしまった。恥ずかしいな、私。
「…そうでしたか。欲しいもの。なにかあれば、すぐにコスタンツァとベルナールが用意してくれますし、最近はビビからも色々と教わって。そうですねぇ…うーん、あ、そうです!レオ様、無理なら無理とおっしゃってくださいね」
なにやら思いついたようで、キラキラした瞳を私に向けてきた。
(——くっ眩しい…)
「私に、軍馬を1頭くださいませんか?久しぶりに遠乗りしたいのですが、いつもは厩舎にいる馬をお借りしていて…私だけの馬が欲しいと思っていたのです。…ダメでしょうか」
予想外の欲しいものに面食らってしまった。
ルーは、他の女性と違う。
無駄なドレスに装飾品、化粧品、それに己を誇示するような無駄な物は欲しがらない。必要な分を必要なだけ。
とても好ましい女性だ。
「馬か。今年生まれた仔馬も何頭かいるし、乗り手のいない馬もいる。その中からなら自由に選ぶとよい。…ん?ルー、今、軍馬といったのか?」
よい、と言った後に、あれ?聞き間違いか?ただの馬でなく軍馬?
「はい、軍馬、と申し上げました。ありがとうございます。早速今から見て参りますわ。大丈夫です。厩舎長にはすでに話をつけてありますの」
にっこりと嬉し気な微笑みを浮かべ、執務室の外で待機していた、いつもの護衛コンビを連れ、風のように去ってしまった。
(——いやー軍馬はまずいぞ。管轄がグレンだ。先に言っておかないと、小言を言われる)
「グレン、グレンを呼べ!早く!」
静かだった執務室が、やおら騒がしくなった。
「母上に似てきたな」
ぽつりと呟いた言葉がむなしく響いた。
◇
「厩舎長、第一皇子殿下より許可をいただきましたので、見ても構いませんか?」
軍馬たちは、王宮内の運動場のほど近くにある厩舎にて、管理されている。
繁殖、調教も一手に引き受け、各騎士団へと貸与、派遣している。
「おお、これはこれは。嬢ちゃん、よく許可が取れましたな」
軍馬のブラシ掛けをしている厩舎長に声をかけると、驚いたように振り返った。
嬢ちゃん呼びに、ライト卿が顔をしかめたが、いいのよ、と窘める。
「ええ、快く許可くださいました」
ニコニコと微笑んで見せると、苦笑いした厩舎長が、放牧場へと連れて行ってくれた。
そこには、レオ様のいう通り、生まれたばかりの仔馬たちと母馬、それに調教中の駿馬、それにまだ育成途中の若馬もいた。もちろん立派な体格の軍馬たちも。
その中で、厩舎長がある一角を目指して歩いていく。
その途中で、厩舎係から、
「嬢ちゃんまた来たのか、ついに決めるんだな」
「嬢ちゃんならあの馬だろ」
「いや、あの馬だろ」
と次々声をかけられた。
「ルナリス様、まさかおひとりでこちらに…?」
応えながら手を振っていると、後ろからライト卿が耳打ちするように聞いてきた。
「ふふ、ビビと一緒だったわ」
「それではおひとりも同然ですよ。常に誰かを連れてくださらなくては。」
ハルト卿のため息交じりの小言が耳に入ったけれど、今は無視よ。
いつ、レオ様とグレン卿が来るとも限らないもの。
「嬢ちゃんなら2番、3番、4番の囲いの中なら、好きに選んでいいぞ。他は買い手がいたり、乗り手のいる子ばかりだ」
案内されたのは、仔馬と若馬、駿馬、乗り手のいない軍馬の囲いだった。
「ありがとうございます。ちょっと見学させていただきますね。」
厩舎長は手を振ると、そのまま仕事に戻っていった。
その姿を見送り、囲いに近づくと、見慣れない風貌の人間が珍しいのか、円らな瞳でしげしげと観察されているのがわかった。
