第五話 脅迫と裏垢
放課後、ドッジボールの練習のために体育館の脇に集められた六人の間には、何とも言えない微妙な空気が流れていた。佐藤たちは、決して友香と目を合わせようとはせず、どこか遠くの星でも見つめるような表情で立ち尽くしている。
沈黙を破ったのは田中麻里奈だった。彼女は落ち着かない様子で自分の腕をさすりながら、玲の方へ視線を向ける。
「なあ雨宮。汐見の事なんだけどさ。汐見は運動苦手みたいだし、今回のドッジは復帰のルールも無いって言うしさ。今からでも遅くないからメンバー交代の申請しなよ。汐見的にもその方が良くね?ああ、そうだ!バスケ部の大沢なんてどうだ?アイツが入れば、そこそこ良いとこまでいくだろ……」
「お!マリリン、良いこと言うね~!そうだよ、それが一番確実だと思う」
玲の元お世話係、もとい佐藤めぐみも、同意を求めるように頷く。彼女たちの訴えは、一見すると友香への優しさのようにも聞こえたが、友香の排除を前提としているのは明らかだった。
しかし、玲はそんな彼女たちの提案を笑顔で一蹴した。
「ううん、ダメよ!ダメダメ!友香は絶対に変えない!友香がいなきゃ話にならない。」
田中も負けじと食らいつく。
「じゃあ、せめて外野だろ!最初から最後まで外野ポジで……その方が汐見だって狙われずに済むし、アタシらも動きやすいんだって!」
田中が吐き捨てるように言うと、佐藤たちも賛同する視線を玲に向けた。彼女たちの目には、友香への《《配慮》》を装った、頑なな《《拒絶》》が張り付いていた。
友香はいたたまれなさに肩を落とし、今にも「自分からチームを外れる」と言い出しそうな雰囲気だった。しかし、玲は田中の言葉を遮るように、いっそう深く、慈しむような微笑みを浮かべて首を振った。
「ううん、ダメ。友香はずっと内野。私の隣にいてもらうから」
「は?ぶっちゃけ邪魔だっつってんだけど! 雨宮!仲良しごっこなら他でしろよ!勝ちたくないわけ?」
田中の苛立ちがピークに達し、ついに本音を爆発させる。それに対し、玲はまるで授業の正解を教える教師のような、落ち着いたトーンで答えた。
「逆だよ逆。私は絶対に優勝したいの。それも、水谷瑞希を完膚なきまでに叩き潰してね」
一瞬、六人の間を冷たい沈黙が通り抜けた。田中と佐藤は、玲が何を言ったのか理解できないという顔で固まっている。そして友香も、えっ?という表情で玲を見返す。数秒の後、田中が鼻で笑った。
「ハ、ハハ……瑞希を倒す? 冗談キツいって!あいつらハンドボール部のガチ勢だぞ? 勝てるわけないじゃん。それに、もし決勝まで残れたとしてもさ……」
「そうだよ、雨宮」
佐藤めぐみが田中の言葉を引き継ぎ、諭すような、しかし怯えの混じった声で詰め寄った。
「前にも言ったよね? 瑞希はインフルエンサーなの。うちのクラスだけじゃない、学年中にあいつの取り巻きがいるんだよ。あいつに逆らったら、学校でどうなるか分かってる?」
佐藤は声を潜め、周囲を警戒するように言葉を続けた。
「万が一、瑞希を負かしたりしたら、その後が地獄だよ。だから、たとえ決勝に行ったとしても、そこは空気を読んで『忖度』しなきゃいけないの。同じクラスだしね。優勝なんて、最初から無理な話なんだよ」
彼女たちの主張は、教室という狭い世界の「生存戦略」としては正しかった。瑞希という太陽に焼かれないためには、彼女の影で大人しくしているのが唯一の正解なのだ。
そんな田中と佐藤に対し、玲は少し含んだ笑顔を見せ、二人の背後にゆっくりと回り、二人の肩を鷲掴みする。そして自分に引き寄せ、いつもより低い声で囁く。
「それでも勝ちたいんだよ。ねえ、わかってくれないかなあ?『ポッピンチョ』に『シュガーホープ』?」
田中と佐藤の顔が、一瞬で真っ青になった。思わずのけぞろうとしたが、玲の力が強くて動けない。まるで心臓を直接掴まれたような、絶望的な焦燥がその瞳に浮かんだ。
近くで聞いていた友香が「ポ……ッピン?」と不思議そうに呟くと、今度、田中は顔を真っ赤にしながら、
「そ、その名前を呼ぶな!あんたには関係ないから!」
「え~、田中~?本当に関係ないの~?」
玲が底意地悪い視線を向ける。田中は周囲を気にしながら、悲鳴に近い声を上げた。まるで死刑宣告を受けたかのような悲壮感が漂っている。
「わ、わかった!わかったよ!汐見は内野、それでいい……」
「な、なんで……その名前、雨宮が……」
佐藤めぐみの顔からも、血の気が一気に引いていくのを玲は見逃さない。
佐藤の震える声と裏腹に、玲はしっとりと艶やかな声で返す。
「なんでだろうね~? でもさ、すっごく甘くて素敵な名前じゃない?シュガーホープ。……あ、そうか、『佐藤』で『砂糖』だからシュガー?で、『めぐみ』だからホープ?わっかりやすい!けど、めぐみなら意味的にグレースの方が良いと思うけどなあ、ねえ、どう思う?」
玲は、残る二人の女子、鈴木と伊藤にも視線を移した。それで十分だった。彼女たちもまた、自分がいつ「次の隠語」で呼ばれるかわからない恐怖に支配され、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
「わかった……わかったから。汐見……さんが内野でいいから、だからもう、その話はしない、で……ね?」
暴れ牛をなだめるかの如く、佐藤は細心の注意を払い言葉を選ぶ。
「おお!話が早くて助かる~!みんなもそれでいいよね?」
玲が聞くと、友香以外の四人が同様に小刻みに肩を震わせて、うなずく。
玲は、何事もなかったかのように友香の肩を優しく掴み、再び輝くような笑顔を振りまいた。
「あんた達、ずっと瑞希の事ばっか心配してるけどさ。大丈夫、私の計算では優勝さえできれば、今の状況は絶対に変わる!それに、最後にラスボスを倒すのは友香だよ。楽しみだね!」
玲の問いかけに、佐藤たちは一言も発することができず、ただ人形のように呆然とするしかなかった。
友香と、田中・佐藤ら四人、それまで交わることの無い生活を送っていたが、初めて共通して同じ事を思った。それは玲が何を考えているのか全くわからないと言う事だった。




