第二十四話 異変
「と、ところで……友香、入院中、飯どうしてた?病院食はまずいってよく聞くけど」
田中が努めて明るい声で切り出した。
「うーん、最初は全然食べられなかったけど、後半は慣れてきてそこそこ食べてた」
「そっか。まあ、ちゃんと食べれてたなら良かったよ」
いつもとは違う、どこかぎこちない会話に、田中は視線を少し泳がせる。
「あ、そうだ!授業のノート、取っておいたよ」
助け船とばかりに、佐藤が鞄からルーズリーフの束を取り出し、友香の机に置いた。
「ありがとう、すごく助かる。あ、そう言えば……」
友香が周囲を観察しながら話を続ける。
「なんか、クラスの雰囲気が変わった感じがするね。」
「ま、まあ確かにそうかもなあ……瑞希がいなくなってから……」
田中が瑞希の名を出した瞬間、佐藤が田中の腕をひっぱり睨み付ける。
——その話は無し!友香はまだ知らないんだってば!と言う表情を見せる。
田中も、あ!と声を出さずに口を開けた。友香は、まるで初めて聞く言葉を咀嚼するように、ゆっくりと聞き返した。
「瑞希……ちゃんが、いない……?」
玲たち三人は黙り込み、視線を逸らした。
だが、友香はうつろな瞳のまま、教室の後方を指差した。
「なんだ、ポッピン……冗談言ったんだね。ビックリしちゃったよ。瑞希ちゃん、今日も学校に来てるよ。……ほら、あそこで笑ってる」
彼女が指差したのは、主を失ったままの瑞希の空席だった。
驚いて三人は瑞希がいた席を振り返る。当然、誰も座ってない。
「ちょ、友香、おまえの冗談、さっきからキツいって!あそこには誰も……」
田中が引きつった笑いを浮かべて否定しようとしたが、佐藤がその袖を強く引っ張って制止した。
「田中、やめて。友香は、嘘をつくタイプじゃない」
「え……じゃあ、何なんだよ?」
「それは……わからないけど……」
田中と佐藤が息を呑み、クラスメイト達がひそひそ話をし出したその時だった。
自分の机をバンッと渾身の力で叩きつけた後、友香に近づく人影があった。
「いい加減にしてくれる!?」
同じクラスの湯沢だった。瑞希の親友だった彼女は、顔を紅潮させていた。そして、怒りを込めた足取りで友香へと詰め寄る。
「聞くに堪えないんだけど!ねえ、あんた、どこまで瑞希を侮辱すれば気が済むわけ!?誰も言わないから私が言うけど、瑞希を殺したのはあんたでしょ!ドッジボールで追い詰めて、SNSで晒し者にして……瑞希はもう、死んだの!この世にはいないんだよ!」
湯沢の怒号が、閉ざされた教室に響き渡る。
「おい、湯沢!友香はまだ病み上がりだぞ!それに何言ってんだ!」
田中が立ち上がり、佐藤も湯沢を制止しようと手を伸ばすが、湯沢の激昂は止まらない。
「うるさい!あんた達も同罪じゃない!瑞希が、瑞希がどんな思いで……!」
「……湯沢」
玲が口を開いた途端、クラスメイト達が次々と口を閉じ、沈黙が生まれた。
湯沢自身も玲を見て、やや焦りの顔を見せる。そう、今の友香には玲がついているのだ……。
「ねえ、大きな声を出さないでよ。友香が怖がってるでしょ……」
玲が、友香と湯沢の間に割り入る。その口調はあくまで穏やかだが、湯沢に対し汚物を見るような目をしている。
「瑞希が亡くなったのは、あんたにとって本当に悲しいことかも知れないね。でも『殺した』なんて、人聞きの悪いこと言わないでくれる?
