34.その目印は、希望になる
薬を嗅がされた後、ルナリスはまどろみに落ちていた。
日ごろから薬草を使用していたせいか、薬に対する免疫ができていたらしく、深い眠りに落ちることはない。
(——どうにかして、助けを求めないと)
ウトウトしている意識が時折浮上するたびに、うまく動かない手足を嫌々をするようにばたつかせて抵抗を試みるが、すぐに拘束されてしまう。
(——ハルト卿とライト卿、それにジョージは無事なの?)
最後に見たときは、ハルト卿が夥しい血を流していた。私のせい、私のせいだわ。
くじけて泣き出しそうになる気持ちを奮い立たせ、やっとの思いで首からネックレスを外す。緩慢にしか動かない指先でガラスを外すと、それは指先から転げ落ち、地面へと落ちた。
(——これだけじゃ、ダメなの)
いうことを聞かない体をコントロールするのは難しい。額にじっとりとした汗が浮かぶ。
時折震える指を叩きつけるように『MRM』と書いたところで、再び騎士たちに拘束され、馬車に乗せられてしまった。布を巻きつけられた上から、緩くはあるけれど手足をロープで縛られる。
そこでまた、夢を見た。
公爵家での辛い日々、妹と婚約者の仕打ち。
隣国への夜行馬車と、アンさん、マーサさん、メイさん。
そして、私を「お嬢様」と呼んでくれた、『緑の淑女』での温かい暮らし。
ベルナールとコスタンツァの温かい眼差し、そして問題児のセシル先輩。
最後に浮かんだのは、レオナルド様。
私を気遣って、公務でお忙しい中、時間を見つけてはグレン卿と共に様子を見に来て下さる。晩餐でも気さくに話してくださり、私との会話をよく記憶されていて。
後日、会話に出たアクセサリーや、かわいらしいワンピースをプレゼントしていただくこともあり、驚きと共に、ひどく嬉しかったのを覚えている。
馬車がガタンと大きく弾み、頭をごちんとぶつけてまどろみから目が覚めた。かなりの速度で移動しているらしかった。
(——このまま、連れ去られるわけには、いかないわ)
自由になるのは顔だけ。馬車の窓には鍵がかかっていなかった。
頬を押し当て、窓を開けると、隠し持っていた革ひもを咥えて窓の外に放り投げた。その革ひもは、忽ち後ろを駆けていた馬に踏まれ、もみくちゃになってどこかへ飛んで行ってしまった。
(——きっと大丈夫よ。さらわれた場所にはガラス、進行方向に革ひもがあれば、どこから国境を抜けるかの目印になる)
ぼんやりとした頭で必死に考えた目印。けれど「誰にも見つけてもらえなかったらどうしよう」という不安は消えず、むしろ大きくなっていく。このままあの家に連れ戻されたら、また『色なし』と蔑まれ、ひどい生活を送ることになる。
(——嫌よ、絶対に嫌!!!)
縛られた手足を自由にしようともがいたが、窓を開けたことに気づいた騎士に再び薬を嗅がされてしまい、また揺蕩うような夢の中に落ちてしまった。
レオナルド様。優しい眼差しと、凛としたお声。
私が失敗して落ち込んでも「ゆっくりでいい」と言って、私が私を卑下することを許さない方。
……もう二度と会えないのかも。
そう思うと、自然に涙が流れていた。
またガタンと馬車が跳ね、急停車した。
意識が急浮上した私は、何事かと外を見る。そこには——。
見たこともない騎士服を身にまとった、見覚えのある二人が、前方に立ちふさがっていた。
「コスタンツァとベルナール? なぜ? どこから?」
二人に向かって、私を攫った一団が突撃していくのが恐ろしくて、まともに目を開けていられなかった。優しくも厳しい二人が、八つ裂きにされる未来が脳裏をよぎる。
「逃げて!! 死んでしまうわ!!!!」
振り絞るように叫んだとき、二人が笑ったような気がした。
次の瞬間、何が起きたのかすぐにはわからなかった。
あれだけの重装備の騎士たちが、二人を仕留められない。それどころか、次々に葬られていく。
驚きで目が離せなかった。
二人はまるでダンスを踊るかのように軽やかに、そして残酷に屠っていた。
窓に張り付いていた私に気づいたらしいベルナールが何か言うと、コスタンツァが敵の隙間を縫うようにこちらに近づいてきた。……助けに来てくれる。
そう気づいて、手足を自由にしようと懸命にもがくが、緩く見える結び目がなかなか解けない。
「お嬢様、もう少しお待ちくださいね」
コスタンツァの声が聞こえ、涙が出るほど嬉しかった。
「そうはさせない。彼女をお前たちに返すわけにはいかんのだ!」
聞き覚えのある声に顔を向けると、トロー騎士団長が大きく剣を振りかぶり、コスタンツァ目掛けて振り下ろした。
「コスタンツァ!!!!」
ぶしゃっと血飛沫が飛び、思わず顔を手で覆ってしまった。
想像したのは、最悪の光景。涙が止まらない。……私のせい。
「お嬢様、大丈夫ですよ」
いつの間にか停止した馬車の扉を開けたのは、拍子抜けするくらいに朗らかなコスタンツァだった。返り血を浴びて生臭い匂いを漂わせているけれど、どこまでも優しい笑顔を浮かべている。
では、先ほどの血は一体。
手足の拘束を解いてもらい、ゆっくりと馬車から出ると、そこには——。
片腕を失ったトロー騎士団長が、額に玉の汗を浮かべ、苦痛に呻いていた。
「ルナリス嬢、怪我はないか?」
頭上から声がし、振り返る。
砂埃と汗に塗れ、普段の凛とした雰囲気とはほど遠い装いの——レオナルド殿下その人が、そこにいた。




