20話 遅刻
朝になった。
目が覚めた途端、きのうのことを思い出した。嫌な現実に引き戻された感覚だ。
柚乃と蘭辺の仲違い――しかも蘭辺については、周囲からも避けられている。さらに不可解なことに、俺がそれに関わっているらしいのだ。
朝食を食べ終わると、汐彩が笑顔を向けた。
「怜己くん。一限の授業、サボっちゃわない?」
えっ!? 思わず耳を疑った。
まさか汐彩がそんなことを言い出すなんて。
「急にどうしたんです?」
「今朝は、なんかサボりたいなって気分」
俺もきょうは学校へ行きたくなかった。
「たまにはいいですね。俺もサボるの、つきあいます」
「うん」
普段よりも遅く家を出た。同じ学校の生徒に見られることはないので、きょうは同じバスに乗った。
「ここで降りよっ」
学校の最寄りのバス停は、もっと先だ。
「いいですね。俺も学校とは違った場所で降りてみたかったです」
汐彩はバスを降りると、学校とは逆方向へと進もうとする。その先に公園があった。
この時間だからだろうか。誰もいないベンチだけが並んでいる。辺りは世界から切り離されたように静まり返っていた。青い空に雲がゆっくり流れている。
池のほとりのベンチに並んで座った。
汐彩がチラッと俺の横顔に視線を送る。
「天気がいいね。まるできょうがサボるためにあるみたい」
そんな天気があるものか、と思いつつも同意する。
「本当に」
彼女は悪い母親だ。だけど最高の天女には変わりない。
「きょう丸一日サボっちゃおうか」
「さすがにそれは……。サボり癖がつくとマズいですよ」
「うん、それもそうだね」
なんとなくわかってきた。彼女が今こうしてここにいてくれるのは、おそらく俺が凹んだ感じだったからだろう。気分転換させるためだったのだろう。昨晩、ソファーで寄り添っていてくれたのも、きっと同じ理由だったに違いない。
汐彩には感謝しかない。
俺、シャキッとしなけりゃな……。
あらためて陽の暖かさを肌に感じた。
不意に吹いたイタズラな風に、汐彩の絹糸のような黒髪が乱された。彼女はわずかに目を細めると、細い指先で艷やかな髪を掻き払った。白磁めいた横顔があらわになり、俺は息を呑んだ。
親父の妻にしておくのがもったいない人だ。
「少し歩かない?」
「はい、歩きましょう」
池のほとりを並んで歩く。
ずっとこうしていたい。
端から見ればカップルに思われるだろうな。汐彩のような人が相手だと、そんな誤解をされれば鼻が高いし、自慢もしたくなる。といっても、ここは無人の公園だけど。
俺はもうすっかり立ち直った。
そのはずだった……。
二限目の授業に間に合うように登校した。休み時間を告げるチャイムを待ってから教室に入る。
同級生に声をかけられた。
「どうした、田中。遅刻かよ」
「寝坊だ。一人暮らしなんでな」
席につくと蟹沼冬牙が寄ってきた。
「怜己が遅刻とは珍しいもんだ」
「たまには、こんなこともあるさ」
冬牙の顔から笑みが消えた。
そんな真顔でどうしたのだろう。
「蘭辺って子、いたじゃん?」
過去形? まあ、深い意味はないだろうけど。
「ああ、うちのクラスにいるなぁ」
「退学するみたいだぜ」
えっ、退学!?
「冗談だろ」
きのうのイヤな記憶が蘇ってきた。
その冗談、シャレにならない。
「朝のホームルームで担任がそう言ってた。退学したいって電話があったんだってさ。きょう学校に来てない」
蘭辺の席を見ると、誰も座っていなかった。
「柚乃は……? 柚乃もいないな」
「さっき職員室へ行ったぜ」
「何しに?」
「さあな」
教室の雰囲気はいつもと変わりがなかった。生徒たちはおしゃべりしたり、笑ったり、宿題を写していたりしている。もしかすると蘭辺の退学について、誰もあまり気にしていないのか。それともそう感じるだけなのか。
汐彩の計らいで晴れたはずの心が、ふたたび暗く塞いでしまった。退学が俺のせいなのではないかと思うと、胸が締めつけられる。
「なあ、冬牙。蘭辺さんの退学って、理由はなんだろうな」
「情報なし。担任が本人に尋ねても、いろいろあってとしか言わなかったらしい」
「そっか」
「もしかして怜己、彼女に気があったとか?」
「アホか。ちげぇーよ」
「だよな。怜己の身近にゃ、老神綺沙さんがいるんだしさ」
「老神さんは関係ない」
彼女は俺をからかってるだけだ。
チャイムが鳴り、次の授業が始まった。
しかし授業の話はほとんど耳に入ってこなかった。
休み時間になっても、いつものように冬牙たちとじゃれ合う気力などなかった。机に置いた両腕の間へ、そっと顔をうずめた。




