7話 侵入
走った。
ここまでくれば、冬牙も柚乃も追いかけてはこないだろう。
鞄の中には汐彩の忘れ物が入っている。弁当箱だ。
早く届けてあげたい。
指定されたところは体育館裏。
確かにあまり人の来ない場所だが、その先がまだあった。
何故……ここから?
実は『窓から侵入せよ』という指示だった。
昼休みの体育館使用は禁じられている。
しかしここの窓は鍵が開いていた。
木箱を踏み台にして窓から入る。
当然だが薄暗く、シーンとしていた。
入り込んだ場所は、更衣室だった。
室外に出て少し歩いたところで――。
わっ。
驚いた。人がいたのだ。
しかも二人のようだ。
よく見てみると、男女のカップルが弁当を食べていた。
こっちには気づいてない。
邪魔をするつもりはない。この場から離れよう。
音を立てないように、そっとゆっくりと……。
つん つん
突然、誰かに背中を突かれた。
心臓が止まりそうになった。
「ひいいっ」
思わず声をあげてしまった。
後ろを振り返ると、汐彩だった。
カップルが顔を伏せる。
俺に気づいたようだ。
汐彩が耳元に口を近づけてくる。
「あの二人をジロジロ見ちゃ駄目よ。ここでは顔を見ないようにするのが暗黙のルールなの」
「わかりました」
「じゃあ、あっちに」
俺は汐彩についていった。
またカップルを発見。弁当を食べている。
二人だけの世界を作っているようだった。
なるほど。
「ここって、そういうところだったんですか」
汐彩がゆっくり首肯する。
「うん。付き合っていることを秘密にしたい人が来るところよ。内緒の場所。ここで見たことは、口外しないのがマナー」
「よくこんな場所を知ってましたね」
「そりゃね。三年生を舐めないで」
もしかして、汐彩は誰かと二人でここに来たことがあるのだろうか。
なんだか胸の奥がモヤモヤする。
体育館の舞台に来てしまった。
垂れ幕の裏だ。
「良かった。ここは誰もいないみたい」
うん、ここならば安心して弁当が渡せそうだ。でも……ここまで来なくとも、たとえば体育館裏で渡せたのではないか? いや、ここなら誰かに見られる心配もないか。
とにかく弁当箱を渡さなきゃ。
「はい、弁当箱」
「ありがとう」
汐彩が受けとる。
「じゃあ、俺はこれで帰ります」
しかし去ろうとすると――。
「怜己くんもお弁当持ってきた?」
「鞄ごと持ってきましたのでここにあります」
俺の顔をじーっと見ている。
「せっかくだからここで食べていかない?」
「いや、ここはカップル専用じゃ?」
天女が小悪魔みたいに微笑んだ。
「他人に見られたくない者同士ってことで」
嘘だろ? 学校内アイドルと二人だけで?
これ、いったいなんてイベントだよ。
家ではいつも一緒に食べている。
でもここは学校、しかもカップル専用の場所。
いいのか、俺と一緒で?
本当はもっとイケメンで釣り合いのとれた人と……。
おっと。既婚者だった。
それにしたって、父と釣り合っているだろうか。
ああ、大きな謎だ。
汐彩が小首をかしげる。
「大丈夫よ。無理にとは言わないから」
無理だなんて言うものか。
嫌がる男がいるはずない。
だけど……。何か違うような気がする。カップルたちの秘密の場所に、親子がいていいはずがない。仮に親子じゃなかったとしても、彼女のそばに俺がいるのはヘンだ。
「俺、友達を待たせてるんで」
「なーんだ、残念。じゃあ一人で」
待った。どうしてそんな寂しそうな顔を?
俺が勘違いしたらどうすんだ。勘違いしないけど。
だって汐彩は新婚だ。義母でしかないのだ。
そう。勘違いするものか……。
わかっているけど、俺の足が動かない。
動きたくないと足が言っている。
「俺も……やっぱりここで食います」
言ってしまった。
冬牙と柚乃を裏切ってしまった。
アイツらには、あとで謝っておかなくちゃ。
弁当箱を開ける前にメッセージを打つ。
すぐには返信がこなかった。
その場に二人で座る。
一緒に弁当箱を広げた。
ヘンな気分だ。
やましいことなど何もしていないはずなのに。
この背徳感に似た気分はなんだろう。
やっぱり場違い感が尋常じゃない。
「嘘っ!」
その声は俺のものでも、また汐彩のものでもなかった。
見知らぬ女子生徒――。
俺と汐彩の顔をしっかりと見据えている。
ここでは互いの顔を見ない暗黙の約束があるのに。
なんと趣味の悪い人だ。
その生徒の顔を汐彩が見あげる。
「綺沙?」
どうやら汐彩の知り合いのようだ。
綺沙という女子生徒が、弁当箱を覗き込む。
「中身がおんなじ! 汐彩が作ったの? 作ってあげたの?」
明らかに俺たちのことを誤解している。
というか、この状況ならば仕方がない。
「こ、これ……。そういうんじゃなくて」
「そういうんじゃなければ、どういう関係?」
汐彩が返答に窮している。
同居しているなんて思われたくないだろう。
親子だなんて思われたくないだろう。
「従姉弟同士なんです」
汐彩に代わって、俺が嘘を言ってやった。
もちろん、これで納得というわけにはいかないだろう。
綺沙という人が目をすがめる。
「それもおかしいな。ここはカップルが来るところでしょ。どうして従姉弟で来てるわけ。従姉弟同士でつきあってるの?」
これについては汐彩が答える。
「お弁当忘れたから届けにきてもらっただけよ。だって、しょうがないじゃない。別の場所だったら誤解されるし」
目を見開く綺沙。
「待って待って。届けてもらったって?」
「あたしが引っ越したの、知ってるでしょ」
「もしかして、一緒に暮らして……?」
汐彩は小さくうなずいた。
ふたたび俺が口をはさむ。
「それで弁当は、うちの母に作ってもらいまして」
もちろん義母の汐彩のことを言ってない。
実母という意味で言ったのだ。
他界していることが、赤の他人にバレるはずがない。
今度は汐彩が問いただす。
「でもなんで綺沙がここに?」
「汐彩の挙動がヘンだったから……」
「だからストーカーしたわけ?」
綺沙は一歩後退した。
「なんというか……。心配だったというか、面白そうだったというか」
「綺沙っ!」
「ごめんなさい」
汐彩はぷうっと頬を膨らませた。
「だいたい綺沙から先日教えてもらったことよ。ここでは、他人の顔を見ないし探らないのがルールだって」
「だから謝るって。いま見聞きしたことは忘れるから」
この綺沙という人の前では、俺たちは従姉弟という設定になった。
綺沙――汐彩のクラスメイトで、フルネームは老神綺沙とのことだ。二人は仲が良さそうだ。
「汐彩さんの友達でしたか」
汐彩は首をかしげてみせた。
「以前は友達だったけど、いまはどうかな」
「わーん、汐彩。謝ったでしょ~」
綺沙が汐彩にしがみつく。
二人で笑っている。
「でもさ。従弟の彼、汐彩には敬語なんだね」
「友達じゃなくなった綺沙に、関係ないことでしょ」
「汐彩ったら~、許してよ~」




