第二十八話 残滓(ざんし)と遺光(いこう)
昼休み、校舎の屋上は季節的にも少し冷え込んでいたが、快晴で日差しが心地好かった。金網フェンスに背を預けて待つ玲と田中。古びて色あせた長ベンチに腰掛けている佐藤。三人の前に、気だるげな足取りで灰島司がやってきた。
「で、話って何だよ?」
司は後頭部を掻きながら問いかけた。
「ウチのクラスでさ、汐見友香ってのがいるんだけど、そいつがなんか、ちょっと変なんだ」
昨日の出来事からショックが拭いきれない玲の代わりに、まずは田中が切り出した。
「変?」
「ああ。この前亡くなった水谷瑞希っているだろ? あいつの席にわざわざ座りに行ったり、突然『瑞希ちゃんは生きてる』なんて何度も何度も言い出したりさ……」
「もともとそういう子とかじゃなく?ほら、いるだろ?なんか、不思議なんたら系みたいな」
司の軽い問いに、田中は即座に「いや」と首を振った。
「普段は大人しくて、人に気遣える、とても優しい子なの」
玲が静かに、しかしはっきりとした口調で言葉を添えた。
「なんだけど……昨日、友香が突然、この雨宮のことを階段から突き落とそうとしたんだ」
「げ、マジで?それヤバくね?」
司の目が驚きで丸くなった。そして視線を玲の方に向ける。
「普段の友香なら、そんな事、絶対しない。……絶対に」
玲は無意識に、自分を傷つけようとしたはずの友香のフォローに回っていた。
「なるほどな。で、俺にその友香ちゃん……だっけ? その子を霊視してもらいたいわけか……何かに取り憑かれてんじゃないか?と……」
「できるか? なんなら今日にでも友香の家にお邪魔して、チャチャチャっと見てもらいたいんだけど」
田中の性急な提案に、司は、
「ちょ、待て待て待て! すぐには無理だよ!」と、大袈裟に手を振って制止した。
「え? なんで?」
「準備ってもんがあるんだよ……。霊視ってさ、田中が思ってるほど単純な作業じゃなくて、結構リスクあんのよ。よく言うだろ?
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている』って」
「何だよ、それ?」
「あ~、霊視すると見られた霊もこっちに気付くよって事!
そんで、もしそいつが悪霊だったりしたら最悪!って事だよ。
だから、もしもその友香ちゃんがマジでヤバいのに取り憑かれてたら、こっちまで『残滓』の影響受けまくりだから、前もっての準備が必要なんだって!」
「残滓?」
聞き慣れない言葉に会話が止まる。司は、
「ああ……そっか、そこからか。そうだよな……」と、ひとりごちた後、説明を始めた。
「簡単に言うと、残滓は人に悪い影響を及ぼす霊的なものの総称だ。
例えばさ、スッゲェ臭い生ゴミの入った袋を密閉された部屋に置いといてさ、五分間放置したとするだろ?
そして、そのゴミ袋を外に持ち出した後、すぐに誰かがその部屋に入ってきたら、その人はどう感じる?」
「そりゃ、直後ならニオイが残ってるから不快な気分になるだろ……」
田中が答える。
「だよな?その本体はすでに存在しないのに、残留物みたいなのがそこにいる人に悪影響を及ぼす。
そういったものを、俺らの界隈では『残滓』って呼んでる。
で、その残滓を多く撒き散らす霊が『悪霊』ってワケだ。
ちなみに悪霊の本体そのものは、そこまで害があるわけじゃない。普通の霊と一緒。あくまでもやっかいなのがこの残滓なんだ……」
「なるほどな、そこまではわかる。」
「で、話は友香ちゃんに戻るけどさ。
もし『悪霊』が絡んでる可能性がある人を霊視する時は、ある程度距離を離れて、ゆっくり時間を掛けて、そいつを刺激しないように、気付かれないように霊視しないと、こっちが残滓を吐き出されてやられちゃうんだ。」
「そういうものなの?」
「ああ、普通の霊なら多少強引にやっても全然大丈夫なんだけどな、万が一を考えてやるなら最低五時間は遠くから見れる状態が必要なんだ。」
「そんなに掛かるのかよ?」
田中が驚く。
「それ以上早めると、霊に見つかりやすい。」
「遠くってどれくらいの距離が必要なの?」
「十メートルとか十五メートルくらいかな?」
「学校だと無理っぽいね。二組と七組じゃ離れすぎてるし、壁もある。それに五時間も友香を見れる場所なんてないよね?」
玲が言うと田中も頷く。
「そうだな、そうなると、やっぱり友香の家じゃないと無理かもなあ」
「いや、家はダメだ。対象との距離が近すぎる。直接対面してどうすんだよ!」
「そうじゃなくてさ。お前がどこかの木に登って、双眼鏡で友香の部屋をずっと監視してればいいんじゃね?」
「悪霊以前に俺が警察捕まるわ!それに家ってのは、いわば霊の『ナワバリ』だ。
もしも瑞希ってやつの霊が、友香ちゃんに完全に根付いてるとしたら、不用意に近づいた瞬間に察知されて残滓を吐かれる。そうなったら、たちどころにやられちゃうんだ。」
「え?友香に近づくなって事?学校でも?」
「極力その方がいいんだけど……」
「それはできない。友香をひとりぼっちにはさせない。」
玲が毅然と答える。
「だよな……。まあ学校では普通に付き合って大丈夫だろ。」
「なんで?」
「霊ってのは友香ちゃんだけじゃなくて、色々な人にも憑いてるもんなんだ。
残滓とは反対にさ、霊的なものには人に良い影響を与えるものもあるんだ。
それを俺は『遺光』って呼んでる。
これも例えばだけど、スッゲェいい香水をつけたスッゲェ綺麗なお姉さんが部屋に入ったとする。
で、また五分程そこにいて部屋を出たとする。本人はもうそこにいないのに、香水の香りはしばらく残る。
で、その後に別の誰かが入ってきて、その残り香を嗅いだら、なんかいい気分になるだろ?」
「ならねーよ!いつもそんな事考えてるのか?このド変態が!」
「いやいや!例えだから!」
「私はな、頭痛くなるようなキッツい香水の匂いが大嫌いなんだよ!」
「いや、知らねーし!」
「それにその部屋!ついさっきまで生ゴミ置いてただろ!キッツい香水まで混ざったら最悪だろうが!全部残滓だ!そんなもん!」
「例えを混ぜるなよ!」
「あ~、ちょちょちょ!ポッピンも灰島くんもストップ!ストップ!」
佐藤がたまりかねて間に入る。二人は言い争いを中断したが、その後も司の「ポッピン?」、田中の「うるせー」などの場外乱闘があった。




