第三十九話 妨害
地震の余韻が残る教室は、机の下から這い出してきた生徒たちの動揺でざわついていた。だが、玲の意識はすでにその喧騒の外側にあった。
玲は教室中を、そして廊下を血眼になって探すが、どこにも見つけることはできなかった。脳裏に焼き付いているのは、友香が最後に放った、およそ人間が出すものとは思えないおぞましい咆哮。
——理解できない、理解しちゃいけない、霊界の言葉……
玲は、灰島司が電車の中で語っていた事を思い出す。もしも、あれが事実ならば、友香の体や心を乗っ取る「第二段階」が完了しつつあるのかも知れない。
しくじった……。昨日、司が言っていた言葉。今、玲自身もそう思った。自責の念が胸を激しく締め付ける。今が、今こそ、あの御守りを使う最大のチャンスだったのではなかったのか?しかし、友香はもう、いない。
後悔で動けなくなりそうな自分を奮い立たせ、玲は渡り廊下を駆け抜け、二年七組の教室へと向かった。 教室内は先ほどの地震のせいで、まだちゃんとした授業が行える状態ではなく、生徒たちが勝手に席を立って騒ぎ合っていた。
教室をざっと見た感じは、灰島司の姿は見当たらなかった。玲は教室内に入り込み、以前、田中が声を掛けた、派手な身なりの女生徒、美愛羅に詰め寄った。
「灰島司くんは? どこにいるの?」
美愛羅は、血相を変えた玲の表情に一瞬たじろいだが、すぐに面倒そうに首を振った。
「灰島? ああ、あいつ当分来ないよ」
「当分?」
「なんかさ、昨日、車にはねられたんだって。今は意識不明の重体らしいよ……」
玲の指先が、小刻みに震え出した。 昨日の美術館での別れ際、司が見せていたあの異常なまでの怯え方は、ただ事ではなかった。
彼は何かに気づき、そして……友香にやられたのだろうか?田中も、佐藤もいない。そして友香の変貌の後の地震。これらは全て偶然なのだろうか?玲が考えあぐねているその時だった。
「雨宮!君は二組に帰りなさい」
授業をするために、国語の先生が入ってきた。玲の担任の大谷だった。騒がしかった教室が一気に現実に引き戻される。司がいない以上、玲としてもここにいる意味は無い。言われるがまま、操り人形のように自分の教室へと歩き出した。
玲はポケットの中の群青色の御守りを取り出し、見つめる。司が、意識不明の重体。ポケットの中の変成石が、じっとりと熱を帯びているようにも思えた。もはや友香を救い出せるのは自分しかいないのかも知れない。
玲は二組の教室に戻ったが、案の定友香はいなかった。その机には筆記用具やノートが無造作に散らばっている。
玲は力なく自分の席に座った。
——友香が教室に戻ってくるかも?
一縷の望みをかけて、ここで待つべきかも知れない。
——友香はもう戻ってこないかも?
今、教室を出て探し回るべきか?でも闇雲に探してもきっと見つからないだろう…
そんな葛藤が玲の脳内を暴れ回り、決断ができない。
結局、玲は動けぬままでいた。五時間目の授業がどう行われ、どう終わったのか、玲の記憶には一切残っていなかった。
<友香?今どこにいるの?>
机の下でスマートフォンを握りしめ、友香に向け何度も送信するが、既読は一つも付かない。
ただ時間だけが、玲の焦燥感を置き去りにして、無慈悲に過ぎていった。
気付けば、放課後のチャイムが鳴っていた。
友香の机の上はそのままになっていて、異変に気付いた担任の大谷が早めに帰りのホームルームを切り上げ、足早に教室を出る。玲は友香が残したものをとりあえず机の中にしまいこんだ。
冬の日の入りは短い。校舎の外へと出ると、雨が再び降り出していた。雨雲はすでに薄気味悪い濃厚な紺色に染まり、冷たい夜の帳が街を包み込もうとしていた。
玲は家路を急ぐ生徒たちの波に逆らうように、冷え切った街の灯りの中を一人、黒い傘を開いて歩き出す。
「……大変なことになっちゃったね、玲ちゃん」
暗闇の中、あかりの声がすぐ玲の真後ろで聞こえた。
玲はため息を一つつき、そして振り返りもせずあかりに尋ねた。
「友香は今どこにいるの?」
「ちょっと待ってね。探してみるから」
玲はそのままあかりを待つ。しかし、いつもの様な即答は無い。
「どうしたの?あかり?」
待ちきれず振り返る。あかりは玲の問いには答えず、頬に手を当て、じっと考え込んでいる。ようやく口を開いたのは、二分ほど経過した後だった。
「可能性のある場所が百八十三箇所あるね……」
「そんなに?そこから絞れないの?」
あかりの動きが目に見えて鈍くなる。
「うーん、そこからは絞れないな。意図的に邪魔されてるみたいだから……」
その声には、いつもの明るさはなく、冷徹な分析の色が混じっている
「邪魔されてる? 誰に?」
玲が聞き返す。
「…………」
「あかり!答えて!」
「これは……瑞希ちゃんだね」
「え?」
玲の思考が凍りつく。あかりはさらに続ける。
「瑞希ちゃんの端末から、ネットワークが今、どんどん復活しているね。何かいろいろな情報を投稿してるみたいだけど。こっちの方は発信源を辿れるよ……これは……友香ちゃんの家付近を示してるね」
友香の家から瑞希の端末で情報が発信されている? なぜ?どうやって?
瑞希は死んだはずだ。普通なら死人が何か情報を発信するなんてありえない。だが、それは玲の中で、一つの答えを明確に示していた。
瑞希は死してなお友香を呪い、心と体を乗っ取り、強大な「残滓」として存在しようとしている事を。
——間に合うはずだ!まだ、間に合うはずだ!
すぐにでも友香の家に行きたい気持ちを抑え、玲にはどうしてもあかりに問わなければならない事があった。
「一つ確認させて、あかり……あかりはもう二度と友香を苦しめないんだよね?」
「昨日、玲ちゃんに見つかったからね……」
言い回しが、どことなく挑発している様にも感じる。
玲は再度質問を重ねる。
「あかりは、これからも私のそばに居てくれるんだよね。」
「それはもちろんだよ!」
「じゃあ、今はあかりを信じる。とりあえず私は瑞希と決着をつけたいから、その邪魔はしないで!」
「それはもちろんだよ!」
あかりが機械的に返答をした。玲もひとまず納得した様に頷く。
そして再度、御守りを握りしめた後、玲はあかりを見つめた。
「あかり、友香の家に行こう……」
「友香ちゃん、大丈夫かな?」
「大丈夫じゃ無いから行くんだよ!」
玲とあかりはそのまま走り出した。




