37話 駐輪
ある日の下校時――。
ん? 雨か。予報では深夜からのはずだったのに。
小雨だったらバス停までダッシュという選択もあるが、これだけ降ってるとそうもいかないだろう。面倒だが折りたたみ傘を鞄から取り出すしかなさそうだ。
「怜己っ。傘持ってたんだ? 入れてくれない?」
そこにいたのは庭坂柚乃だった。
「自転車通学じゃないのかよ」
「そうだけど傘は駐輪場までってこと。合羽は自転車のところに置きっぱだから」
折りたたみ傘を広げた。小さい傘なので互いの物理的距離は近くなる。駐輪場へ向かう途中、クラスメイトに見られた。
「お前ら、いちゃいちゃカップルだな」
そんなふうに冷やかされたのは、久々な気がする。何年ぶりだろうか。小学生のときにはたびたびあった。だが誤解されようと、なんとも思わなかった。たぶん、柚乃も冬牙も同じだと思う。
てか、あのクラスメイトは今さら何を言いやがる? 俺と柚乃が仲がいいのはよく知ってるはずだろ。弁当を二人だけで食うこともあるんだし。
駐輪場に到着。
「ホント、雨うざっ。自転車通学、面倒になってきちゃう」
「柚乃んちからバス停まで、ちょっと遠いもんな」
柚乃が自転車通学している理由はそれだ。利用するバス停に駐輪場があればいいのだが、そんなものはない。
雨がますます強まった。
「あのさ。怜己んちに毎日自転車を置かせてもらえないかな。そうすればバス通学できるから」
なるほど。まずウチまで自転車できて、バス停までは徒歩となるが、そこからバス通学するってわけか。雨・雪・強風の日を考えれば、そっちの方がいいだろう。
だが……問題がある。
毎日自転車を停めにくるとなると、汐彩との同居がバレてしまうという危険性が生じてくる。
かといって柚乃は大切な親友だ。もし断るならば、他にそれなりの理由が必要だ。しかし納得させられるような理由なんて見つからない。
「えーと、それは……」
何か断る理由がほしい。あるいは汐彩のことを完璧に隠せる方法はないものだろうか。
「やっぱいい。無理にとは言えないから」
自転車を停めるだけのことなのに、どうしてそんな考え込むのか――などと柚乃は思ったことだろう。
理由もなく断られたと感じているかもしれないし、俺が渋るのは予想外だったかもしれない。
柚乃は俺のことを一人暮らしだと思っている。だから庭への駐輪について、俺が認めることに家族の同意は不要だし、なんの損もないだろうと見られていたはずだ。
気を悪くしたんじゃないだろうか。
立ち去る彼女の表情からは判断が難しかった。
翌朝、柚乃と会ったのは教室だった。
「おはよう」
柚乃の方から元気に声をかけてきた。
俺たちの間に溝はできていなかったようで安堵した。
きょう冬牙は弁当を持ってこなかった。その場合、普段ならば俺は柚乃と二人だけで弁当を食べることになる。
ところが昼休みになると――。
「あたし、陽葵たちに誘われてて」
柚乃はクラスの女子仲間たちと教室外で食べてくるらしい。
俺は一人で弁当を食べることとなった。
しばらくして柚乃たちが教室に戻ってきた。目が合った。
俺は食べ始めたのが遅かったため、まだ食べ終えていなかった。
「なーんだ。田中汐彩さんや老神綺沙さんのところで食べてるものだと思ってた」
「それは無理」
「だったら、あたしたちのところに怜己も呼べば良かったかな」
「気にしないでくれ」
女子ばかりのところに入っていけるものかよ。それに柚乃の弁当仲間に、ときどき俺の苦手な緋吹がいることもある。
一日の授業が終わり、下校となった。
この日ほど柚乃の会話が少なかったのは珍しい。
それが妙に気になった。
夜、柚乃から電話があった。
「きょうはごめん」
「なんのことだ」
とぼけてみた。
「それは……。ううん、なんでもない」
このあと会話が続かなかった。続けたいと思ったが、話題が見つからなかった。いつもは言葉がすらすら出てくるのに。いま柚乃もそうなのだろうか。
十秒とちょっとの沈黙が続いた。
「じゃあ、また明日」
「おう、また」
通話が終わった。
もっと話したかった。
本当に気にしていないのか、それだけが知りたかった。
翌朝、学校の玄関で柚乃と冬牙に会った。
「自転車の停め置きについてだけど、解決したから」
「そ……それは良かった」
「うん、冬牙の家に停めていいって。ご両親も『喜んで』って言ってくれたから」
そうは言っても、本当は俺んちに停めたかっただろう。そうすれば、駐輪先の家族に気兼ねしなくて済むのだから。それに柚乃にしてみれば少々遠回りになってしまう。ちなみに俺と冬牙のバス路線は別となっている。
「じゃあ、きょうから早速ってわけか」
「ううん。定期券購入はまだ。きょうはお試しでバス通学してみただけ」
話によれば、毎朝いちいち冬牙や彼の家族に声をかける必要はないらしい。つまり黙って自転車を置き、そのままバス停に向かっていいそうだ。とはいえ、冬牙とは毎日一緒に登校することになるのだろう。
冬牙が不思議そうに言う。
「でもさ、なんで柚乃が怜己んちに停めるのをためらったんだ?」
「ためらったというか……急な話だったんで……」
柚乃が冬牙を叱る。
「もういいって!」
「だって理由くらい聞いたって」
「いいのっ。誰だって事情はあるんだし」
駐輪の話はここまでになった。




