40話 離れ②
その日の夕食後。居間でテレビを見ながら、コーヒーを飲んでいた。
同じソファーの横に座る汐彩が、俺の胸元を覗き込む。これ、もし俺がやったらセクハラだ。
「ボタン、糸がほつれてるね」
「あっ、本当です」
言われるまで気づかなかった。
「あたしが直してあげる。ちょっと待ってて」
裁縫箱を取りに行こうとしたのだろう。汐彩がソファーから腰をあげる。しかし一歩目でテーブルの脚に、足先を打ちつけてしまったようだ。その場にうずくまる。
「いたたたた。小指が……」
足の小指だったか。あそこって涙が出そうなほど痛いところだよな。
「大丈夫ですか」
「う……ん、大丈夫」
大丈夫じゃなさそうだ。
「しばらく安静にしててください。ボタンぐらい自分で直しますから」
「ううん、あたしが直す。お母さんっぽいこと、もっともっとやりたいの」
「ご飯や弁当作ってくれるだけで、じゅうぶん親っぽいですから。いつも本当に感謝してますし」
「でも駄目。あたしがやるってば」
まるで駄々っ子だ。とはいえ俺のために動こうとしてくれているのだ。汐彩には本当に感謝しかない。
ただ、足指を痛めている彼女にあまり歩かせたくない。
「きょうの汐彩さん、ドジってばっかなんで見てられません。裁縫箱を取ってきます。そのあと直してくれませんか」
「あたし……ドジじゃないし……」
もしかして自覚がないのか? いいや、さすがにそれはないだろう。
「いいから、座ってください。あっ、そうだ。これでもやっててください」
ゲームのコントローラをやや強引に渡した。
「これやったことないし」
「だったら尚更やるべきです。これをやらずに一生を終えたらもったいないです」
「一生とか、大袈裟な」
電源をつけてゲームを強制。その間に裁縫箱を取りにいった。
裁縫箱を片手に居間に戻ると、汐彩はゲームに集中していた。俺はソファーに並んで座り、ゲームの様子を眺めることにした。決して上手くはないが下手でもなかった。初めてにしては中々だ。
やっぱりボタン……自分で縫っちゃおう。このくらい簡単にできることだし、ゲームを止めてしまうのは心苦しかった。
汐彩は隣で俺がボタン付けを終えたことにも気づいていない。それほどのめり込んでいる。楽しんでいるようで何よりだ。真剣な顔でボタンを連打する姿が、とても無邪気に映った。
「このゲーム、面白いね」
「そうでしょ」
「ねえ、対戦しよっ! 対戦!!」
「いいですよ。負けても泣かないでください」
「泣・き・ま・せ・ん!」
互いに顔を合わせて笑った。
ゲームの対戦を開始。
だけど近すぎる。いい匂いがしてきた。
気づけば肩が触れたままだ。柔らかな感触。
俺としてはゲームどころじゃなかった。
汐彩は勝負で優勢になると大はしゃぎ。
でも、いいところでドジって負けてしまう。
コロコロ変わる表情が可愛らしい。
対戦開始から、そろそろ二時間が経つ。
いいかげん疲れてきた。
「ちょうどキリがいいので、対戦はまだ明日にしましょう」
「えーっ!? もっと……もうちょっとだけ」
「もうこんな時間ですよ。いつまでやらせるつもりですか」
「いいじゃない。楽しいし。いつまでもやっていたいな。仲良し親子ってことで」
「それ、悪い親です。夜ふかしさせるなんて。さあ、きょうは終わりです」
俺はコントローラをテーブルに置き、さっと立ちあがった。
「めーっ。行かないで。お母さん、悲しいぃー」
ぎゅっと腕を掴まれた。
「もう、子離れしてください」
結局、ゲームにつき合わされた。
明日は寝不足に苦しむことになるのだろう。
俺、あの人には甘いな……。
翌朝、汐彩は目の下にクマを作りながら詫びた。
「ごめんなさい。きのうは熱中しすぎちゃって。反省してます」
「ゲーム機は封印することにしました」
「えええっ! でも……それがいいかも」
登校前にゲーム機を押し入れの奥にしまった。最近はゲームをあまりやらなくなってきたので、俺としてはダメージはほとんどなかった。
学校に到着。
教室にはすでに蟹沼冬牙がいた。
「よう、冬牙。早いな」
「おう。てか、どうした? 大きなアクビなんかして」
「ゲームで寝不足になった」
「ふうん。それで夜ふかしか」
俺のアクビが伝染ったらしく、冬牙も大きな口を開けた。
「汐彩さんが寝かせてくれなかったんだ。二人でずっとやりまくってた」
冬牙は目を飛び出さんほどに見開いた。
「そういう意味じゃない。ゲームだゲーム」
「びっくりさせんなよ」




