27話 紛失③
老神綺沙の家に向かう。自転車を漕げば割と早く到着できるが、汐彩と一緒なので自転車を押しながら歩いた。
老神綺沙の家に到着。彼女が玄関から出てきた。
汐彩は宝物の絵を古新聞ごと渡された。
その中の一枚の絵。本当にチラシの裏だった。
俺も絵を見せてもらった。
いかにも幼児の描いたような絵。普通ならばゴミ漁りしながら必死に探すようなものではない。きっと思い出がたくさん詰まったものなのだろう。
二人で老神綺沙に礼を言い、帰宅の途についた。
あらためて例の絵を思い出した。
これまで、汐彩の元の家族の話を聞いたことはなかった。
今更にはなるが、思い切って尋ねてみることにした。
「汐彩さんって、お姉さんがいたんですか?」
「まさか。一人っ子よ」
しかしあの絵のモデルは明らかに女性。しかも上には『おねえちゃん』の六文字があった。
汐彩が姉を描いたものではないし、汐彩が弟や妹に描いてもらったものでもないということになる。どういうことだ?
疑問を投げかけてみると、汐彩はフフッと笑い、遠い目をした。
「一歳下に仲のいい子がいたの。弟みたいな存在だったな。誕生日にね、あたしの似顔絵をプレゼントしてくれたんだ。懐かしい思い出」
つまり『おねえちゃん』は汐彩のことで、それを描いたのは弟みたいな存在の子――。
汐彩にそんな人がいたとは。
しかもその絵をこれほどまでに大事にしている。
胸の奥がギュッと締め付けられるような息苦しさを覚えた。
これって嫉妬か? いや、いや、いや、俺は何を考えている。汐彩は既婚者だし、俺の義母なんだぞ。
「へ……へえ。どんな子だったんですか」
汐彩がじっと顔を近づける。
ドキッとした。
「鈍いんだから」
声が小さかったのでよく聞き取れなかった。
「えっ、由布院……?」
「ううん、そんなこと言ってない。教えない」
そう聞こえたのだが、違ったようだ。
結局、聞き出すことはできなかった。
その夜、夢を見た。
夢の中ではまだ幼稚園児だった。
頭を優しく撫でている女の人がいた。とても綺麗な人だった。彼女は「お母さんになってやりたい」などと呟いた。
その女の人には子供がいた。小さな女の子だ。
一緒に遊んだ。とても楽しい。この子のことが好きかもしれない。そして何故か、彼女をお姉ちゃんと呼んでいた。
突然、獰猛な犬が襲ってきた。
怖くて怖くて堪らなかったが、お姉ちゃんを守りたかった。棒を振り回しながら、俺は泣いていた。お姉ちゃんの前では泣きたくなかったのに。
格好悪い、格好悪い、格好悪い……。泣き顔をお姉ちゃんに見せてしまったなんて。ショックは大きかった。
犬とともにお姉ちゃんの姿も消えた。弱虫の俺から去っていったのか。
行かないで。行かないで。戻ってきて。
泣きながら探した。どこを探しても見つからなかった。
お姉ちゃん……。また会いたい……。
ここで目が覚めた。
ヘンな夢だった。夢の中の『お姉ちゃん』の顔は思い出せないけれど、なんだか懐かしい心地がした。
部屋から出て居間へ向かう途中だった。
「おはよう、怜己くん」
いつものように優しい声。しかし汐彩の顔を見た瞬間、不思議と目に涙が溜まってきた。ワケがわからない。
マズい、涙が零れ落ちそうだ。顔を隠すように顔だけを背けながら「おはよう」と返し、洗面所へと向かった。
なんで……俺は泣きそうになったんだ?
それにしても胸の奥から込みあげてくる温かなもの。そしてこの心地。どこかデジャヴにも思える。
そうか、さっき夢を見ていたとき、ずっとこんな感じだった……そんな気がする。残念ながら確信はない。ハッキリと思い出せないのだ。
ふと思った。もし俺が忘れているだけで、あんな『お姉ちゃん』がいたら――。そしてそれが汐彩だったら――。
ああ、俺、何を馬鹿なこと考えてるんだろう。
顔を洗い、食卓についた。
今朝も汐彩が朝食を作ってくれた。とても感謝している。
夢のことはさておき、きのうから気になっていることがある。
あの絵を描いた人物についてだ。
その人物は現在、何をやっているのだろう。どこに住んでいるのだろう。なおも連絡の取り合いのような交流はあるのだろうか。
弟のように親しい人物だとか、何かの間違いであってほしい。嘘であってほしい。この世にいてほしくない。それがくだらない嫉妬なのだとは自覚している。
ただ、きのう教えてもらえなかった。
きょうだって答えてはくれないだろう。
それでも知りたい。どんな人だったのか。
「あの絵を描いた子ですけど、逆に汐彩さんが描いた絵はありますか? もしかして、本人にあげちゃったからもうないとか……」
もちろん子供の絵にリアリティを期待しちゃいない。たとえ絵を見せてもらえたとしても、その人物がどんな顔だったかなんてわかるはずがない。ただ、幼い頃の汐彩がその人物をどういうふうに描いたのか、それが知りたかった。
「描いたことかぁ……。うーん、ないかな」
汐彩はそう答えたのち、目を細めて笑った。
まさか、俺が気にしているのを見透かされたとか?
今度は俺の顔をじっと覗いてきた。
「な、なんですか」
「代わりっていうわけじゃないけど、怜己くんの似顔絵を描きたいな」
はあ!?
「何を言い出すんですか」
「絵のモデルになってよ」
意味がわからない。
何故そんなことに……。
ああ、そっか。
「そう言えば、汐彩さんって美術部でしたね」
「うん、ほぼ幽霊部員だけどね。三年になってからは完璧に」
俺は大きく腰を折って頭をさげた。
「でもごめんなさい。そういうの苦手です。凝視されるのとか、静止状態を保つのとか、無理ですんで」
だいたい描かれる価値なんてないし。
「別に本格的なやつじゃなくていいの。鉛筆画でサササッと」
「いや、でも……」
「十五分……。ううん、十分間でいいから」
結局、押し切られる形になってしまった。
汐彩が俺を描いている。
照れくさいし、くすぐったいので、死にそうだ。そんな気持ちを隠すため、冗談でも言ってみる。
「三割増しでイケメンに描いてくださいね」
「だ~めっ。ありのまま忠実に描くの」
厳しい……。
本格的なやつじゃなくていいはずでは?
しかも十分間の約束が、倍の二十分を過ぎてしまった。
「ふう。終わったぁ」
やっと完成したらしい。
さっそく絵を見せてもらった。
口ではありのまま描くなんて言ってたのに、若干の忖度があった。
とは言え、さすがは美術部員。
「エグっ。パッと見、モノクロ写真そのものです」
「ありがとう。でもそこまで褒められると、恥ずかしいな」
顔を少し赤らめている。
「でも嘘はついてませんから」
「実はこれ、怜己くんへのプレゼント」
「えっ、感動です! 大切にします」
その後、見知らぬ幼児の描いた絵は汐彩の部屋に飾られ、汐彩の描いた絵は俺の部屋に飾られることとなった。




