3話 義母?
あたしは田中汐彩。
土曜日、新しい家を訪れることとなった。
きょうからそこの住人となるのだ。
緊張してきた。呼鈴を押す手が震えている。
ピンポーン。
応答がない。留守だろうか。
でも拓真さんから、息子の怜己くんに連絡がいっているはず。
もう一度押してみた。
ようやくドアが開いた。
見たことのある顔が出てきた。
拓真さんから事前に見せてもらった写真と一緒だ。
そしてやはり……同じ学校のあの子が田中怜己くんだった。
さっそく挨拶してみたのだけれど、なんだか怜己くんの方が緊張しているみたい。
「ええと、父の再婚相手の?」
「そうですが」
そう、あたしは田中美鈴の連れ子ということになる。
だがこのあと、彼はとんでもないことを口にした。
「あなたが本当に父の再婚相手の……田中汐彩さん?」
はあ!? どうしてそうなるわけ。
拓真さんからどう説明されてたの?
でも、いきなり笑っては失礼だろう。
ここは必死に堪えた。
そしてイタズラ心が、あたしをくすぐった。
「はい。あなたのお母さんになります」
でも怜己くんのお母さんかぁ。
ああ、思い出してしまう。
…………
………………
……………………
幼い頃に聞いたことがあった。
あたしと怜己くんは母同士が大親友だったと。
だけど怜己くんの母は亡くなってしまった。
怜己くんがまだ三歳だったときに。
あたしの母は怜己くんのことを、ずっと気にかけていた。彼女は自分が怜己くんの母になってあげたい、と度々あたしに話していた。それは本心だったと思う。
怜己くんに優しくしてあげてね、と母から言われていた。
だから幼稚園で、よく一緒に遊んだ。
あたしは怜己くんに『お姉ちゃん』と呼ばせた。
怜己くんは覚えているだろうか。
あるとき近所の犬が脱走し、追いかけてきた。
怖かった。悲鳴をあげて逃げた。
すると怜己くんがとびだしてきた。
あたしを助けてくれようとしたようだ。
泣きながら必死に棒を振り回していた。
犬は飼い主に取り押さえられた。あたしも怜己くんも、噛まれることはなかった。犬は尻尾を振っていた。今から思うと、襲ったのではなく遊びたかっただけなのかもしれない。
「ありがとう。泣かないで」
怜己くんを抱きしめた。
だけど翌日、声をかけると怜己くんは逃げるように離れてしまった。
「きのうは泣いてなかったもん」
と言いながら。でもしっかり泣いていたのに。
泣いたことを格好悪く思っていたのだろうか。
だとしたら逆だ。
あたしはその勇気にジーンときていたから。
幼稚園を卒園したところで、一度目の引っ越しがあった。
あたしは、ずっとずっと遠い小学校に入学した。
そして小六のとき、車の事故で両親が他界。
ケガの軽いあたしだけが残された。まさしく悪夢だった。
ただ、結構な額の遺産はあった。
引き取り手は叔母しかいなかった。
叔母と養子縁組。叔母を「お母さん」と呼ぶことになった。
住まいは祖父母(すでに故人)の家。
つまり二度目の引っ越しとなった。
こうして叔母との共同生活が始まった。
叔母への感謝として、家事のほとんどを引き受けた。
叔母はバイトを転々としていた。
長く仕事のない時期もあった。
それでも、あたしには両親の遺産があった。
だから特別な問題はなかった。
中学の三者面談では、叔母がきてくれた。
高校から一人暮らしを始めたいと希望した。
叔母は許可してくれた。
遠い町の高校に入学。
故郷に帰ってきたのだ。
高校の学費や生活費などは、両親の遺産でじゅうぶん賄えた。
叔母は海外へ出かけることが増えてきた。
そのたびに、あたし名義の口座残高が減っていった。
叔母には旅行を控えてほしいと頼んだ。
しかし叔母はこう言った。
「先行投資だと思ってちょうだい。汐彩ちゃんはこれから先、ちゃんと大学まで通えるわ」
何を根拠にと思っていたら……。
