第五十五話 糾弾
友香達がドッジボールに優勝してから、クラスの「女王」水谷瑞希は一度も出席していなかった。
その間に、友香の周りに佐藤、田中、玲が集まるのがクラスの新たな風物詩となりつつあった。
ある日、大会で終始、外野を務めた鈴木絵里子と伊藤姫乃が、おずおずと、しかしどこか晴れやかな顔で友香達に歩み寄って来る。
「友香、あの時のアンダースロー、本当にカッコ良かったよ!」
「あ、ありがとう。鈴木さんも伊藤さんもお疲れ様」
「私たち、友香と一緒に戦えて本当に良かった。また、中学の時みたいにみんなで……」
彼女たちが友香の肩に手を伸ばそうとした瞬間。鋭いナイフのような視線が割り込んだ。玲だ。
「……何、その『元通りの親友』みたいな顔」
玲の低く、温度のない声に、二人の動きが凍りつく。玲は友香の前に立ちはだかり、逃げ場を塞ぐように二人を見据えた。
「ねえ、鈴木、伊藤。さっき『中学の時みたいに』って言った?面白いこと言うんだね。中学の時、瑞希に睨まれるのが怖くて、真っ先に友香を切り捨てたのは誰だっけ?」
「あ……ちょっと、玲……」
お祝いムードに、あえて冷や水を浴びせる玲の態度に友香が戸惑う。しかし玲は冷徹に、鈴木と伊藤の反応を窺っている。
「そ、それは……あの時は瑞希が怖くて、仕方がなかったっていうか……」
鈴木が震える声で言い訳を口にする。玲はその言葉を鼻で笑い、さらに追い詰めた。
「『仕方がなかった』?それは友香が言うセリフであって、裏切ったあんたたちが使う言葉じゃないよね?
あんたたちは、瑞希という『女王』に目を付けられたくないから、友香を生贄にして逃げただけ。
自分の平穏のために、友達を『透明人間』に仕立て上げたんだよ。そうでしょ?」
玲は一歩、また一歩、彼女たちに詰め寄る。その瞳には、共に戦った仲間と言う感覚はまるで感じられない。
「『噂は信じてないけど、瑞希に睨まれると困るから』。友香にはそう謝ったんだってね。でも、それって『自分の保身のためなら、あんたが犠牲になっても構わない』って宣言したのと同じだって気づいてる?
二年生になってからもそう。SNSで根も葉もない噂が流れた時、あんたたちは一度でも『それは嘘だ』って声を上げた?」
「……あ、上げられなかったよ。そんなことしたら、私たちが何をされるか……」
伊藤が涙目で俯くが、玲の追及は止まらない。
「そう。あんたたちは、瑞希の作る『空気』に従うのが唯一の正解だと思ってた。ドッジボールだって、私が強制しなきゃ、瑞希に忖度して、早々に敗退させるつもりだったでしょ?」
「そんなこと……っ!」
玲の正論は、逃げ道をすべて塞ぐように二人をなじり続けた。彼女たちの顔からは血の気が引き、教室の華やかな喧騒から切り離されたような絶望感が漂う。
「玲……終わった事はもういいん……」
玲は友香の言葉を途中で制止する。
「友香は優しすぎるから、あんたたちのことを許すかもしれない。でも、私は知ってる。あんたたちが、自分のために友香の存在を消した瞬間を。……友香に触れていいのは、彼女が一番苦しい時に隣にいた人間だけだよ!」
玲はニヤリともせず、ただ冷酷な「正解」を突きつける。鈴木と伊藤は、自分たちが犯した「裏切り」という罪の重さを、この勝利の歓喜の中であらためて突きつけられ、立ち尽くす。
それでも鈴木と伊藤は、納得のいかない表情で声を荒らげた。
「……そんなの不公平だよ!それを言ったら、佐藤や田中だって同じじゃない!二人だって瑞希を怖がって、ずっと友香のことを無視してたでしょ!」
その言葉に、玲の瞳が氷のような冷たさを放つ。彼女はゆっくりと首を振る。
「……全然違う。あの二人とあんたたちは、決定的に違うよ」
玲は、まず「ポッピン」田中麻里奈に視線を向けた。
「ポッピンはね、私がわざとアウトになった時、なりふり構わず私に詰め寄ってきた。友香を一人残してどうするんだって、本気で怒鳴りつけてきたんだよ」
