第四十話 痕跡
玲は友香の家の前にたどり着き、即座にインターホンを鳴らす。
何度もしつこく鳴らした結果、ようやく友香の母親が開けた。
「お母さん、友香はいますか?」
質問と同時に、玲は強引に上がり込んだ。
「ちょっと、玲ちゃん!友香はまだ帰ってないのよ!」
そう言って引き留める母親を無視して、玲は友香の部屋がある二階へ進む。
後ろで「夜分遅くすみません。お邪魔します」と言うあかりの声が聞こえた。
階段を上った廊下のすぐ左。友香の部屋のドアに手をかける。鍵が掛かっている。
「友香!玲だよ!開けて!」
数秒待つが、返事は無い。
「あかり、このドアは?開く?」
「うん、これは簡易的な仕組みだからね。こうするんだよ」
あかりは玲に耳打ちをする。小さく二回頷いた玲は、手早く鞄からクリップを持ち出した。
ものの数秒で、ドアは綺麗に開いた。
「友香!」
そこには誰もいなかった。ただ、窓は開けっぱなしで、カーテンが雨風に大きく揺れている。
玲は部屋に入った。その時、机の上の一枚の絵が目に入った。描きかけだった。
その小さなスケッチブックの中には一人の少女がいた。その少女には、得体の知れない黒い影が覆いかぶさるように重なっていた。輪郭が滲み、まるで少女を飲み込もうとしているような、暗くて重たい絵だった。
——この少女は……友香だ!
直感でそう思った。玲の胸に嫌な確信が広がりつつある。
そして、この黒い影は瑞希なのか?それともあかりなのか?どちらにせよ、友香はずっと一人でこれと対峙していたのか。だから笑えなくなって、だから連絡も断って、だから——
「玲ちゃん、窓から何か見えない?」 あかりが静かに言う。
玲は窓に近づき、濡れた地面を見下ろした。
一瞬だが、街灯の向こうで人影が走り去った様に見える。
「あれ友香かも!行こう!あかり!」
そう言って玲が部屋を出ようとした時だった。
「玲ちゃん、瑞希ちゃんの端末の反応がまだここから感じる」
あかりが言う。
「え?」
玲は友香の部屋をぐるりと見廻す。そして友香の机の引き出しを無造作に開けていく。
すると、一台の黒いスマホを見つけた。
「あ、それだよ!玲ちゃん!」
玲はそのスマホを持ってみる。
派手好きな瑞希にしては何もデコってない、もの凄くシンプルなスマホだ。
「これを……何で友香が持ってるの?」
考えても答えは出ない。仕方無く、電源を入れてみるとパスワード認証画面が出た。
「あかり、瑞希の誕生日は?」
「十一月二九日だよ」
「1・1・2・9、それって今日じゃん…」
玲は数字を打ち込んだが画面は切り替わらない。
「そこまで単純じゃないか…」
あまり時間が無い中、このスマホだけに時間を取られるわけにもいかない。
かと言って、ここから何らかの情報が流れている以上、無視するわけにもいかない。
「あかり、このスマホの機種が防水かどうか、ちょっと調べてくれる?」
「それは防水じゃないよ」
一秒も経たずにあかりが即答する。
「わかった」
玲はそのスマホをポケットにしまう。そして階段を降り、廊下を抜け、玄関を出た。
後ろから、あかりが「お邪魔しました」と言う声が聞こえた。
冷たい雨が、容赦なく玲の顔と制服を打つ。ふと横を見れば、豪雨で溢れかえらんばかりの用水路が、泥水を撒き散らしながら轟々《ごうごう》と唸りを上げていた。
玲は瑞希のスマホを取り出し、ゴミ同然に用水路に放り投げた。
「あ、瑞希ちゃんの発信が止まった……」
「それは良かった……ねえ、もう一度友香を探せる?」
あかりが困った顔を見せる。
「うーん、まだ無理みたいだね。モバイル通信の方をオフにしてる可能性があるかもね」
「そっか…、じゃあ、あかりの番号を使ってみようか?」
「え?」
「いいよね?」
玲の提案に、あかりはうなずいた。しばらくの沈黙の後「繋がったよ!」と言ったので、玲はそのスマホを耳に当てた。
「友香!友香!私、玲!どこにいるの?」
「玲……?」
静寂の向こうに、吐息の音がした。友香は生きている!それだけで少しホッとする。
「今、友香を探してるんだよ!ねえ、どこにいるか教えて!!」
「あかり……、あかりは?」
友香の声が、玲の質問を通り過ぎる。だが玲にも答える余裕は無い。
「今そっちに行くから!どこにいるの?お願い、教えて!」
その時だった。友香の声のトーンが変わった。
「うそ……嫌、返して……返して……」
「え、友香?何?返してって何?そこに誰かいるの!?」
「お願い、返して……私の……私の……」
友香との会話がまるで噛み合わない。
「友香?友香?」
ガシャン!!