叔母が婚約した。
話を聞いたのは三月の終わり頃。春休みだった。
相手は仕事で海外にいることの多い人。拓真さん。
姓は田中。偶然にもあたしたちと同じだった。
苗字に悩む必要はなさそうなので安堵した。
四月になって顔合わせをした。
拓真さんが海外から、実家まできてくれた。
あたしも遠い実家に帰省しなければならなかったが。
残念ながら、拓真さんの息子は来なかった。
どうやらとても忙しい人のようだ。
拓真さんとしては、彼に何度か説得を試みたらしい。
しかし電話は一度しか繋がらず、メール返信はなかったそうだ。
息子の名前を聞いてハッとした。怜己……。
まさか、あの怜己くんとかいう偶然はないだろう。
だけど怜己くんだったらいいな。
まったく知らない高校生男子はちょっと怖いから。
写真を見せてもらった。
もしこれが怜己くんだとすれば、わずかに面影があるような。
小さい頃の話も聞いた。怜己くんに当てはまることが多い。
また驚いたことに、現在あたしと同じ高校に通っているとのことだ。
翌日、めでたく二人は入籍した。
当然、家族になったのだから一緒に住むという話になった。
拓真さんの家から高校まではバス通学がじゅうぶん可能。
本当は一人暮らしを続けたかった。しかし口座残高の減少も激しく(たぶん叔母のせいで)、経済的にそうするしかなかった。
ということで、いま借りているアパートの解約手続きを行なった。
あたしがそこに住めるのは、今月いっぱいまでとなった。
ところが――。
その夜、電話が鳴った。
拓真さんからだった。
叔母が事故死したらしい。
実の両親と同じことになるなんて……。
しかも入籍日に。
あたしは実家に、とんぼ返りした。
大勢の親戚を呼んだ。
拓真さんは息子を呼ぼうとしていた。
しかし彼には叔母との面識がない。
だからあたしがそれを断った。
いま最も悲しんでいるのは拓真さんだろう。
それでも今後についての話をしなくてはならなかった。
あたしは来月以降、住む家がない。
アパートの解約手続きを終えていたからだ。
拓真さんは彼の自宅にずっと住んでいいと言ってくれた。
葬式は三日後の仏滅の日。
新学期の初登校は、皆より一週間遅れてからだった。
学校で一人の男子生徒を見かけた。
拓真さんに見せてもらった写真に似ていた。
拓真さんの息子の田中怜己くんだろうか。
幼稚園のときのあの子だろうか。
たぶん……そうだと思う。
学校で目が合うようになった。
拓真さんからは、あたしのことをどう聞かされているのだろう。
もしかして嫌われているのかな。
まさか拓真さんの再婚には大反対だったとか?
あるいは、あたしのことをまだ知らなかったりして。
ある朝、バスに画材ケースを置き忘れた。
なんと彼は友達に自転車を借り、バスを追いかけてくれた。
あの必死な姿。歪ませた口元――見たことがあったと思う。
怜己くん……。
犬に追いかけられたあの日のことが、脳裏によみがえった。
……………………
………………
…………
いま彼は大きな誤解をしている。
あたしが拓真さんの再婚相手って。
どうしてそんな思考になるのだろう。
叔母の死についても、まだ知らされていないのか。
電話も出ないしメールも見ないって、拓真さんが言ってたな。
でも、考えてみれば――。
拓真さんは海外出張中のため、同じ高校生の怜己くんと二人暮らしとなる。正直、ちょっぴり怖い。だからあたしが拓真さんの相手という誤解は、むしろいいことなのかもしれない。
母の言葉も思い出した。
幼かった怜己くんを見ながら言っていた。
自分が母になってあげたいって。
ならば、あたしが……。
さりげなく、こっそりと、左手の指を隠す。
あとで母の形見の指輪、薬指に嵌めておこう。
うん、バレるまでそういうことで。
そっちの方が、なんか面白そうだし。




