19話 孤立
あれから数日が経った。
蟹沼冬牙とともに体育の授業から戻ってきた俺は、教室の扉を開けた瞬間、小さな違和感を覚えた。
ん……?
教室内に漂う緊迫したような空気はなんだろう。
庭坂柚乃はすでに席に座っていた。ただ、その表情はいつもより硬く見えた。いや、柚乃だけじゃない。周囲の女子生徒たちも、どこか張り詰めた顔をしている。
何があったのだろうかという疑問は、授業が始まるとすぐに意識の外へ追いやられた。
昼休みとなった。天気が悪かったため、俺たちは教室で昼食を取ることにした。冬牙と柚乃と三人で机を寄せ、弁当を広げる。
ふと気になった。
あそこに座っている女子生徒の名前は……蘭辺。下の名前までは知らない。俺や冬牙が弁当持参ではなく学食で食べていた頃、柚乃は女子グループと弁当を食べていたのだが、その中に蘭辺もいたはずだ。いま蘭辺は一人で食べている。他の仲間はどうしたのだろうか。まあ、俺には関係ないことだ。
午後の最初の授業は化学だった。
実験室での授業となるが、席は固定されておらずいつも自由。すなわち早い者勝ちだ。座った場所により、五、六人ずつの班になる。
当然、俺は冬牙と柚乃と同じ班の席に座った。
他方で、なかなか席が決まらない女子生徒がいた。昼休みに一人で弁当を食べていた蘭辺だ。
蘭辺はどこからも拒否され、班に入れないでいる。どうしたのだろう。
現在、俺たちの班は五人。まだ余裕がある。それに蘭辺は柚乃と弁当を食べてきた仲間だ。こっちに来ればいいのに。
俺は片手をあげ、声をかけようとした。
「やめときなよ」
俺を止めたのは、同じ班となっている女子だ。彼女も柚乃の弁当仲間だった。
「なんでだ?」
「あたしたち、五人だけでいいじゃん」
どういうことだろう。
俺は構わず蘭辺を呼んだ。しかしどうしたことか、蘭辺は蘭辺で、こっちの席に来るのを躊躇しているようだった。結局は同じ班になったのだが。
しかしこの班の中で、不思議と蘭辺だけが孤立していた。というよりも、蘭辺が他の皆から距離をとっていた。
化学の授業が終わった。
教室移動中、柚乃に尋ねてみた。
「蘭辺の様子、変だったよな」
「……」
無言?
「蘭辺のことで、何かあったのか」
「ううん。別に」
「だけどさ……」
「怜己は知らなくていいこと」
強い口調だった。
怒っている? 何故?
答えてくれなさそうだったので、蘭辺のもとへと行ってみた。
「なあ、蘭辺。何かあった?」
彼女は少し驚いたような顔をした。
「な……ないけど」
「以前は、よく柚乃と飯食ってたよな」
「だから何よっ」
急に怒鳴りやがった。
それでも俺は話を続けた。
「柚乃とは仲いいんだよな?」
「全然っ」
「えっ? だけどさ、以前は柚乃と……」
「うるさい! その名前、出さないで!」
「柚乃が何かしたっていうのか?」
俺は横から裾を引っ張られた。
「そのくらいで、もうやめな」
さっき同じ班だった女子生徒だ。
蘭辺が去っていく。同じ班だった女子生徒も、それ以上は何も言わず、そのまま歩いていった。
だけどスッキリしない。なので教室に戻ったところで、ふたたび蘭辺に近づいた。
「やっぱり変だぞ。柚乃と……」
話の途中で、蘭辺がキッと睨む。
狂気に満ちたように瞳孔が開いた。
彼女の口が開く直前――。
今度は緋吹という女子に手を引かれた。
というより蘭辺から遠ざけられたのだ。
「なんだって言うんだよ」
「アンタは出しゃばんなってこと」
「でもさ、おかしいだろ」
すると緋吹は小声で言った。
「もとはアンタのせい。だから黙りな」
はあ? 俺のせい?
俺が何かしたのか?