金属的な大きな音が響き、思わずスマホを耳から離す。何が起きているのかはわからないが、友香に何か起きたのは確実だった。
離していたスマホをもう一度耳に当てる。
「友香!友香!」
返事はなく、電話の向こうでガン!ガン!と何かが衝突する音がした後、すぐに切れた。こちらから何度かけ直しても、友香はもう出る事はなかった。
「また……あかりの事言ってた」
そう言って玲はあかりを睨み付ける。
「ねえ、何がどうなってるの?」
「今は、友香ちゃんを見つける事が最優先じゃない?」
玲はあかりに無表情に答える。玲もあかりから視線を外さずに言う。
「そう……だね。でも、もし、友香に何かあった場合は。その時はもうあかりを許さない」
玲は唇を噛みしめる。ごめん、友香、今は何もできない。
しかし何も手立てが無いわけじゃない。今の最優先は、まず瑞希だ。あかりはその次でいい。手遅れになる前に、友香を見つける事さえできれば、まだ可能性はある。玲はポケットに手を入れ、中に入っている御守りを強く握りしめた。
「あかり、緊急で応援を頼もう」
玲は焦りに突き動かされるまま、最後の手段を使う事を促した。
あかりは「わかった」と短く応じると、SNSのプラットフォームを介して、この周辺の居住者へ一斉にメッセージを送信した。
『緊急! この人を探してます。見かけませんでしたか?』
返事を待つ間、玲のスマートフォンには様々な情報が飛び交い始めた。しかし、情報の濁流は期待したほどの結果をすぐにはもたらさない。目撃証言はあやふやで、場所も時間もまちまちだ。刻一刻と過ぎていく時間に、玲の顔には隠しようのない苛立ちが募っていく。
「玲ちゃん、友香ちゃんの服装は?」
あかりの冷静な問いかけに、玲は感情を爆発させるように答えた。
「……おそらく制服!」
「根拠を教えてくれるかな?」
あかりが再度、焦りなく尋ねる。玲がため息をつきながら説明する。
「友香の部屋の制服専用のハンガーに何も掛かってなかった。さっきクローゼットの中も探したけど、制服だけ無かった」
「お洗濯している可能性はないの?」
「洗濯機の中は空っぽだった」
「クリーニングに出してる可能性は?」
「瑞希との事故で、制服は二着ある内の一着が駄目になってる。だから平日にクリーニングに出す確率は極めて低い。着ていくものが無くなるからね。まだ月曜だし」
「了解、さすが玲ちゃんだね」
そういうと、あかりはまた情報の収集に専念する。すると、
「やっぱり、この情報が一番信憑性が高いな」
「え?どこ?」
玲があかりに迫る。
「吠崎トンネルの近くで友香ちゃんに似た人を見かけた人が数人いる」
「……吠崎トンネル?どこにあるの?」
「ここからだとちょっと遠いね。約一・五キロといったところかな。」
「わかった、案内して」
玲は重く黒い傘を握り直し、あかりと共に夜の闇を裂くようにして走り出す。
そして、玲はトンネルの前へと到着したのだった。




