2話 混乱
ああ、汐彩先輩きれいだったな。
今朝の「ありがとう」が耳にずっと残っている。
彼女の笑顔が目の奥にしっかり焼きついている。
あの瞬間を絶対に忘れるものか……。
「ヤバっ。うまっ」
デカい声をあげたのは、庭坂柚乃。
いい気分に浸っていたのに、デカい声でブチ壊すんじゃねえ。
そりゃ無料で食えるショートケーキは格別だろうさ。
借りた自転車の礼として、柚乃に奢る約束をしていた。
けどさ、一番高いやつを選ぶかよ? 鬼だな。
「怜己、サンキュー」
「冬牙は自分で払えよな」
勝手についてきた蟹沼冬牙が口を尖らせる。
「ケチくせぇ」
このケーキ屋に他の客が入ってきた。その制服はうちの高校のものだ。彼女たちの賑やかな声が響く。
「前から気に入らなかったんだよな~」
「そうそう。男子からチヤホヤされて調子に乗っちゃってさ」
誰かの悪口で盛りあがっているようだ。
まあ、俺には関係ない。
「ホント。田中汐彩、気取りすぎ」
「ああいうツンとしたタイプに限って、裏で何やってんだか謎だよね」
田中汐彩? あの人のことなのか。
今朝の笑顔が頭に浮かんだ。
冬牙に尋ねてみる。
「なあ、前に話してた不沈空母の先輩って、苗字は……」
「怜己と同じ田中だ」
俺と同じだったとは。
ちょっと嬉しい。
だが、いまは――。
あいつらが話してるのって、あの人のことだった。
「俺、アイツらの話聞いてて気分が悪くなった」
「怜己の悪口じゃねえだろ」
冬牙の言うとおりだが……。
「怜己のカノジョの悪口でもないし」
柚乃の言うことも正しい……。
「たとえばパパ活とかしてたりして。きゃははは」
するわけがない!
俺は立ちあがった。
しかし冬牙に引っぱりおろされた。
「怜己が怒ってどうする」
その夜――。
久々にPCのメールをチェックした。
なんてこった。海外にいる父からメールが多数。
いつもは大量の迷惑メールに紛れてしまうのだが、逆に迷惑メールが父のメールに紛れてしまうほどだった。
そういえば数週間前の春休みのとき、珍しく父から電話があった。
普段は呼出し音をスルーすることも多かった。
しかしそのときは相手を確認し、ちゃんと電話に出た。
「元気にしてたか、怜己」
「うん、まあ」
「電話でこんなことを言うのもなんだが……」
なんだか面倒くさそうだ。
やっぱり電話に出るんじゃなかった。
「遠慮しないで言えば?」
「父さんな、再婚することになったんだ」
「おめでと」
「あ、あっさりしてるんだな」
そりゃ興味ないからだ。
父の再婚は三度目になる。実母は物心つく前に亡くなった。二度目の再婚で継母ができたのだが、やがて二人は離婚。父が忙しいうえに、継母の近所づきあいも上手くいかなかったらしい。
父のことは好きでも嫌いでもない。ただ俺が幼少の頃から、接することは少なかった。
継母のことも好きでも嫌いでもなかった。過度な愛情を注がれることもなく、毛嫌いされることもなかった。俺としては、あのぐらいがちょうど良かったと思う。
今度の新しい継母についても、どうだっていい。
俺は大人になったつもりだ。ヘンに懐きもせず喧嘩もせず――相手がどんな人だろうと、無難にやってみせるさ。
電話の途中からPCで動画を見始めたため、父の話はあまり頭に入ってこなかった。
「んっ、先方と顔合わせの挨拶? ごめん、そういうの省略で。でも大丈夫。仲良くできるって。うん、約束する」
そのときは動画があまりに面白かったので、ほぼ一方的に電話を終わらせた。
そして今ふたたび父からの着信音。
電話に出るかどうか迷ったが、出てみた。
「やっと出てくれたか。メールも返信くらいしてほしかったぞ」
「ごめん。メールチェックできなくて。きょうは何か?」
「父さんの再婚相手のことだが、実は……」
「うん、オーケー。いまメール見た」
見てないけど。
「そうか。じゃあ土曜日そっち行くから」
ふうん。父が帰国するのか。
あとで掃除でもしておこう。
「とにかくわかったよ。でも明日、小テストがあるんで電話切るね。土曜日待ってる」
その土曜日となった――。
父が帰ってくる日だ。
ピンポーン。
呼鈴が鳴った。
おや、変だな。
家に入ってくるようすがない。
そして。
ピンポーン。
また鳴った。どうしたんだろう。
勝手に入ってくればいいのに。
もしかして手が塞がってるのか? 土産とかで。
それとも父ではなく、新聞や宗教の勧誘?
あるいは近所の人?
とりあえず玄関へ行き、ドアを開ける。
なっ!!!!!
わからん、わからん、わからん。
これ、いったいどういうことだ。
父の姿はそこになかった。
何故、あの人がここにいる?
田中汐彩がウチに……。
頭の中が真っ白になった。
「きょうからお世話になります」
「あ……あ……あの……」
言葉が出てこない。
「田中怜己くんですね?」
「は……い」
なんだよ、いまの俺の返事は。
落ち着け。もう一度、改めて。
「はい、田中怜己です。あなたは田中汐彩さん……」
「そうです。よろしくお願いします」
ちょっと待て。
もしかして、そういうことなのか?
念のため確認しよう。
「ええと、父の再婚相手の?」
「そうですが」
汐彩が小首を傾げる。
「あなたが本当に父の再婚相手の……田中汐彩さん?」
にっこり笑う汐彩。
「はい。あなたのお母さんになります」
なあ、オヤジ。これどういうことだ。
何してくれちゃったんだ。
再婚相手が高校生? 息子とわずか一歳違い?
ロリコンもいいところだぞ。犯罪だ。
てか……。校内トップの美貌を持ち、無敵の不沈空母などと呼ばれている人が、父の再婚相手って。
おかしい。ぜんぶ間違ってる。
ありえないことが起きてしまった。
はっ。もしかして俺の頭がおかしくなったのか?