玲は思い出す。あの時の田中の目は、勝利への執着以上に、友香を一人にすることへの純粋な危惧に満ちていた。
「彼女はもう、自分の保身なんて忘れてた。本来は仲間思いの優しいヤツだからね。自分のこと以上に、友香が傷つくのを心配したんだ」
次に玲は、「シュガー」こと佐藤めぐみを見つめた。
「シュガーだってそう。瑞希が友香を狙って、殺意のこもった一撃を放ったあの瞬間……彼女は迷わず友香の前に飛び出した。あの強烈な球を、顔面から受けてまで友香を守り抜いたんだよ。」
鈴木と伊藤は、息を呑んで佐藤の痛々しい頬を見つめた。
「佐藤は私に言ったよ。『今度はちゃんと守ったからね』って。
ねえ、瑞希の怒りを一身に受けて、立ち向かえる覚悟が、あんたたちのどこにあるの?」
玲の声は、静かだが鋭い刃のように二人の心を切り裂いた。
「この二人は、瑞希の支配の恐怖を上書きして、友香のため動いてくれた。
でもあんたたちは、ただ安全な場所から事態を眺めて、風向きが変わったから戻ってきただけ。
……その違いも分からないなら、二度と『友達』なんて言葉を使わないで」
玲の正論の前に、鈴木と伊藤は一言も返せなかった。
「もう、いいよ……玲、もういいから……」
友香が玲に懇願するように見つめる。
伊藤と鈴木が最後の抵抗を試みる。
「ずるい……ずるいよ!優勝したら何かが変わるなんて私達を唆してさ!
その結果が、仲間に対するこの仕打ちなの?」
「優勝して変わったでしょ?状況」
玲は何の感情も無く言い放った。
「それに『仲間』、ねえ……。さっきさ。友香に対するSNSの嘘に声を上げられなかったって言ってたけど、そりゃ、言えるワケないよね?
だってさ……書き込んだ張本人だもんね?」
鈴木と伊藤の表情に焦りが見え始める。そして、玲は最後に容赦の無いひと言を放った。
「ねえ?『シーバス・チャイルド』に『プリンセス・ウィステリア』!」
その瞬間、鈴木絵里子と伊藤姫乃の顔は見る見る青ざめていった。
しかし、それ以上に友香の顔にも驚きが見られた。
その二つの裏アカの名前の響きには聞き覚えがあった、いや忘れられなかった。
<シーバス・チャイルド:汐見友香ってヤリマンなんだって!>
<プリンセス・ウィステリア:あいつと仲良くしているヤツも同類>
自分を傷つけた最も残酷な言葉。
まさか、鈴木と伊藤の二人が書き込んでいたとは夢にも思わなかった。
友香は二人の顔を見た。そこに浮かんでいたのは、自分たちの保身と偽善が完全に剥ぎ取られたことに対する、恐怖と戸惑いだった。
「ち、違うの、友香……!あれは、その、違うの!」
鈴木絵里子が、引きつった笑みを浮かべながら言い訳を口にしようとする。その瞳は細かく揺れ、額からは冷たい汗が滲み出ている。
「そうだよ、あれは瑞希に……瑞希に逆らうと私たちも同じ目に遭うから、話を合わせるために書いただけなの!本当にそんなこと思ってないの!」
伊藤姫乃も涙目で必死に言葉を重ねるが、その震える声は、言い訳を重ねれば重ねるほどに醜く歪んで響いた。
玲はその様子を見てほくそ笑んでいる。
「散々、瑞希の言うまま加担しててさ、いざカーストが崩壊したから、その途端にまた友人のフリをして近づいてくる。……そういうのを、世間では『フレネミー』って呼ぶんだよ。知ってた?」
鈴木絵里子も伊藤姫乃も何も言い返せず、表情をより青くさせる。それでも必死で友香に何かを訴えようとしている。
友香は二人を見つめた。自分の胸の奥で、何かが冷たく凍りついていくのがわかった。怒りすら湧かなかった。
瑞希を恐れていた……。その点については共感する部分もある。
それでも今、底知れない虚無感と、二人に対する強烈な拒絶感が、友香の全身を支配していく。
「……もう、いいから」
友香の口から漏れたのは、自分でも驚くほど冷たく、乾いた声だった。鈴木と伊藤が、弾かれたように息を呑んで動きを止める。
「何も言わなくて、いいから……」
友香にはもう、彼女たちの顔を見る気力すら残っていなかった。




