第四十八話 林檎クイズ
明星はモデルとなった紅い林檎を手に取ると、ゆらゆらと振りながら言った。
「それでは、突然のクイズです!この林檎は『王林』でしょうか?それとも『トキ』でしょうか?三十秒以内にお答え下さい!」
友香は思わず、堪えきれないように笑い出した。
「……明星さん、王林もトキも、どっちも青リンゴです」
「え?そうなの?じゃあ正解は?」
明星は本気で驚いたようで、逆に友香に聞き返してくる。どうやら元々正解を知らなかったらしい。友香は明星の手の中にある赤い実をじっと見つめ、
「たぶん、『ふじ』じゃないかな?」と、故郷の記憶を辿るように答えた。
「そっか!私、青森出身ではあるけど、林檎の品種、よくわからないんだよね……。じゃあ、今からこの林檎食べよっか!」
「え?」
明星は自分の画材バッグから、肥後守を取り出した。美術室の水道で丁寧に刃を洗うと、
「いつも鉛筆を削るのに使っているんだけどね。でも洗ったから平気平気!」
と笑いながら、鮮やかに皮を剥き始めた。友香はその様子を見て、
「すごく綺麗な剥き方……」と、明星の器用さに感心した。
二人は並んで、剥き立ての林檎を口にした。
「どう?『ふじ』だった?」
「たぶん……。おいしいです」
「おいしいよね。やっぱり青森県産は違うね!……あ、待って。これ、別な県のだ」
切った林檎の残りに貼られた小さなシールを見て、明星が声を上げた。
「スーパーで確かに青森県産を手に取ったと思ったんだけど。隣の林檎だったのかな?あ!でも友香、正解だよ!『ふじ』って書いてる!」
二人の笑い声が、夕暮れの美術室に響き渡る。
「じゃあ、今度は青森産のを持って来ますね。親戚が農家で送ってくれるので」
友香がそう言うと、明星は顔を輝かせた。
「え、本当!楽しみ!」
この他愛ない約束が、友香にとって、明日を生きるための小さな、けれど確かな活力になっていくのだった。
夏休みに入り、友香は、美術部の無い日には美術室で明星と過ごす様になった。
そこでは、絵に関する多くのことについて熱く語り合った。今人気のイラストレーターがどのような色使いで表現しているのかを研究したり、時には、次に来るコンクールへの出品を目指し、お互いの作品にアドバイスを送り合いながら、大きなキャンバスに無心で筆を走らせることもあった。
明星の描き方に、友香は大いに刺激を受けたし、友香が現実をより美しくするために塗り重ねる「嘘」のエッセンスに明星は感嘆した。表現への情熱を分かち合い、感性が混ざり合い、二人の創作意欲はどこまでも加速していった。
そうして絵に関する様々な試行錯誤に没頭していると、校内の喧騒はいつの間にか消え去り、気付けば時計の針は夕刻を大きく回っている。
窓から差し込む茜色の光が、描きかけのキャンバスを赤く、濃く染めていく。片付けをしながら、友香はずっと気になっていたことを口にした。
「……あの、明星さん。なんでこの高校に入ったんですか?明星さんなら、もっと有名な美術科のある高校だって、余裕で入れたはずなのに」
筆を洗っていた明星の手が、一瞬止まった。
明星は少しだけ照れくさそうに笑い、窓の外を眺めた。
「ああ……。まあ、だいたい友香の想像通りだよ。私も、本当は美術系の学校に行きたかったんだ。でもさ、うちは母子家庭で、弟もいるから。
私立の美術科なんて、授業料はともかく、入学金に教材費、画材代、寮費、その他もろもろまで合わせたら、目玉が飛び出しそうになっちゃって。結局、通いやすくて学費も手頃なここしか無かった……って感じ。友香は?」
友香は、自分の手を見つめた。脳裏には、団地の廊下で父から手渡された、くしゃくしゃの五千円札が浮かんでいた。
「……私も、似たような感じです。美術科のある高校に行きたいって言ったら母が良い顔をしなくて……離れて暮らしてる父を頼ってみたこともあったけど結局ダメで。だから、経済的な都合でここを選びました」
「そっか……。私達お互い、無い物ねだりどころか、同じような荷物を背負ってたんだね」
明星はそう言って、友香の肩を優しく叩いた。
「でもね、絶望することないよ。私はこの学校から、大学の美術学部に推薦で行けるように狙ってるんだ。成績さえ維持して、コンクールの実績があれば、上手くいけば推薦枠で行けるかもしれないからさ」
「推薦……!すごいです、明星さん。やっぱり、ちゃんと先を見て頑張ってるんですね」
友香が心底感心したように言うと、明星は「まだ決まったわけじゃないけどね!」と笑い飛ばした。そして、少し真剣な表情になって友香を見つめた。
「あとさ、友香に教えておきたいことがあるんだ。もし家計が苦しくても、美術大学や専門学校には、サポートしてくれる奨学金や給付金の制度がいろいろあるんだよ。
授業料が免除されたり、返さなくていいお金を支援してもらえたりね。だから、お金がないからって夢を諦める必要なんて、全然ないんだから!」
「そんな制度があるなんて……知りませんでした」
友香にとって、それは暗闇の中に差し込んだ一筋の光のような言葉だった。明星はさらに、友香が思いもよらなかった未来の形を語り始めた。
「私は来年、卒業したら一足先に東京に行くつもり。美大に通いながら、バイトして絵を描くんだ。それでさ、友香も高校を卒業したら東京に来なよ!
ルームシェアとかすれば、一人暮らしするよりずっと家賃も浮くし、画材代だって助け合えるでしょ?
二人で一緒に絵を描く生活、楽しそうじゃない?今みたいにお互いの絵をあーだこーだ言ってさ!」
「明星さんと……ルームシェア……」
東京で、二人で絵を描きながら暮らす。そんな選択肢は、これまでの友香の頭には欠片もなかった。だが、明星の屈託のない笑顔を見ていると、それがとても輝かしい「正解」のように思えてくるのだった。
「……はい!私、頑張ります。明星さんと一緒に描けるように!」
友香の瞳に、情熱の炎が灯されたのを確認した明星は、うんうんと頷き微笑んだ。
「そうだ!それなら私達、未来のルームメイトになるわけだから、そろそろ友香も私を『明星』って呼んでもらわないと!」
「え?明星さんを?」
「あ!また『さん』付けして~!まあ、学校ではさすがに言いにくいだろうから、せめて私達二人の時くらいは……ね!?」
そう言うと、明星は友香に何か期待するような瞳で見つめた。
「わ、わかりました……あ、明星!」
「オッケー!友香!」
二人は笑い合った。




