第二十五話 学校の階段
大事を取って玲と田中は、ややぐったりとした友香の両肩を支えるようにして保健室へ連れて行く。
「ああ、ごめん、大丈夫。後は一人で歩けるよ」
友香が両隣の玲と田中に向けて言う。しかし、荒い呼吸がだいぶ多い。
「まだちょっとフラついてるぞ、お前、本当は今日相当無理して来ただろ……」
田中の言葉に、友香は少し視線を下ろした。
玲は友香の青白い頬を何度も覗き込み、その手をしっかりと掴んでいた。
保健室にたどり着くと、保健医は開口一番、
「授業が始まるから、あなたたちは汐見さんを置いて教室に戻りなさい」
その言葉に、玲は眉をひそめて反論しようとした。
「いいから行くぞ、雨宮。それじゃ先生、お願いしま~す!」
こうなる事を予想していた田中は、素早く玲の背中を押し保健室を後にする。この頃には、田中もだいぶ玲の扱い方に慣れていた様だった。
友香が再び教室のドアを開けたのは、午後の授業が始まった頃だった。
「汐見さん。もう大丈夫なの?」
教壇の教師が気遣う様に声をかけると、友香は教室全体を見渡すようにして、深く頭を下げた。
「はい。お騒がせしました。……もう、大丈夫です」
友香が自分の席に戻る際、クラスメイトたちは一様に息を呑み、彼女の動線を追った。しかし今度は、真っ直ぐに自分の椅子に腰を下ろした。
湯沢は、友香が教室に入ってきた瞬間から、机に額を擦り付けるようにして俯いている。決して友香の方を見ようとはせず、極力息を殺して、自分の存在を悟らせない様に見えた。
それからの友香は朝の出来事がウソかと思うほど、いつもの穏やかな彼女に戻って過ごした。授業中も、休み時間の何気ない会話にも不自然な点はなく、昼を過ぎる頃には教室に漂っていたあの禍々《まがまが》しい空気も、日常の喧騒の中に忘れ去られつつあった。
田中や佐藤も、胸の奥に拭いきれない不安を抱えながらも、目の前の「普通」の友香に安堵の息を漏らしていた。
そんな放課後のことだった。
多くの生徒たちが帰路につき、あるいは部活動の準備のために校庭や体育館へと散っていく中、玲は職員室での用事を済ませて一人教室へ戻ろうとしていた。二階の階段に差し掛かり、一段目を下りようとした、その時だった。
「雨宮ああああ!!」
静まり返った廊下に、絶叫が轟いた。
驚いて声のする方を向くと、遠くからユニフォーム姿の田中が顔を真っ赤にして、なりふり構わずこちらへ猛ダッシュしてくるのが見えた。必死な形相で何か叫んでいるが声が大きすぎて、逆に何を言っているのかわからない。
「ポッピン、何?」と言いかけ、ふと玲が背後に気配を感じて振り返ると、真後ろに友香が佇んでいた。
友香は両手のひらを真っ直ぐ前に突き出した姿勢で固まっている。
「友香……?」玲は友香を見つめる。
「あれ……私、私、今、何を……?」
友香は自分の突き出した両手を見つめ、ハッとした様子で戸惑いの色を浮かべた。まるで今、この瞬間に深い眠りから覚めたかのように、自分の行動の意味を理解できずにいる様だった。
「玲……あ、ごめん、そんな、私……」
友香の顔から一気に血の気が引いていく。彼女は泣き出しそうな表情で、言い訳を口にすることさえできず、ただ足早に階段を駆け下りて逃げ去っていった。その震える背中に、玲は声をかけることすらできなかった。
「ハア、ハア、おい、雨宮!大丈夫か!?今、今、友香が……お前のこと突き落とそうとしたように見えた……!」
たどり着いた田中が、肩で激しく息をしながら、震える指で階段の下を指した。田中の目には、親友による殺意の瞬間が、疑いようのない事実として焼き付いていた。
「いや、違う、違うよ……。友香が……そんなこと……するはずないじゃん……」
玲は静かに答えたが、その表情には逃げ場のない悲壮感が混じっていた。




