21話 柚乃①
少し遡る。
庭坂柚乃は心配になった。一限の授業が始まったというのに、親友の田中怜己がまだ登校していないからだ。嫌な予感しかしない。
きのう怜己は蘭辺小春の様子がおかしいことに気づき、しかもそれが自分のせいだと誰かに言われたらしい。
しかし怜己に落ち度はない。あるとすれば……。そう、この庭坂柚乃の対応がマズかったせいだ。怜己は被害者のようなもの。なんとかしなければならない。
授業の前、すなわち朝のホームルームで、担任は言った。蘭辺小春から退学したいと電話があったと。
ということは、彼女の親はそれを認めていないと考えられる。もし認めたのなら、蘭辺自身ではなく、その親から電話があったはずだから。
担任もそれをすぐには受け入れず、保留としたそうだ。
柚乃は一限終了後、職員室へ向かった。しかし担任から退学に関する詳細を聞くことはできなかった。どうやら本当に何も知らないらしい。
職員室から教室に戻ったのは、二限目の授業開始のチャイムが鳴ってからだった。
怜己の姿を見つけた。
教室に怜己がいたのだ。そのことには安堵したものの、彼は顔を伏せっぱなしだ。退学の話はもう耳に届いただろうか。もしまだ聞いてなくとも、いずれは聞くこととなるが……。
ふたたび休み時間となった。
怜己は机上に腕を投げ出し、突っ伏している。声をかけたいが、他者との会話を拒絶しているように見えた。それに彼への言葉が思い浮かばないし、いま何を話しても心に届かないだろう。
焦燥感に包まれつつ、ただ見守ることしかできなかった。
突然、教室がざわつき始めた。
なんだろう?
「おおおおお!」
「なあ、見ろよ」
「うっわ。超美人」
「あの人、四天王って呼ばれてる人じゃん」
「知ってる。しかも四天王のうち最強という……」
「なんで二年のクラスに?」
そんな男子生徒たちの声。誰かが四天王と口にしていた。この教室に来る可能性があるとすれば、怜己と少し親しそうだった老神綺沙ってところか。
教室の出入り口に目をやった。すらりとしていて整った顔立ち。ガラス細工の人形のようだった。彼女の放つ異次元のオーラがエグすぎる。
しかしそこに立っていたのは、老神綺沙ではなかった。
まったく予想外の田中汐彩だった。
田中汐彩が教室の中を見ている。誰かを探しているようだ。
「失礼するね」
そう言って教室に入ってきた。
何故か、怜己の席の横に立った。
怜己に用事があって来たのか?
しかし怜己は机に突っ伏したまま。
田中汐彩がいることに気づいていないようだ。
田中汐彩は怜己を起こそうとはしなかった。
その目が蟹沼冬牙を捕らえる。
彼の方へと歩いていった。
「あなた、蟹沼冬牙くんよね?」
田中汐彩はその名を知っていた。
蟹沼冬牙は目を見開いたまま固まっていた。
よほど驚いたのだろう。
「あ……あ、う……」
まったく返答になっていない。
驚愕しているのは、他のクラスメイトたちも同じようだ。
「まさかの冬牙? アイツめ!」
「蟹沼のやつ、知り合いだったのか?」
「どういう関係だよ」
しかしおそらく冬牙に会いにきたのではないだろう。なぜなら彼女が真っ先に向かったのは、怜己の席だったからだ。それに彼に送った視線が、塞ぎ込む怜己を心配しているようだったのだ。
だけど、なんで怜己のもとへ?
二人が話しているところを見たことはない。
でも実は仲が良かった?
もし彼女が老神綺沙だったら、わからなくもなかったが。
思い切って田中汐彩に呼びかける。
「すみません。蟹沼冬牙の代わりに、あたしじゃ駄目でしょうか」
彼女がじっとこっちを見据える。
その瞳の美しさは同性でもドキッとしてしまう。
「あなた、庭坂柚乃さんね?」
えっ? 思わず目を丸くした。
「はい。名前をご存知だったとは……意外です」
「そう? あなたにも聞きたかった」
怜己をチラ見してから言う。
「たぶん冬牙は何も知りません」
「なんの話か、わかるのね」
「だいたい想像つきます。冬牙は無関係です」
「ならば聞くのは、あなたからだけでいい。来て。ここじゃなんだから」
田中汐彩に首肯した。
「待ってくれ。俺も行く」
「冬牙は引っ込んでて!」
「は……い」
しまった。なんの罪もない親友を理不尽に怖がらせてしまった。あとで埋め合わせをしないと。
田中汐彩についていく。連れ出されたところは、屋上につながる階段の最上階。
「来てくれて有難う」
「いいえ。で、何を聞きたいのでしょうか」
目が少し優しくなった。
「怜己くんとはいつも一緒にいるのね」
「幼馴染で大親友ですから」
思ったとおり、怜己について聞きたかったようだ。
「怜己くんと喧嘩でもした?」
ほう。そうきたか。
「あたしが? いいえ、怜己は誰とも喧嘩してません」
「でも元気ないのよね」
「あたしたちの場合、喧嘩してもすぐ仲直りしてますから」
田中汐彩は笑顔で首肯。
「良かった。じゃあ、怜己くんがあんな感じなのは、どうしてかな」
「言えません。他人に話すつもりはありません」
「だったら蟹沼冬牙くんに聞くしかないのかな」
「やめてください。冬牙は本当に何も知りません」
困った顔をする田中汐彩。
「怜己くんは悪いことした?」
「それだけははっきり言えます。いいえです」
「信じてなかったわけじゃないけど、ちょっとホッとした」
この人、なんなの?
なんで怜己のために必死なの?




