第三十八話 絶叫
翌日、その日は朝から玲は鉛のような気怠さを感じていた。そして、それに呼応するような雨が、ずっと降り続いていた。
灰島司から手渡された群青色の御守り。それを手にした瞬間から、指先を通して何かが吸い取られるような、あるいは異質な重みが体内に沈殿していくような、言いようのない不快感が続いていた。
精神的なものなのか、それともこの御守りの中にあると言う「変成石」がもたらす反動なのか。
下腹部には鈍い痛みが走り、鏡に映る自分の顔はどこか血色が悪かった。どうしても朝から登校する気力が起きず、玲は半日をベッドの中で過ごした。
ようやく玲が友香から借りっぱなしだった黒い傘を開き、自宅を出たのはお昼を過ぎた頃だった。
御守りが制服のポケットにあるのを確認し、玲は教室のドアを開けた。
そこには奇妙な静寂が漂っていた。授業開始のチャイムが鳴ろうとしているのに、いつも友香の周りにいるはずの田中も佐藤もいない。
友香はただ一人、窓際の席に座って、雨の降り続いてる虚空を凝視していた。
玲は吸い寄せられるように、その席へと近づいた。
「おはよう、友香……ってもう昼か!」
玲は一人おどけてみるが、友香からの返事は無い。ピクリとも動かず窓を見続けている。
「ねえ友香、ポッピンとかシュガーはどうしたのかな?ちょっといないみたいだけど……」
玲の問いかけに対し、やはり友香は反応しない。微動だにせず、玲の声など聞こえていないかのように沈黙を貫いている。玲の中の何かが切れる。
「お願い、私を無視しないで!前に、無視された人の気持ちがわかるって私に言ってたよね!何か言ってよ。私に話して!」
感情的な言葉にも、友香は全く反応しない。でも玲はそれが友香の演技であると知っている。公園で聞いた友香の言葉を思い出す。
——もうこれ以上、友達を巻き込みたくないの。
玲は少し深呼吸をして、もう一度、笑顔を整える。
「友香、私、分かってるんだ……。もう、無理しなくていいんだよ」
その瞬間、友香の体がピクリと動くのがわかった。玲は声を潜め、慈しむような、それでいて確信に満ちたトーンで言葉を継いだ。
「私、気づいたことがある。友香に憑いているのは……瑞希だけじゃなかった」
友香の背中の動きに、目に見えて動揺が走っている。
「……あかり」
玲の言葉に、友香がゆっくりと振り向き、驚愕の表情を見せる。
「友香には……あかりがまとわりついていたんだ。ずっと友香を苦しめていたのは、あかりだった!」
そう口にした瞬間、友香の目がこれ以上無いほどに見開き、玲を凝視し続けた。
「でも安心して!もう、あかりは私が友香の前には絶対に現れさせないから!」
玲の言葉を聞いた後、友香は震える両手で顔を覆うと、その場に崩れ落ち、
ア、アア、アアアアア……
と、声を出して泣き出した。
「大変だったね、辛かったね……。ずっと一人で頑張ってたんだね。」
玲は身を乗り出し、うずくまる友香の肩へと手を伸ばした。その時だった。
パシン!
友香は顔を覆っていた手を離し、かつてない激しさで玲の手を弾き飛ばした。 前とは違い、痛みを感じるくらいに。そして友香は、玲をこれ以上無いほどに睨みつける。その眼光は鋭く、狂気を帯び、およそ友香のものとは思えないほど凄惨な形相へと変貌していた。
「ワとバチョすナあアアああアあーーーーーー!!!!」
不可解な叫び、あるいは言語の体を成していない、怒気に溢れた絶叫が、静まり返った教室を震わせた。驚愕に目を見開く玲。そして、周囲のクラスメイトたちも、異様な事態に息を呑んで友香を凝視する。
その直後だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
地底から響くような地鳴りとともに、教室全体が激しく揺れ始めた。
「じ、地震だあああ!」
誰かの悲鳴が上がる。窓ガラスが激しくガタガタと鳴り響く中、クラスメイトたちは一斉に机の下へと潜り込んでいく。玲は、突然の衝撃に揺れる天井と、ひび割れそうな窓に視線を向けた。それは、ほんの一瞬の確認に過ぎなかったはずだった。
揺れはすぐに収まり、辺りに静寂が戻る。 そして玲が視線を戻した時、目の前にいたはずの友香の姿は、どこにも無くなっていた。




