第五十話 あかり?
「ねえ友香、今度、家に遊びに行ってもいい?」
帰り道、唐突に玲が聞いて来た。
ここ二年ほど、誰かが友香の家に来たことなど無かった。
やはり誰かにこれを聞かれたら…と言う思いの方が強く、多少戸惑った。しかし、せっかく玲がこの様に言ってるので、快く応じた。
その週の土曜日、玲が本当に友香の家へ遊びに来た。
友香の部屋は、自分でも「何もないよ」と言った通り、色気も何もない。ただ乱雑な物が一つもないだけのシンプルな部屋だ。玲が一通り部屋の中を見回したとき、少し気恥ずかしさを覚えた。
ただ、そうした感情も、玲が次に取った行動により、
どこかに吹き飛んでしまった。
玲は何もない空間を急に指差して、
「こちらは日向あかり。まあ、私の相棒みたいなものかな」
と言い始めたのだ。友香は思わず息を呑み、その空間を見つめる。
今、この部屋にいるのは、もちろん友香と玲だけだ。玲の視線の先には、当然誰もいない。しかし、あまりにも自然に、そこに誰かがいるかのように微笑んで紹介するので、友香はやや混乱した。
「あかり……ちゃん?」
まず始めに、冗談なのかな?と思った。時々、玲は会話の中でもちょっとした『からかい』を含めることが多い。
しかし、しばらく待っても玲からは「ウソだよ!冗談だよ!」とか、ジョークの後特有の「にやけ笑い」と言ったアプローチも無く、ただただ真顔で友香を見つめていた。
なので友香は、確認の意味の疑問形で「あかり」と言う名前を呼んだのだった。
すると玲は「友香、迷惑だったかな?」と聞いてきた。
その瞳と表情は、とても冗談を言ってる風には感じられなかった。それに、冗談だと受け止める許容時間はとっくに過ぎている。
玲は、完全に日向あかりと言う存在がいると言う体で話しているのだ。
友香は慌てて応答する。
「ううん、そんな事ないよ!あかりちゃん、よろしくね!」
そう言うと友香は、玲が顔を向けていた方へ頭を下げた。「あかり」と言うのが、何なのかわからないまま、つい挨拶をしてしまった。
この対応で良いのだろうか?不審がってないか玲の反応を見る。
特に何の動きも見られなかったので、友香は妙な安心を覚えた。
「あのさ、今日、友香の家にお邪魔したのは、学校では聞けない事をちょっと聞きたかったの」
玲はそう言って、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「友香って私から見たら、本当に優しくて親切で性格も良いし、誰の悪口も言わないし、嫌いになる要素なんて一つも見当たらないんだけど。なのに、クラスの子たちが友香に辛く当たってるのを何回も見てて。理由があるなら聞かせてほしいな、って」
まだ「あかり」と言う存在について、自分が消化しきれてない内に次の話題に進んだ事に、友香は少し戸惑う。
——とりあえず気持ちを切り替えよう。
そう自分に言い聞かせた。そして深呼吸をするために、二、三秒ほど目を閉じた。
落ち着いたら落ち着いたで、自分の事を話して玲まで標的にされたら……という不安がよぎった。
だが、玲の性格上、もしかしたら話を聞くまで帰らないかも知れない……。
友香はポツリと話し始めた。
中学の時、瑞希と同じ美術部で、絵画コンクールに出品したこと。友香が銀賞に選ばれ、瑞希が落選したあの日から、突然彼女が口を利いてくれなくなったこと。
そして高校で再び同じクラスになり、SNSで「先生に告げ口している」とか「ヤリマンだ」といった、身に覚えのない酷い噂を流されるようになったこと。
「……全部ウソだよ、そんなの。でもみんな、信じちゃうんだよね。
一番ショックだったのは『あいつと仲良くしているヤツも同類』って書かれたこと。あんなの読んだら、誰も私と話なんかしたくなくなるよね……」
話してる内に、友香の心にも悲しみがこみ上げてしまう。そして案の定、友香の言葉が終わる頃には、部屋の空気は冷え切っていた。顔を上げると、そこには今までに見たことがないような、激しい怒りに震える玲の姿があった。
「はああ?何それ!!」
その叫び声は、友香の部屋の静寂を一瞬で引き裂いた。
玲は、友香に起きているこの状況を本気で怒っている様に思えた。それは友香にとって、とても嬉しかったし、とても頼もしく思えた。
ただ玲に、どうしても渋谷七瀬の表情を重ねてしまう。
そして友香は、玲もまたクラスメイト達に無視され始めている事を不安視していた。かなりあからさまに、あのお世話係だった佐藤ですら、玲の呼びかけに応えなくなっていたのだ。
まだ遅くないから、自分とは一切の付き合いをしない方が良い。その事も含め、あらためて言った時だった。
「え?私って無視されてるの?全然気が付かなかった!」
そう言うと、玲は合点がいったと言い、田中が自分を無視していた話を友香にし出した。しかし、本人は思ったほどショックを受けて無さそうだ。
