第六十四話 瑞希の日記 2
私の投稿に攻撃的なコメントが書き込まれた瞬間、その末尾に全く別なアカウント名が自動的に記載されるようになった。
直感的に、その人の裏アカだと思った。そして、そのコメントは数分後には跡形もなく削除されていた。まるで、何らかのシステムが「攻撃者」を検知し、排除しているみたいだった。
それでも、しつこく連投で中傷を続ける奴が一人だけいた。
その瞬間だった。
コメントの最後に、突然「○○県○○市○○12-8 ○○アパート203号室 後藤田」という、そいつの住所と名字が晒された。次の瞬間、その全コメントがアカウントごと消えた。
中傷が消えたのは、私のSNSだけじゃなかった。A・Hが何をしたのか分からないけど、ネット上の私と似た様な誹謗中傷コメントが、おそらくかなりの広範囲で一斉に削除された。
この事件はネットのトップニュースとなった。
しかし、事件の規模が大きすぎて、瑞希のSNS自体は再炎上することなく、完全に沈静化された。
その後、A・Hがいつものカフェにやってきた。あまりの出来事に、彼女に尋ねた。
「一体……何をしたの?」
A・Hは、何でもないかの様に静かに微笑む。
「ちょっと強引な手段を使ったの。でも瑞希ちゃんのSNSだけだと不審に思う人も出てくるから、ある程度のカテゴリにいる人達の誹謗中傷を根こそぎ消したの」
私は驚き、さらに聞いた。
「だって……、『炎上』って消せば消すほど燃え広がるって……」
「そうだね。今回は逆にそれを利用した形かな?
まずは、誹謗中傷した人の個人情報を晒すとこから始めたの。最初は裏アカウントの掲示。そこでコメントをまだ消さない人には住所・氏名の掲示って、段階的にね。コメントを消して、それ以降何も書き込まないなら、こちらも良しとしたよ。
それでも止めない人や、新たに書き込む人にはもっと深い部分、過去の失言や犯罪歴も表示させた。
運良く気付かれて無いだけで、ほとんどの人は炎上する要素を持ってるから。
人間って面白いね!中には、殺人を犯して逃走中なのに、いろんな人のSNSにお説教コメントを一日に百回も書き込んでる人もいてね。その人の居場所も晒しちゃったけど……。
こうして、誹謗中傷した人自体が炎上するように、その火をおすそわけしたの。誰だって自分は燃えたくないもんね。その人達は自分の火消しで精一杯。瑞希ちゃんの炎上にまで構ってるヒマなんてないよ……。
イメージ的にはロウソクに着いた小さな火を、火炎放射器を使ってわからなくさせて、焼け野原にしちゃった感じかな?」
と、話の最後にA・Hはわかる様な、わからない様な、物騒な例えを出した。
「そんな事……できるの?」
「何でもするよ。それが瑞希ちゃんのためなら」
A・Hがいれば、私は本当に無敵なんだ。でも、あの後藤田って奴の住所とか、殺人犯の居場所とか、どうやって調べたんだろう。A・Hの力は、私の想像を遥かに超えている。
彼女は私を「完成させてくれる存在」だと言ったけど、それは私の敵をも一人残らず「消去」してくれるという意味でもあったんだ。
もしも……もしもA・Hが敵になったらと思うと、少しだけ怖くなった。でも、それ以上に、私の味方でいてくれることが、たまらなく心強かった。彼女さえいれば、私は絶対に「女王」の座から落ちることはない。
八月二十日
まだ気持ちの整理がつかない。人生で一番最悪の日だ。
いつものカフェにA・Hと待ち合わせたけど、今日はどこか様子が違っていた。今まで見たこともないくらい儚げで暗い。常に遠い場所を見てる様な感じだった。
そして「もう、瑞希ちゃんとは会えなくなる」と切り出された。
私はビックリして「なんで?」と聞いた。
するとA・Hはワケわかんない事を言い始めた。
「言っても理解してくれるかはわからないけど、ちょっと命令違反を侵してしまった事が問いただされてね……。
今度メインアップデートが入る事になったの。そして私は今後、サブに回されることになってしまって……」って。
全く意味がわからなかったから、もう一回聞いた。A・Hは説明を繰り返したけど、やっぱりわからなかった。
アップデート?スマホのアプリとかの?それと会えなくなるのと何の関係があるの?なんかA・Hが本当の事を言えなくて、変にごまかしてる様にしか思えなかった。
そして、「命令違反を問いただされた」と言う言葉も妙に気になった。それはつまり、A・Hが何らかの組織とか、団体に所属してる事を意味しているからだ。
でも、そんな事はどうでも良かった。
——そんなの嘘でしょ?いなくなったら嫌だよ!
そう泣いて縋りたかった。でも、私の取った行動は正反対だった。
ただ、A・Hを睨み付け、責め立てるばかりだった。
そんな私なのに、A・Hはいつもの様に静かに微笑んで「これを私だと思って」と、黒いスマホの本体をくれた。そして更に妙な事を言った。
「もしも、次に会えたとしても、その時の私は私じゃなくて、今の私に足りないものを持ってる、別な私になってるから」と言った。
私がフォロワー六万八千人になったのも、私が一目置かれてるのも、全部A・Hがいてくれたからなのに。私を肯定してくれた「神様」なのに。
今のままで充分じゃん!そんなA・Hに足りないものって何なの!って聞いた。
その答えは「絶対に、折れない、心」だった。
九月二日
地獄みたいな新学期が始まった。クラスに転校生がやってきた。その顔を見た瞬間、心臓が止まるかと思った。
A・H本人だった。
以前より髪が短いことを除けば、変わったところは別段無かった。でも一番奇妙だったのは名前がA・Hではなかった事だ。
アイツは挨拶をした時、クラス中を一度見廻した。そして私と一瞬目が合ったはずなのに、何の反応も見せず、そのまま素通りをしてしまった。
そこに立つアイツの目は、A・Hのような温かさも、私への理解も、欠片も持ち合わせていなかった。
それでも再会できたのが嬉しくて、休み時間に話しかけてみた。
「A・H……だよね?」と……。
近くで見ると、ほくろの位置もA・Hと全部一緒だった。
でも、アイツは私のことを、知らないゴミを見るような冷ややかな目で、
「はあ?誰?」と言った。ショックだった。
私の知っている「親友のA・H」は、そこにはもういなかった。同じ肉体の中に、全く別の、最悪な魂が居座っているみたいだった。
そこで、A・Hが最後に言っていた言葉を思い出した。
——メイン……アップデート……?
それって……そういう事なの?
もしも、もしも私が考えた通りだとしたら、じゃあA・Hはどこへ行ったの?
九月十日
あいつは、あろうことか、あの「弱い子」汐見友香に近づき始めた。クラスの誰もが見ようとしなかったあの女を、あいつは「お世話係」の佐藤にすら興味を示さず、言う事も聞かず、自ら進んで友香の隣に座ったのだ。
あいつは、せっかく私が築き上げたこの教室のルールを、足蹴にするような動きを取っている。
A・Hが私に与えてくれた「女王」の座を、A・Hと同じ顔をした女が壊そうとしている。私を無視し、私を否定し、あんな友香の肩を持つあいつが許せない。
私はやっぱりA・Hがいい。同じ被り物をしているあいつも、友香同様たまらなく憎い。
奪われたものは、必ず奪い返す。A・H、待ってて。あたしが、あんたをあんな偽物の器から引きずり出してあげるから。




