【閑話】 セレニータ帝王は眠れる獅子に非ず
王城の鳩舎に、黒く染められた尾羽を持つ伝書鳩が舞い降りた。
世話人はあわただしく足に結ばれた手紙を取り、王城に駆けて行った。
ここは、帝都ロミアーナにある、国王の私室である。
レオナルドの父であるエドワード三世は、だらしなく長椅子に寝そべり、伝書鳩がもたらした報告書を読んでいた。
「ほう、レオの奴、リマントン手前で取り戻したのか。……モントローズねぇ。このまま捨ておくのはダメかねぇ」
手元の報告書をひらひらと弄び、エドワードは深いため息をついた。
彼の前には、眉間に皺を寄せた近衛騎士たちが直立不動で控えている。
他国の騎士団が国内で誘拐、そして第一皇子による国境の封鎖。
本来なら即座に軍を動かすべき非常事態だ。
「陛下、そうも参りません。他国のとはいえ、公爵令嬢の誘拐、さらには国境封鎖。我が国の第一皇子がほぼ独断で動いております。早急に御聖断を……」
「レオがやったことだろ? いいじゃないか、今までなんにも問題起こしたことないアイツが、初めて起こした問題くらい。ほっとけば勝手に解決するんじゃないか。それにだな、彼女にはそれだけの価値がある。ほぼ独断の、ほぼ、ってところがいい」
欠伸を噛み殺し、エドワードは報告書を放り出した。
そこへ、静かだが凛とした足音が響く。
「あら、陛下。まだそんなところで油を売っていらしたの?」
現れたのは、帝妃だ。
皇子を産んでなお、瑞々しい薔薇の花のように、大輪の美しさを誇っている。帝都一の美貌を持つ彼女に、このエドワードは逆らえない。
彼女が一瞥をくれると、エドワードは目に見えて肩をすくめた。
「……おぉ、愛しの我が妻よ。見てくれ、この報告書。レオに任せておけば、アイツが自分で解決すると思わないか?」
「ルナリスさんは、あの子が初めて泥にまみれてまで欲しがった女性です。……陛下。あの子は、今回もきちんと部下に報告にもさせていたでしょう。もしあの子たちに何かあれば、私、しばらく実家に帰ることも辞さない覚悟ですのよ。それでも、このままモントローズのクズ共を放置なさるのですか?」
その言葉が出た瞬間。
エドワードの瞳から、それまでの濁った気だるさが一瞬で消え去った。
「…………それは困る。非常に困る」
彼はのそりと身体を起こすと、床に散らばっていたルナリス嬢に関する報告書を一枚、指先で器用に拾い上げた。
その目は、もはや面倒くさがりな男のものではない。
獲物を一睨みで屠る、老いた獅子のそれだった。
「わかった、やるよ。やればいいんだろ。……おい、近衛」
「はっ!」
「モントローズ侯爵家だけ、真綿で首を締めるようにじわじわと追いつめてやれ。とどめを刺すのは、いつでもできるからな。殺してくれと頼まれても殺すなよ?」
「仰せのままに」
と騎士たちが震えながら退室していく。
ゆっくりと呼吸ができなくなるのは、どれだけ恐ろしくことか。最後は早く死なせてくれとすがってくるのが人間だ。
「そうそう、あの子は今回、若干、若干、ほんのちょっぴり暴走してしまいましたけれど、何か罪に問われるのですか?」
帝妃が真っ赤な唇でにっこりと微笑んでいる。罰するなんて言ったら、噛みつかれそうだ。
「いや、ちょっと謹慎させるくらいでいいじゃないのか? 彼女には、そうするだけの価値があるだろ?」
「ええ、それがいいですわね。私も早くルナリスさんに会ってみたいものです」
ウキウキし始めた帝妃を部屋から追い出した後、エドワードは再び長椅子に深く沈み込み、また元の「やる気のない男」に戻って呟いた。
「あいつ、早く帝位を継いでくれないかなぁ。楽したいなぁー。帝妃、怖いんだよなぁ」




