12話 復旧
汐彩が実家から帰宅したのは、二日後の夜だった。彼女は居間のソファーにバタンと身を沈めた。よほど疲れたのだろう。
コーヒーを淹れてきてやった。いつも彼女には世話をかけっぱなしだったので、これくらいはしてあげて当然だろう。
「嬉しい。気が利く~。ありがとっ」
そんな感謝の言葉のあと、ゴホゴホと咳のマネをするのだった。
「いつもすまないねえ。わたしがこんな体じゃなかったら……」
こんな体って、単なる疲労では?
汐彩は何かを待つように、チラチラと俺の顔を見る。そしてセリフと咳マネを繰り返すのだった。
「いつもすまないね。ゴホゴホ。おっかさんがまだ生きていてくれたら……」
何がおっかさんだ。
ああ、はいはい。言えばいいんだろ。
「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」
汐彩がにっこりする。
「よくできました」
「大昔のギャグ、言わさないでくださいよ」
しばらくして……。
彼女はコーヒーを半分も飲まないうちに声をあげた。
「あっ、いけない」
「今度はどうしたんです」
真面目な顔だった。
「実家に忘れ物してきちゃった。すぐ取りに行かないと」
「すぐって今からですか。もう夜じゃないですか」
「でもすっごく大事な物なの」
何やってんだか。外見とは真逆のドジっ子属性を、また発揮したようだ。慌てたように駅へと向かっていった。
俺はふたたび留守番。
彼女の飲みかけのコーヒーを片付けた。
そんなとき電車事故のニュースが流れた。
しばらく復旧の見込みはないらしい。
不幸にも汐彩が乗るはずの路線じゃないか。
汐彩に電話をかけた。
「電車、止まってるそうですが」
「そうなの。駅、人で溢れかえってて。きょうはもう走らないかも」
泣きそうな声だった。
「明日じゃ駄目なんですか」
「駄目。あしたの朝、業者さんが実家のものを片付けに来ることになってて」
「えっ、業者って。鍵はどうなってるんですか?」
「ううん。鍵はかけてない。後日、親戚の人が閉めに行ってくれるって話だから」
田舎だとは言え、不用心だな。
いい手を思いついた。
「それなら、なんとかなるかもしれません」
「どういうこと?」
「その前に、どんなものを忘れたんですか。実家の住所も教えてください」
忘れ物は小さな鞄らしい。
実家の場所も聞き出した。念のためネットで確認。
ああ、ここだな。
「俺が自転車で取りにいってきますんで」
「待って。片道で二十キロはあるはずよ」
「行けない距離じゃありません」
「駄目、絶対駄目! そんなの悪いし……あれはもう諦めるから」
大事な物って言ったばかりじゃん。こんな夜に取りにいこうとしてたくらいだし、本当は諦めたくないはずだ。
「汐彩さんに駄目だと言われても、行きます。親孝行させてください。俺、こんなときじゃないと、なかなか恩が返せないし」
すると汐彩の声が大きくなった。
「駄目、恩なんていらないから!」
「遅いです。俺、もう自転車に乗っちゃいました。汐彩さんは家に戻ってきてください」
「怜己くん……」
「じゃ自転車漕ぎますんで、電話切ります」
出発したのは二十二時ちょっと前。
途中の坂がキツかった。
ペダルが重いし、ケツも痛い。
汗でシャツが張りついている。
それでも彼女の喜ぶ顔が見たかった。
やっとのことで目的地となる汐彩の実家に到着したのは、日付が変わって午前零時半すぎだった。夜間なのであまりスピードを出せず、道も確認しながらだったので、予定よりも遅くなってしまった。
へえ、ここでずっと暮らしていたのか。
中学のとき、彼女はどんな人だったのだろう。
きっと、そのときもモテてたんだろうな。
「お邪魔しまーす」
鍵は本当にかかっていなかった。
玄関で鞄を発見。これだな。
画像を汐彩に送るとすぐに返信があった。
まだ起きていたようだ。その鞄で間違いないらしい。
再度、メッセージを送る。
「そんじゃゆっくり帰りますんで、汐彩さんは安心して寝ててください。おやすみなさい」
せっかく来たのだから、かつて汐彩の住んでいた家の中を見てみたかった。けれどもそれはできない。俺が入っていいのは玄関までだ。
ふたたび自転車に跨った。
家に向かって出発。
帰宅できたのは四時だった。
玄関を開けると汐彩が走ってきた。
こんな時間になっても、まだ起きていたとは。
だったら俺、休憩なんかしなければ良かった……。
いいや、それじゃ体力が持たなかっただろう。
「ごめんなさい。こんなことさせちゃって」
申し訳なさそうな汐彩の顔。
「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」
汐彩が笑った。
俺も笑った。
取ってきた小さな鞄を手渡すと、彼女は改めて礼を言った。その鞄を胸元でぎゅっと抱きしめる。本当にとても大事なものだったようだ。
「何が入ってたんです?」
「幼稚園の頃の写真なんだ。実はね、そこには……。ううん、やっぱりなんでもない」
そこまで言ったのなら、ちゃんと聞きたかったが、あまり踏み込むのもよくないだろう。とりあえず俺としては、笑顔が見れたので満足だ。
「お腹すいてない? 一応、お夜食作っておいたんだけど食べる?」
「はい。食います、食います、食べたいです」
彼女が出してくれたのは鶏飯。鶏飯とは違って、お茶漬けに似た感じだ。なので、さらさらっと食べられる。九州の郷土料理として有名なのだとか。
「うまっ」
「本当? 良かった」
ソファーで食休みをしていると、右肩が少し重くなった。
隣に座る汐彩の重力だ。眠ってしまったらしい。
ずっと起きていたのだから、結構眠かっただろう。
でもちょっと無防備なんじゃ?
いやでも親子か。一応は。
この姿勢、俺にとって僥倖ってものだ。正直、ずっとこうして触れていたいところだが、彼女にとっては不本意に決まっている。
惜しみながらも、歯を食いしばった。
ゆっくり立ちあがりつつ、彼女をソファーに寝かせた。
さて、これからどうしよう。
気持ちよさそうに眠っているので、起こすのは気が引ける。ベッドに運ぶとしても、途中で起きてしまうだろう。たぶんこのままソファで寝かせておくのがいいだろう。
毛布を二枚ほど持ってきた。そっと彼女に掛ける。
「おやすみなさい、汐彩さん」
俺は部屋に戻って寝た。




