23話 心配
休み時間、俺は机上に腕を投げ出して寝ていた。
寝ながら溜息をついた。蘭辺が退学を言い出すなんて異常すぎる。しかも俺が関わっているというじゃないか。親友の柚乃に迷惑をかけてしまった。心苦しい。
伏せた状態から頭をあげる。
緋吹という女子生徒の席に向かった。
蘭辺のことで教室の空気が重くなったのは俺のせい――それを教えてくれたのが緋吹だ。
彼女は一年のときにも同じクラスだった。だがほとんど会話したことはなかった。なので決して親しいとは言えない。
「あたしに何か用?」
氷のように冷ややかな声だった。
「蘭辺さんの退学のことを聞いた」
「だから何」
話しかけるな、というオーラが凄まじい。
それでも聞かずにはいられない。
「俺のせいで孤立したって、きのう教えてくれたよな。俺が何をしたんだ? そのために彼女と柚乃がトラブル起こしたとかっていうんなら、黙っていられないんだ」
緋吹は右手で頬杖をつき、左手をひらひらと振って追い払うような仕草をした。
「頼む。教えてくれ」
「ウザい。消えて。あっち行って」
「なんでだよ」
緋吹の見開いた目に力がこもった。
「もしさ、アンタに言わないのが、小春のためだったらどう? あるいは柚乃のためだったらどう? なのに彼女を裏切るような真似して、ほとんど喋ったことのないアンタに肩を貸すと思う?」
「そうだけどさ。でも柚乃は幼少の頃からの親友だ。俺に原因があるんだったら……」
緋吹が話を遮る。
「柚乃も小春も、アンタの耳に入ることを望んでない。柚乃の親友なら理解しろよな。柚乃のためにも、あたしは話せない」
柚乃のため――。
ここで俺はハッとした。
俺は柚乃のことを、ちゃんと考えていただろうか。
柚乃は敢えて俺に話さなかったんだぞ? それなのに緋吹から真相を聞き、原因が俺にあることを再確認したところで、それが解決になるだろうか。
そうさ、事実を知ったうえで、言葉で謝罪しようが、ショートケーキで謝罪しようが、頭を丸めて謝罪しようが、柚乃が喜ぶはずがない。
いま俺が柚乃のためにすべきなのは、凹むことじゃない。何もせず普段どおりにすることだ。柚乃はきっとそれを望んでいる。俺の心はモヤモヤしたままになるが、幼い頃からの親友に気を遣わせるよりはずっとマシってものだ。
柚乃だけじゃない。汐彩だって俺を心配してくれていたじゃないか。きのうは俺に寄り添ってくれた。今朝は授業を一緒にサボってくれた。そうさ、柚乃のためにも汐彩のためにも、俺は……。
俺は静かに息を吐き、腹の底にぐっと力を込めた。
「ありがとう、緋吹さん」
「はあ? 何が?」
「ううん、なんでもない」
自分の席に戻った。
昼休みになると、なぜか冬牙のテンションがあがった。声もいつも以上に大きい。
「きょうは屋上で食おうぜ」
「あたしは教室がいい」
柚乃が拒否すると、冬牙は駄々をこねた。
「なんでだよ。いいじゃん、屋上で」
「あんたさー、屋上に行きたいのって、田中汐彩さん目当てでしょ」
何故か冬牙が赤面する。
「わっ、わりいかよ。また会えるかもしれないんだ。怜己もさあ、老神綺沙さんに会えるかもしれないんだし、屋上で食いたいよな?」
こっちに話を振ってきた。
別に老神綺沙と会いたいとは思わない。
「柚乃の言うとおり、教室で食おうぜ」
「ちぇっ」
教室で弁当を食べることとなった。ただ、さっき柚乃が汐彩の名前を口にしたことが気になった。
「田中汐彩さんがどうかしたのか?」
冬牙が眉根を寄せる。
「休み時間に彼女がうちの教室に来たこと、まさか怜己は知らなかったのか」
俺が寝ていたときか? ぜんぜん気がつかなかった。もしかして俺の様子を見にきてくれたのか。だとしたらずいぶん心配かけてたんだな。
「初耳だ。本当の話か?」
「嘘なんてつくかよ。ガチだ。しかも田中汐彩さん、俺の名前をフルネームで知ってたんだぜ。俺に気があったりしてな。ナハハハハ。脈はゼロじゃないかもしれないぞ」
汐彩が冬牙の名前を知っているのは、俺がたびたび家で彼の話をするからだ。脈はゼロだ。なんたって新婚だからな。
柚乃がプッと吹き出す。
「ないない、ないない。冬牙は夢見すぎ」
「夢ぐらい見たっていいじゃん! んで、いつか俺、怜己、柚乃がそれぞれ相手を連れてきてトリプルデートを実現させるんだ。俺が汐彩ちゃんで、怜己が綺沙ちゃん。柚乃はどうすっか」
冬牙の間抜けな顔。
そうか、やっぱりそれなんだな。親友が馬鹿言って、馬鹿やって、笑っている姿。ずっと見ていたいもんだよな。
「あたしのことは、ほっとけ」
「俺と怜己が四天王の二人を連れてくりゃ、柚乃の肩身が狭くなるのはわかるけどさ、そんなことは気にすんなよ」
俺も混じって馬鹿なことを言ってみようか。
「そうだ。柚乃も四天王の仲間入りすりゃいいじゃん」
「なにっ、四天王ときたか。柚乃ならば目指すは、お笑い四天王だろうな。応援すっぜ。ハハハハ」
冬牙が大笑いしている隙に、柚乃は彼の弁当箱から唐揚げを盗んだ。
「あっ、俺の唐揚げが!」
柚乃は冬牙を無視し、俺に尋ねてきた。
「そういえばさ、怜己は田中汐彩さんと幼馴染だったりする?」
「まさか」
「だよね。もしそうだったら、あたしや冬牙とも幼馴染ってことになるだろうし……」
はて、なんのことだか。
「何故そんなことを?」
「なんでもない」
この日は学校が終わると、冬牙と柚乃とカフェに流れ、買い物にもつきあった。なので、いつもより遅い帰宅となった。
玄関のドアを開けると、汐彩がタタタッと小走りで出迎えてくれた。
「おかえりなさい、怜己くん」
心配そうな面持ちだ。
「ただいま」
「きょうの夕食はね、特製ビーフストロガノフだから」
特製ビーフストロガノフ――きっと俺を元気づけるためだ。
前に汐彩が作ってくれたとき、俺が『これ最高!』と何度もお代わりした記憶がある。俺を元気づけるため、わざわざ手間のかかるメニューを選んでくれたに違いない。
だからきちんと言葉で喜びを伝える。
「それ聞いて元気出ました」
「怜己くん……」
汐彩の表情が緩んだ。
「俺、きのうから疲れてたみたいなんです。でも汐彩さんのお陰で、疲労なんて吹き飛びました。汐彩さんには感謝でいっぱいです」
彼女は顔を伏せ、くるっと背中を向けた。
「もう。照れるじゃない」
静かで温かく優しい声だった。
翌週、蘭辺小春は退学を撤回し、登校した。
柚乃が何度か彼女の家を訪れ、和解に成功したとのことだ。
現在、まだ孤立気味に見えるが、柚乃が積極的に声をかけている。
しかし蘭辺は俺をあからさまに避けるようになった。
柚乃からは「気にすんな」と言われている。




