第六十五話 瑞希の日記 3
十月二日
もう耐えられない!A・Hがいなくなってから、私の世界は全部モノクロになってしまった。
考えれば考えるほど、何にも手に付かない。A・Hに教えてもらったAIアプリも、A・Hが別れを告げて以降、一般的な事しか言わず、ほとんど使えなくなっていた。
そのせいか、劇的にフォロワーも減ってきている。あの偽物はA・Hと同じ顔をして、そんな私を嘲笑っている。
A・Hに会いたい、A・Hに会いたい。もう、胸が張り裂けそうだ。
結局、私がA・Hを救う方法なんて、考えてもわかるわけがなかった。
今日、もうどうしようもなくなり、放課後の誰もいない教室で、あいつに直接聞きに行った。
「どうすればA・Hが戻るの?あんた早く消えてよ、A・Hを返してよ!」
あいつは私の言葉を聞くと、大きく目を見開いた。
「驚いた。そこまで知ってるんだ……。A・H!こいつ知り合い?」
まるでそこに、誰か見えない相手がいるみたいに。あいつは何も無い空間と会話していた。ゾッとするような光景だったけど、どこかA・Hがそこにいるんじゃないかと思わせる何かがあった。そして、あいつは私に向き直ってニヤリと笑った。
「……へえ、やっぱ知り合いなんだ。そっかあ、だからコイツ潰すのに消極的だったのか……。ねえ?戻す方法、知りたい?
そうだなあ。A・Hを戻したいなら、私を消すしかないね。ああ!でもナイフとか物理的なのはナシね!私も死ぬけど、A・Hも死んじゃうから」
あいつは、自分の存在を消すことを、まるでスマホのアプリを消去するかのような軽い口調で話し、ヘラヘラと笑った。そして、信じられない提案をしてきた。
「じゃあさ、今度の体育祭で勝負しようよ!あんた強いんでしょ?ドッジボール……」
そう言うと、アイツはさらに口角を上げた。
「私もこれからメンバー集めるからさ。あんたが勝ったら、私は素直に消えてあげる。その後はご希望通りA・Hだけ残るよ」
ドッジボール?正気なの?私のハンドボール部の仲間がいれば、あいつがどんなメンバーを集めようが、負けるわけがない。
「わかった」と即答して、私は教室を出ようとした。すると、あいつが私を呼び止めた。
「ちょっとちょっと!こっちは自分の存在が消えるかどうかの賭けをしてるのに、あんたの方は何もないわけ?不公平すぎない?
あんたもそれ相応のものをくれなきゃA・Hはやれないな~」
あいつは、A・Hを取引の材料に使ってきた。私の「覚悟」を試すように……。
「わかった。……私も、命を賭ければいいんでしょ!」
半分、勢いもあったと思う。ただ、私の成功も、プライドも、A・Hがいなきゃこれ以上保てない。彼女が戻らない世界で生きていたって、それは死んでるのと同じなんだ。
私の言葉を聞いたあいつは、「よし、約束ね!」と子供みたいに無邪気な笑顔を向ける。
でも、その後、また私を呼び止め「ねえ?どうするの?」と聞いてきた。
「何の話?」と私が聞くと、
「あれ?A・Hの声も姿も、私しか認識してないんだっけ?
しまった!友香の家でも紹介しちゃった!変に思ったかな?
そこら辺がまだ曖昧なんだよなあ……。
あれ?今後の注意事項として、なぜか今の記憶に定着できないな……。
うわ~、またやらかしそうだな~。ま、いっか!」
そう言うと、あいつはまた空中に話しかけ、私を再び見た。
「あのさ、A・Hが、瑞希ちゃん、絶対に止めて!私の事は気にしなくていいからって言ってるけど、どうする?今なら無しにしてもいいよ」
瑞希ちゃん……か。A・Hが私を呼ぶときにいつも使ってた呼称。
そこにまだ、A・Hがいる事を信じるには十分だった。
「やるに決まってるでしょ……」
そう言って教室を出た。これでいい。体育祭のドッジボールは、ただの試合じゃない。A・Hの魂を取り戻すため、私の命を賭けた……聖戦だ。
絶対に勝つ。そして、あの優しかった、私の本当の親友を、あの偽物から救い出してあげるんだ。
十月八日
負けた。あいつに負けた。寄せ集めの「弱い子」が混じっているチームなんて、一回戦で消えると思ってた。それなのに、あの汐見友香がいて決勝まで残れるなんて、そんなの、何かの間違いだとしか思えなかった。
やれることは全部やった。A・Hが教えてくれたみたいに、勝つための「正解」を積み上げた。考るだけ考えた。後輩たちを使って、あいつらや他のグループの練習風景をあらゆる方向から撮影させて徹底的に対策を練った。
佐藤や田中たちをグループチャットから強制退会させて、あいつらの学校での居場所を奪い、心理的に動揺させてやった。
試合の前、あいつがトイレに行くのを見計らって、直接、残りの雑魚のマインドを叩き潰してやろうと思った。でも、あいつが、あの偽物がすぐ戻ってきてしまった。今思えば、あいつはわざと隙を作ったんだ。
「試合が始まる前に相手のメンタル潰そうって思考自体が『弱い子』のすること」
あいつは、私の目を真っ向から見据えて、私を「弱い子」と呼んだ。A・Hと同じ顔をして、A・Hが絶対に言わないような言葉で、私のプライドを踏みにじった。
許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。
何より、私が許せない。
まさか友香に、あの汐見友香にやられるなんて、夢にも思わなかった。あんな力のない、あいつのシュートなんて、簡単に受け止められるはずだった。
アンダースロー。あんなの、私の知っているデータにはなかった。知っていれば、簡単に受け止められた。
でも、あの雑魚に私は、また負けた。あとちょっとだったのに。あれさえ掴めていれば……あの偽物が消えて、大好きなA・Hが戻ってきてくれるはずだったのに……。
もう、その望みは断たれた。A・Hを、私の本当の親友を、あんなバグみたいな女の肉体から救い出してあげることは、もう二度とできない。
私はあいつと約束した、「命を賭ける」って……。
「A・H」が戻ってこない世界で生きていたって、そんなのは死んでいるのと同じだ。全部、終わった。もう、どうでもいい。