私たちはただ、ドッジボールという学校の行事に正々堂々と参加しただけ! そして勝つための努力をしただけ!裏アカの内容が広まったのを私たちのせいにされても困るな。
他の人に知られたらヤバくなるような情報を、ネット上に置いてたのは瑞希自身……だよね?それはただの『自業自得』って言うんじゃないのかな?」
「は?自業自得?なんでそんなヒドい事が言えるの?瑞希はねえ!!」
「ヒドい?どっちが?あの時、友香は瑞希を助けようとしてた。飛び降りる瑞希を受け止めようとしたんだよ。あんたにそれができた?できるわけないよね?
それなのに瑞希が飛び降りなんかしたせいで、アイツは逆に私の親友の命まで奪っていくとこだった!そっちの方がヒドくない?死んだからってその罪は消えない!
私は瑞希を今も許してない!」
湯沢の口が、開いたまま止まった。何か言おうとして、でも言葉が出てこない。玲は構わず畳み掛ける。
「あとね、湯沢。自分のことを棚に上げて友香を責めるのは、お門違いじゃないかな~?
瑞希と一緒に、SNSで友香のことを『存在がキモい』とか『ヤリマン』だっけ?嘘の噂を書きまくっていたのはどこの誰だったっけ?
友香がどれだけ深く傷ついていたか、あんたは一度でも考えたことがあるの?そんな事をしていながらさ、なんで自分は正義面してられるの?私にはその感覚が不思議でたまらないんだけど?」
湯沢が焦りの表情を見せ、反論する。
「そ、そんな証拠どこにあるの?」
「無いとでも思ってんの?提出すれば未成年でも何らかの罪には問われるかもね?」
湯沢の目がさらに泳ぎ出す。
「結局、あんたはさ、一番の親友だった瑞希を助けてあげられなかったから、その罪悪感を友香にぶつけて楽になりたいだけじゃないの?」
湯沢はもう反論する気力はとうに失せていて、もはや玲のサンドバッグ状態だった。
だが、彼女達の言い争いは、友香が漏らした一言にかき消された。
「瑞希ちゃんが……死んだ……?」
友香が体を小刻みに震わせる。
口論を止め、玲が友香の方を振り返る。
「友香…?」
「違う……違う……」
友香の瞳から、一瞬で光が消えた。その生気のない両眼で湯沢の顔周辺を見つめ、唇を機械的に動かし始める。
「瑞希ちゃんは生きてる……」
「まだ言うの?この!」
湯沢が友香の頬を思い切りぶった。
「湯沢あああ!」玲が湯沢に掴みかかろうとした。
しかし友香は一切動じない。玲を押しのけ、湯沢の顔面にくっつく程に顔を接近させる。
「瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる……」
抑揚のない、呪詛のような囁き。湯沢は、友香の異様な様子に言葉を失い、一歩、また一歩と後ずさった。
友香の、これまで見たこともない姿に、玲もまた次の言葉を出せずにいる。
「……ちょ、何なの!やめてよ……」
あまりに近づかれた湯沢は、両手で友香を押し返す。
「瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる、瑞希ちゃんは生きてる……」
それでも加速していく詠唱。友香の顔は、血の気が完全に引き、まるで死人のような蒼白さに染まっていく。 そして……
一度、天井を仰ぎ見て、友香の体が力なく崩れ落ちた。床に叩きつけられる直前に玲がその体を受け止めた。
「友香……?友香!!」
玲が呼びかけると、友香が弱々しく反応した。
「あれ……私……何を?」
「ひっ……!」
湯沢は驚愕のあまり腰を抜かさんばかりにたじろいだ。先ほどまでの怒りは鳴りを潜め、彼女の顔は恐怖で引き攣っている。
「ヤバいって!こいつヤバいって……!」
湯沢は、友香を振り返ることもせず、逃げ出すように飛び出していった。
教室では、倒れた友香を受け止めた玲、あまりの出来事に動けずにいる佐藤と田中、そして凍りついた生徒たち全員が友香を見つめていた……。




