第五十一話 友香と裏垢
十月。クラスの中が体育祭の種目決めで活気づく中、友香はいつものように、自分の気配を消して机に向かっていた。
黒板の前ではクラス委員長の長田が声を張り上げ、種目ごとに名前が埋まっていく。女子ドッジボールの枠には、瑞希を中心としたハンドボール部の「最強チーム」が早々に書き込まれた。
二チーム目を選ぶ、その時だった。
「はい! はい! 出ます! 私と友香がドッジボール出ます!」
静寂を切り裂く玲の明るい声に、友香は自分の体が硬直するのがわかった。
——え……? 玲、何を言ってるの……?
友香は顔を上げ、信じられない思いで玲を振り返った。運動神経が人並み以下である自覚はあるし、何より自分がグループにいれば、誰も加わりたがらない。
案の定、教室内には気まずい沈黙が流れ、瑞希たちの冷ややかな視線が突き刺さる。
しかし玲は、そんな周囲の空気などどこ吹く風で、「大丈夫!」と言うように友香にウインクを投げてみせた。
その直後、玲の元「お世話係」の佐藤や、玲を無視していた田中。そして、瑞希を恐れるあまり、友香とこれまで接触して来なかった鈴木絵里子と伊藤姫乃も、なぜか青ざめた顔で次々と手を挙げた。
友香には、彼女たちが何かに怯えている事は何となくわかったが、とりあえず、こうして「女子第二チーム」は唐突に結成された。
放課後、練習のために集まった体育館の脇。そこには、誰も友香と目を合わせようともしない気まずい空気が澱んでいた。
「なあ雨宮。汐見のことなんだけどさ」
沈黙を破ったのは、苛立った様子の田中だった。彼女は自分の腕をさすりながら、友香を見ようともせずに玲へ詰め寄る。
「メンバー交代の申請、今からでもしなよ。汐見だって運動苦手なんだろ? その方が本人も楽じゃん。バスケ部の大沢とか入れた方が絶対良いとこまでいけるって!」
「そうだよ、雨宮。それが一番確実だよ」
佐藤も同意した。それは友香を気遣う言葉の形を借りていたが、その実、真っ向からの「拒絶」だった。
友香はいたたまれなさに項垂れ、ジャージの裾をぎゅっと握りしめた。
——やっぱり、そうだよね。私がいちゃ、みんなの邪魔になる……
「自分からチームを外れる」と言い出そうとした、その時だった。
「ううん、ダメよ! 友香は絶対に変えない! 友香がいなきゃ話にならない!」
玲の声には、一点の迷いもなかった。玲は佐藤と田中の提案を一蹴するように笑い、友香を庇うように一歩前へ出た。
「じゃあ、せめて外野だろ! その方が汐見だって狙われずに済むし!」
田中の激しい言葉が飛ぶ。しかし玲は、それを受け流すような微笑みを浮かべたまま、静かに首を振った。
「ううん、ダメ。友香はずっと内野。私の隣にいてもらうから」
友香は、玲の、自分に対する絶対的な信頼に救われるような思いを感じたと同時に、底知れない不安にも襲われた。
なぜならこの後、瑞希の子分と言っても良い田中や佐藤に対し、玲はあろうことか「瑞希を完膚なきまでに叩き潰して優勝する」という、無謀な宣言で返したからだ。
そんな事を言えば、田中も佐藤も必死で抵抗するだろう。それは簡単に予想できた事だった。もしかしたら、このチームを外れるとまで言うかも知れない。しかし、そうはならなかった。
玲は田中と佐藤の背後に回り込み、ボソッと呟く。
「それでも勝ちたいんだよ。ねえ、わかってくれないかなあ?『ポッピンチョ』に『シュガーホープ』?」
その瞬間、二人の表情が瞬く間に青くなった。
玲が言い放った言葉に、少しだけ聞き覚えがあった。
そして思わず「ポッ……ピン?」と呟いてしまった。
すると田中は、顔を真っ赤にして友香に言った。
「そ、その名前を呼ぶな!あんたには関係ないから!」
すると間髪入れずに玲が、
「え~、田中~?本当に関係ないの~?」
と、何か言いたげに田中にほくそ笑む。
そう、友香にはこの名前に聞き覚えがあった。
<ポッピンチョ:あいつ、何考えてるかわかんないよな>
……あの書き込みは田中だったのか……
そして、玲が佐藤に向けた言葉にも聞き覚えがあった。
<シュガーホープ:本人も一人の方が楽なんじゃないかな?>
その一文が脳裏によみがえった。
——そうなんだ……
友香は小さく目を伏せる。
あの時は、誰が書いたのか分からなかったけど、佐藤だったんだ。
玲の前で、青ざめて震える田中や佐藤。でも彼女達を責めたいという気持ちは、不思議と湧かなかった。
瑞希に逆らえば地獄が待っていることを、この教室の誰もが知っている。
逆らえば、次は自分が無視される。
——私だって、同じ立場だったら、どうしていたかわからないのだから。
そして一瞬だけ、友香は鈴木と伊藤とも目が合った。しかし、彼女達はすぐに視線を逸らした。
二人もまた、何かを書き込んでいるのだろうか?
そう思うと、友香は自分の胸がだんだん苦しくなるのがわかった。