「なんで……俺が」
緋吹はもう何も答えてくれなかった。
俺のせいで、蘭辺は他の女子たちとの間に溝ができたのか。だとすれば心苦しいことだ。柚乃には蘭辺と不仲にさせ、迷惑をかけてしまったなんて。
これは大問題だ。
俺が俺自身のせいで誰かから嫌われるのならば、仕方がないと思える。だけど俺のせいで誰かと誰かが仲違いするとなれば、心が深く抉られる。
俺、何をやってしまったんだ。
思い当たる節があるとすれば……。弁当仲間として蘭辺から柚乃を奪ったこと。だがそれくらいで、こうはならないはずだ。それに他の女子たちにも関係ないことだし。
この日も、柚乃と冬牙との三人で下校。
本当に俺のせいで仲違いしたのならば、柚乃に謝らなければならないだろう。だが、俺がどう絡んだのかも不明なまま、謝るというのも不自然なことだ。少なくとも心からの謝罪とは受け止められないだろう。
やはり詳細を聞かなくてはならない。
思い切って、ふたたび柚乃に問う。
「蘭辺のことだけど……」
「その話はやめようよ。怜己には関係ないことだから」
いやいや、関係あるだろ。
俺はそのように聞いたんだ。
「俺が関わってるんだよな」
「それ誰から聞いた?」
それは言えない。俺のせいでまた一つ、不和が生じてしまうからだ。
「特定してどうするつもりだ」
「そいつをとっちめる」
おいおい。
「ならば言えねえよ」
「だったらこの話は終わり」
俺が悪いのなら、ちゃんとそう言ってほしい。俺をガンガン責めてほしい。しかし結局、聞き出すことはできなかった。
誰も詳細を教えてくれないのだから、俺はもう気にすることはないのでは? そう思うことにした。しかし時間が経つにつれ、ますます心に重くのしかかってきた。
俺のせいで、柚乃は友を一人失ったんだ……。
帰宅後、部屋に一人でいた。
ベッドに横たわり、天井だけを眺めた。
汐彩に呼ばれた。夕食ができたようだ。
食欲はなかったが、せっかく作ってくれたものを無駄にはできない。感謝しつつ、いただいた。
食後、部屋に戻ろうと立ちあがった。
「待って」
汐彩が呼び止める。俺をソファーまで引っ張っていった。俺が座ると、彼女も隣に座った。顔を覗き込んできた。
「学校で何かあった?」
俺、表情に出てしまっていたのか。
「いえ、何も」
汐彩が華奢な体をぴったりと寄せている。
腕に彼女の柔らかさと温かさを感じる。とてもいい匂いがする。この神々しい生き物は何者なんだ。他の人間と同じであるとは思えない。
不思議な感じがした。沈んだ心が癒やされていく。たとえば胃が痛いときや、膝を擦りむいたとき、その患部に手を当てると痛みが和らいでいくような、そんな感覚に近いのだろう。
心地が良かった。
そろそろ部屋に戻ろうと思っても、俺の足がそれを拒む。立ちあがろうとしないのだ。ずっとこのままでいたがっている。
汐彩が俺の手にそっと触れた。
ギュッと握ってきた。
「あ、あの……?」
「お母さんの愛情」
なんだよ、お母さんって。確かに義理の母だけど……。そもそも高校生になった息子に、実母がこんなことするものか。
「なんのつもりでしょうか」
「こうしてると落ち着けるんじゃないかなって思って」
「…………」
「もしかして、イヤだった?」
「いえ、落ち着きます」
手が触れたときにはドキッとしたものの、いまは彼女の温もりに、鬱な気持ちが掻き消されていく。
俺はいつの間にか眠ってしまったようだ。
目を覚ますと、汐彩は俺の体重を背中で受けながら運んでいた。俺の足は地面をずるずると引きずっている。
「あっ、起こしちゃった?」
そりゃ、足が引きずられてるんだから起きるさ。
「汐彩さん、いったい何を」
「もうこんな時間だから、ベッドまで運ばないと、と思って」
「普通に起こしてくだされば良かったのに」
「だって気持ちよさそうに眠ってたから……」
「とにかく自分で歩きます。有難うございました」
俺は自分の部屋に入った。
迷惑をかけてしまったようだ。