耳がせわしなく動き、何かを感じ取っているのだろう。
(——馬は賢いもの。すぐに見抜かれてしまう。)
手を差し出せば、すり寄ってくれる子は何頭かいたが、この子だと思えるものが見当たらない。
公爵家にいた時は、どんな子に乗っていたかしら。
ライト卿とハルト卿は涎をたらしそうな顔で、軍馬たちを見つめている。
やっぱり騎士なのよね。
ふと、4番の囲いを見やると、広い囲いの中、ポツンと佇む月毛の軍馬を見つけた。
「あの馬はどうして1頭でいるのですか?」
近くの厩舎係に問いかけると、あー、あいつかと言いながら決まりが悪そうに頭を掻いた。
「あいつだけはやめておきな。嬢ちゃん。あいつは今まで誰にも鞍を置かせたことがないんだ。無理に従わせようとすると、大暴れしてな。危なくてしょうがねぇ。」
月毛の軍馬は、素知らぬふりをしているが、耳をこちらに傾け、会話の内容を聞いているらしい。
「一度ここから逃げたことがあってな、生え抜きの馬で追ったが捕まらなくてなぁ。その後、何事もなかったように勝手に帰ってきて、そこからずっとそこにいるんだ」
どうやら、騎士達には周知の事実らしく、護衛コンビがうんうん、と頷いている。
「前に貴族が無理やり乗ろうとしたとき、後ろ足で蹴りあげられて、歩けなくなったこともあったよな」
「あったあった」
「悪口言うとすぐ機嫌が悪くなるし」
「そういえば、第一皇子殿下も昔…」
話を聞きつけた厩舎係がぞろぞろと集まってきた。
「それだけのことをやったのに、処分にはならないのですね」
不思議に思ったら、滅相もないと首を激しく振られた。
「とんでもねぇ。この馬、血筋もとんでもねぇんです。正直、俺たち10人より、こいつのほうが価値がありやす。…だから、走らないなら種馬にと思ったんですが、それも拒否ってやつで。気が変わるのを気長に待ってるんです」
親切に教えてくれた厩舎係にお礼と、仕事に戻るように伝えると、月毛の馬に向き直った。
ほの暗い厩舎の中にあって、光を反射するかのような、美しいクリーム色の毛並みと、長いまつ毛に縁どられた賢そうな瞳。
そして、軍馬にふさわしい均整のとれた立派な体格。
彼も私をじっと見つめ、興味をなくしたかのように、ふいに視線を外した。
(——彼が走る様はさぞ美しいでしょうね。まるで)
「まるで神の使いのようだわ」
心の声がうっかり口をついて出てしまった。
首をふり、鼻を鳴らしていた彼は、ぴたりと動きを止め、耳だけをこちらに傾けている。
「こんなに綺麗な貴方を、人間が好きにしようだなんておこがましいわ。一目会えただけで、私は幸運よ。…お邪魔してごめんなさい。私は、また、あちらの子たちを見てくるわ」
そう告げて踵を返すと、グンっと引き戻された。
何事かと後ろを見やると、月毛の彼がドレスの袖に嚙みついていた。
慌てて引き離そうとする二人を手で制して、向き直ると、彼はおとなしく放してくれた。
「どうしたの?まだここにいていいの?」
そっと手を差し伸べると、少しためらうように、鼻先を擦り寄せてくれた。
鼻筋を撫でてやると、目を細めて気持ちよさそうにしている。
「人間の手も悪くはないでしょう?」
そっと撫で続けていると、小さく嘶いて返してくれた。
いいということなのだろう。
そのまま、鬣から背中、お腹などを続けて撫であげた。
しばらくすると、彼は少し離れた柱にかけてあった、手綱と馬銜に視線を何度も送る。
「…貴方、つけてもいいの?」
