第三十六話 見られた!?
友香は展示室の様々な彫刻や絵画、美術品をゆっくりと時間をかけて見て回っていた。玲と司は、鑑賞客の群れに紛れながら、つかず離れずの距離を保って彼女を観察し続ける。
やがて、友香はメインの大展示室を離れていく。そして、別室のこじんまりとしたミニギャラリーに飾られた、ある一点の絵画の前で足を止めた。
それは、柔らかな光の粒子が何層にも重なり合ったような、深い透明感を持つ絵画だった。
友香はじっとその絵を見つめていたが、玲の目には彼女の唇が小刻みに動いているのが見えた。
「友香……絵の前で何か喋ってない? 」
「ああ、確かに。でも、友香ちゃんの周りには誰もいなそうだけど……」
司がそう言うと、玲はしばらく考えた後、足を踏み出す。
「ちょっと近くに寄ってみる。何を言っているのか、こっそり聞いてくる」
隣にいた司が慌てて、玲の前に腕を出す。
「雨宮さん!待てって!今度は絶対にバレるって!あの辺り、あんまり人いないし!めちゃくちゃ目立っちゃうって!」
すると、玲は無言のままバッグから何かを取り出し、手際よく顔に装着し始めた。
それは、普段の彼女からは想像もつかないような細淵のメガネと、顔の半分を覆う白いマスクだった。
「これでどう?」
それまでとは別人のような雰囲気を纏った玲の姿に、司は呆然として呟いた。
「……これは……激レアだ!」
「じゃ、行ってくる」
なるべく友香を見ないようにしながら、他人のふりをして慎重に近づく。背後では、司が柱の陰から、張り詰めた面持ちで行く末を見守っている。
玲は、友香がその絵画を見つめている間に、気付かれずに死角に回り込んだ。
耳を澄ませ、彼女が小さく動かしている唇から漏れる言葉を拾おうとする。しかし、周囲の鑑賞客の足音や話し声に掻き消され、決定的な一言が聞き取れない。
そんな折、何らかの違和感を玲の視線が捕らえた。玲が何度か小さく頷いた。
「……そういう事か、あかり」
玲は、得心したように呟いた。
不意に、館内の空気が騒がしくなった。インカムをつけた数人の美術館職員が何か焦った様子で、友香が凝視していた絵画に足早に近づいてきた。
玲は空気の変化を敏感に察知し、その場を静かに離れ司の元に戻る。
「雨宮さん、友香ちゃん、何を言ってるか聞き取れた?」
司が柱からひょっこり顔を出した。
「聞き取れなかった……」
「そうか……」
「それよりさ、何かあっちに動きがあるみたいだから戻って来たんだけど……」
司と玲が目を凝らしてみると、職員達が絵画を慌ただしい手つきで、壁から取り外して移動し始めた。
やがて職員が自分たちの仕事を終え立ち去ると、そこは不自然な四角い空白が取り残されていた。
しかし、友香はその空欄になったギャラリーを、まるでまだそこに何かが存在するかのように、いつまでも、いつまでも凝視し続けていた。
バタン、と重い何かが倒れる音が響いたのは、その直後だった。
「……きゃあああ!」
短い悲鳴が上がり、人混みが一気にざわめき出す。司と玲が反射的に音のした方へ視線を向ける。最初、友香が倒れたのかと思ったが、音は微妙に方向がズレている。
視線を戻すと、両肩を激しく震わせている友香の背中があった。怒りに震えているのか、あるいは狂気的な笑いを堪えているのか、遠目からでは判別がつかない。
その瞬間、友香がキッと、貫くような鋭さで振り返った。
友香の視線は、司と玲が潜んでいる場所を正確に捉えていた。司の背筋が凍り付く。
「……見ら、れた?」
友香はそのまま、二人がいる方向に向かって来る。司の直感が、玲の手を強引に掴む。
「……逃げるぞ!」
「え?ちょ……!」
司は騒ぎに紛れて美術館の出口へと走り出した。