友香はさすがに、それが玲の強がりだと思っていた。誰だって、無視されたら心を平静に保てなくなる。七瀬だってそうだった……。
「このまま無視され続けたら、玲も嫌じゃないの……?」
そんな、友香の切実な問いに、玲は不思議そうに首を傾げた。
「嫌かどうかは、私が決める事じゃない?」
その言葉に、友香はハッとさせられる。あの教室では、瑞希が作り上げた「空気」が個人の感情すら支配している。
『瑞希が不快に思うものは、みんなも不快に思うべき』
『瑞希が関わらないものは、決して関わるべきではない』
歪んだ「正解」が押し付けられているこの小さく狭い世界で、玲だけは自分の価値基準を譲らない、そんな強さを持っている様に思えた。
友香はそれ以上、何も言えなくなってしまった。ただ、今まで感じた事の無かった「強さ」や「逞しさ」といったものを玲に感じ始めていた。
夕方の五時を回った頃に、玲は立ち上がった。
「ああ、もうこんな時間だ。今日は楽しかった。ありがと!」
玲を見送るために、階段を降り玄関を開けると、強い雨が降り始めていた。
友香は、傘立てから一本を取り出す。それは父親からもらった黒い傘だった。
「玲、この傘使って」
友香が傘を差し出すと、玲は驚いた表情で「え、いいの?」と遠慮がちに聞く。
「うん、ちょうど余ってた傘なの。男性用だからちょっと大きいかも知れないけど……」
「ううん、あかりと二人だから、すっごい助かるよ!じゃあ学校で返すね」
また、「日向あかり」だ……。少し慣れてきたが、やはりまだ動揺が残る。
そう言えば、木花明星と同じ名前だな……などと雑念を入れて、友香は、自分の気持ちをなるべく平静に保つように努めた。
「あ、いいのいいの!そのまま持ってて、返すのはまたうちに来た時でもいいし。なんなら……捨てても構わないから」
「え?」と玲は少し戸惑った表情を見せたが、友香はそのまま笑顔を見せる。
もともと、この家にはもう必要なかった物だ。かと言って、わざわざ自分で捨てる様な気力も無く、ただ、ずっと放置していた。
少しでも誰かの役に立つなら、ちょうど良かった。そのまま返って来ないことを願った。
玲はお礼を言った後、「じゃあね!」と言って玄関を出る。
そして、玲の体には大きすぎる傘を広げ、一人で帰って行った。
友香はゆっくりとドアを閉めた。
玲がいなくなったあと、部屋の中はしんと静まり返っていた。
今日は久々に誰かと話せて楽しかった。心からそう思った。ただ、玲に関して少し気になる部分があったのも確かだ。
友香は机の上のタブレットPCを起動し、先ほど起きた出来事に関係するようなワードをいくつか検索してみる。三分ほど経過した後、一番しっくりくる検索結果が表示された。
「……イマジナリーフレンド」
友香が呟く。そしてその説明を読み始める。
『イマジナリーフレンドとは、主に幼少期の子どもが心の中で作り出す、実在しない友人や人物を指す。
本人にとって実在する人間と変わらないほど自然に感じる事が多く、会話や遊び、相談相手となることもある』
「……幼少期?」
友香は小さく首をかしげた。玲は高校生だ。しかし「あかり」と言っていた存在と普通に会話をしている……様に思えた。
独り言には、とても見えなかった。友香は続きに目をやる。
『生活における精神的ストレスや、周囲からの孤独感を和らげるための防衛本能と考えられている』
そこまで読んで、友香の指が止まる。あんなに自信に満ちあふれている子なのに、心の中の友達が必要なほど、ストレスだったり弱さを感じたりしているのだろうか?
そうなると……玲のあの態度も、やはり強がりではないかとも思ってしまう。
友香はスクロールし続け、文末に辿り着く。
『イマジナリーフレンドは、成長とともに自然に消失する例が多い』
——消える?
友香は思わず、その言葉に目を奪われた。そして、玲の言葉を思い出す。
『あかりは、まあ、私の相棒みたいなものかな』
そう言って、当たり前のように隣を見て笑っていた。
いずれ、玲にもその「あかり」と言う近しい存在と、お別れする日が来るのだろうか?
そう思うと、友香は少し切なくなった。
——それはいつになるかはわからないし、私がわかるはずもない疑問だけど……
自分が今、玲に出来ることはそれを理解し、受け入れる事だと思った。
友香はブラウザアプリを閉じると、椅子にもたれかかり、大きく息を吐いた。最初は何を考えているのか分からず、つかみどころの無い子だなと思っていた。
けれど今日、一緒に話してみて分かった様な気がする。
玲はきっと、誰かを見捨てられないのかも知れない。だからこそ、自分のためにあれほど怒ってくれたのだろう。
それでも……やっぱり……。
「……変わった子」
そして、自然と笑みがこぼれた。