一瞬逡巡したかのように見えたが、鼻で掌を押し、返事をしてくれた。
彼が嫌がったらすぐに外せるよう、ゆっくり装着した。
後ろであたふたしているハルト卿を尻目に、囲いから出してみる。
すると、彼はおとなしく後ろをついてきた。
その様に、厩舎係は仰天して、尻もちを付くものもいた。
「ルー!!」
「ルナリス様!」
遠くのほうから、かけてくるレオ様とグレン卿が見え、途端に彼の機嫌が悪くなる。
苛立ったように何度も蹄で激しく地面を打ち鳴らした。
「あら、二人のことは嫌いなのね。でも大丈夫よ。貴方に手出しはさせないわ」
穏やかに声をかけて宥めると、ゆっくりと落ち着きを取り戻した。
だが、
「その馬だけはダメだ!他の馬ならどれでもいい、その馬だけはやめてくれ」
レオ様が駆け寄ってくるのが、相当不愉快らしい。
鼻息が荒い。
「それなら、二人で逃げちゃいましょうか」
彼は私の顔を見つめ、一瞬の後、それはいい、と言わんばかりに彼の耳がぴんと立った。
でも、今日は乗馬服では…
「もしかして、座れるかしら。私は今日、ドレスだから横乗りするしかないの。鞍はなくても大丈夫よ。私が乗ってもそのまま立ち上がれる?」
まさかと思ったけれど、私の言葉を完全に理解しているらしい。
さっと横になると、乗れとばかりに鼻を鳴らした。
おっかなびっくり横乗りした私を確認すると、滑らかにすっくと立って見せた。
「ルナリス様、何をなさるのです!おやめください!!」
下からグレン卿の絶叫が聞こえたけれど、無視しましょ。
今は彼のほうが大事なの。
「さ、貴方の走りを見せて頂戴」
足元から、彼の体温と鎧のような筋肉の躍動を感じる。
激しく脈打つ心臓の鼓動。
干し草や牧草の甘い香り。
腹を蹴らずとも、ゆっくりと歩き出した。
(——私の技量を計っているんだわ)
並足から速足へ、そして駈歩。
私の様子を見ながら、調整してくれているのがわかる。
鞍を置かずに裸で乗るのは、存外難しい。
ドレスが滑って落ちそうになるからだ。
手綱に力をいれれば、ブレーキとなってしまう。
この子は本当に賢い子。
「大丈夫、もっとあげてもいいわ」
襲歩に切り替わるまでは一瞬だった。
今まで感じたことのない異次元の速さ。
厩舎を飛び出して、思うままに運動場を駆けまわった。
(——人馬一体ってこういうことかしら)
「ふふ、楽しいわね」
ともすれば舌を噛みそうなほどの振動と揺さぶりだけれど、心地よい。
彼も楽しいらしい。
私を振り落とすことなんて簡単にできるのに、それをしないのだもの。
後ろをレオ様とグレン卿が追ってきたけれど、楽々と蹴散らしてしまった。
それがとても楽しかった。
まるで子どものころに戻ったかのように。
運動場に、私の無邪気で楽し気な笑い声と彼の嘶きがこだました。
あとで聞いた話だけれど、あの暴れ馬にのる第一皇子殿下の婚約者を見物しに、騎士たちが押し寄せたそう。
ひとしきり走り厩舎に戻った後に、そう聞かされた。
その前に、レオ様とグレン卿、そしてコスタンツァとベルナールから大目玉を喰らい、さすがにシュンとしてしまった。
ビビには大泣きされた。
(——やりすぎちゃったわ)
両陛下にはグレン卿から大袈裟に伝えられ、大笑いされた後、お許しいただけた。
あの馬の行く末を憂いていたらしく、逆に少しだけ感謝されてしまった。
今日は、彼の囲いに木札をつけに来た。
化け物でも、暴れ馬でもない、
「ディヴァーノ」
貴方の名前は、ディヴァーノ。
神に祝福された、貴方にこそふさわしい。




